ビル・トッテン
軍事用語である「戦略」という言葉がビジネスで使われるようなったのはいつからだろう。敗戦後、米国に占領された日本は占領が終わった後もメディアを通して様々なマインドコントロールが行われ、米国を崇め、米国のやり方を模倣するようになった。企業経営において「戦略」や「戦術」が重視されるようになったのも米国流の考え方を取り入れてからだと思う。製品やサービスを社会に提供しながら、それを他の仲間との戦争だと捉えているならあまりにもさびしい。昭和の経営者は、商売をするなら自分だけが儲けるのでなく、多くの人と利益を共有しなければならないという「共存共栄」の哲学を持っていたと思う。
今回の講演では、戦争における「英米の戦略」という本来の意味での戦略を、歴史を振り返りながら検証する。これから世界がどのような方向へ向かい、その中で日本はどのような道をとるべきかを提言したい。特に、TPPや集団的自衛権によってますます米国の属国としての地位を強めつつある日本政府の政策をみるにつけ、英米の過去の歴史を振り返ることは大切だと思う。このテーマに関する本を数多くを読むうちに、米国で学生時代に習ったことが間違っていたり、ごく一部に過ぎなかったことを知り愕然とした。戦争が企業の「戦略」に基づいて画策されたという史実に皆さんも驚かれるかもしれない。
世界にはいくつの大陸があるのだろう。学生時代私は 7つの大陸があると教えられた。アジア、アフリカ、北米、南米、ヨーロッパ、オセアニア、そして南極である。 しかし世界地図を見るとアジアとヨーロッパは陸続きで、文化的には違っても同じ大陸である。これを英語ではユーラシア大陸と呼び、6大陸となる。
6大陸をよく見ると、ユーラシアとアフリカ大陸は 150年前にスエズ運河が作られる以前は、もともとスエズ地峡で繋がっていた 1つの大きな大陸だった。従ってこれらをまとめてアフロ・ユーラシア大陸とみることができる。
そうなると世界は 5大陸だが、その理屈だと北米と南米も、パナマ運河が作られる以前はパナマ地峡でつながった 1つの大陸であり 4大陸になるが、オセアニアや南極は大陸といってもその影響力はほとんどない。
パナマ運河ができたのは 100年ほど前だが、北米と南米というより、実際は北米と中南米に分かれている。北米は英語、中南米はスペイン、ポルトガル語という言語の違いだけでなく、北米はこれまでずっと中南米を搾取してきた。中南米の 28カ国に、米国は 150年前から少なくとも 6 8回、軍事的または敵対的介入を行ってきた。
<米国による中南米各国への軍事的または敵対的介入>
アルゼンチン | グアテマラ |
ボリビア | ハイチ |
ブラジル | ホンジュラス |
チリ | メキシコ |
コロンビア | ニカラグア |
コスタリカ | パナマ |
キューバ | パラグアイ |
ドミニカ共和国 | ペルー |
エクアドル | ウルグアイ |
エル・サルバドル | ベネズエラ |
これ以外にも大統領暗殺未遂など数多くの事件が起きており、北米と南米は基本的に円満な関係とはいえず、したがって北米と南米は物理的に 1つでも、別々の大陸とみた方がよいと思う。 世界が 5大陸だとすると、アフロユーラシアという大きな「世界島」と、その周りの島々というように見える。
つまり地球で最大の島がアフロ・ユーラシアであり、その周りを小さな島々がとり囲んでいる。実際に数字を見ても、ユーラシアは陸地面積で全体の 56%、人口で83%、経済で 62%を占める。天然資源の多くもこのアフロ・ユーラシアに存在している。今、米国が世界の覇権を握っているいわれるが、世界の中心はアフロ・ユーラシア大陸なのである。
このアフロ・ユーラシア大陸の存在と潜在力に気づいたのは、約115年前、英国の地理学者、サー・ハルフォード・ジョン・マッキンダーだった。マッキンダーは次のような理論を唱えた。
東欧を支配するものはユーラシアを支配する。ユーラシアを支配するものは世界島を支配する。そして世界島を支配する者は、世界を支配する。
それ以降、このマッキンダーの理論(ハートランド理論とも呼ばれる)は英国だけでなく現代の地政学における基本的な理論付けとなり、英米の戦略の基盤となったのである。例えば、今日の米国の戦略はユーラシアにおけるロシアの存在感を弱めることだ。1 900年頃から現在まで、誰がユーラシアを握るか、アフロユーラシアそして世界島を握るか、またもし自分が握れないならばいかにして他の国に握らせないようにするか、それがずっと英米の戦略だったのである。
世界史上、これまでどんな帝国が存在したのだろう。西洋人にとって最大の帝国は紀元前 27年から 117年をピークに 145 3年まで続いたローマ帝国だが、最盛期でもその範囲は局地的であり、世界帝国とは呼べない。
清王朝は面積ではローマ帝国よりはるかに大きく影響力も強かったが、やはりアジアの一部分にすぎない。
モンゴル帝国は 1 206年からユーラシア全域に拡大したが、遊牧民族であったため安定した中央集権を築くことができなかった。占領した地域に社会的、政治的、経済的な構造を作ることができず、急速に拡大して同じように急速に縮小した。この間日本にも 2回攻めて来て、 2回共失敗に終わっている。
19世紀末、初めて世界帝国と呼べる帝国が出現した。世界の人口で 25%、陸地面積で 30%を抑えた大英帝国である。これを維持するために英国はなんとしてでも東欧を支配するか、または東欧に強大な国家が作られないようにする政策をとり始めたのである。
19世紀、欧州では戦争が続いていた。代表的なものだけを列挙してもこれだけある。
<19世紀 欧州の戦争>
ギリシャ独立戦争 | (1821-1832) |
フランスのスペイン侵略戦争 | (1823) |
ロシア・ ペルシャ戦争 | (1826-1828) |
ロシア・トルコ戦争 | (1828-1829) |
ハンガリー革命と独立戦争 | (1848-1849) |
第一次シュレースヴィヒ戦争 | (1848-1851) |
第一次イタリア独立戦争 | (1848–1849) |
第二次イタリア独立戦争 | (1859) |
第三次イタリア独立戦争 | (1866) |
クリミア戦争 | (1854–1856) |
第二次シュレースヴィヒ戦争 | (1864) |
オーストリア・ロシア戦争 | (1866) |
普仏戦争 | (1870-1871) |
ロシア・トルコ戦争 | (1877–1878) |
セビリア・ブルガリア戦争 | (1885) |
ギリシャ・トルコ戦争 | (1897) |
このような戦争が続く中、欧州の国々は「同盟」を結ぶようになる。自国が攻められた時に支援を得られるよう、「集団的自衛権」のようなものである。その同盟の 1つがドイツ、オーストリア・ハンガリー、イタリアの三国同盟だった。
ドイツ帝国は 1 871年、ドイツ語を話す数多く国々をビルマルクが統一して以来急成長を遂げた。当初英国の半分の規模だった鉄鋼業は 1 914年には英国を越すほどになり、英国はドイツを警戒し、敵視するようになった。もしドイツとロシアが組んでユーラシアをまとめれば、英国はそれこそ周辺の島の 1つになってしまう。面積や資源の規模ではロシアのほうが大きかったが、軍事力、経済力で台頭してきたドイツは、英国にとってなんとしてでも押さえなければならない相手となった。そのため英国は、三国同盟に対抗して、フランス、ロシアと共に三国協商を作り、その後 20年間、ドイツとロシアを敵対させ、地政学的に英国が優位な立場をとれるような戦略をとり続けた。
1914年、オーストリア・ハンガリー帝国の皇帝継承者夫妻がセルビア人によって暗殺されるというサラエボ事件が起きる。オーストリアはセルビアに宣戦布告し、セルビアとロシアは同盟国だったのでロシアがオーストリアへ宣戦布告、そして三国協商によって英仏露が三国同盟に宣戦布告して、暗殺事件から欧州戦争へと拡大した。
この戦いは三国協商の一方的な勝利となるように見えた。なぜなら三国同盟は三国協商に取り囲まれ、ドイツは東部ではロシアと、西部では英仏と戦わなければならなかったし、英仏露は、国土面積で 12倍、人口は 5倍、経済は3倍、兵隊の数は2倍と圧倒していた。どうみてもドイツ側に勝ち目はない戦いだったが戦争は簡単に終わらなかった。 米国のウォール街は英仏に巨額の融資をしていたので、英仏が負ければ貸したお金が返ってこない。そのため、参戦して早くドイツを倒したかった。しかし米国民の9割が欧州戦争への参加には反対だったので世論を変えるために大掛かりなプロパガンダキャンペーンを展開した。たとえばドイツ兵が民間人の目をくりぬいたとか、少年の手を切断したとか、強姦したといったことをセンセーショナルに報道したのだ(これは今、イスラムとの戦争を正当化するために ISISがいかに残酷かということを取り上げる報道と良く似ている)。
決定的だったのは 1 915年、ニューヨークから英国へ出航した英国の客船ルシタニア号事件である。英国政府はルシタニアを武装商船として徴用し、乗客には秘密で機銃や弾薬を積んでいた。当時ドイツは英国の周辺海域に封鎖海域を設定し、厳密な臨検手続きの上で戦時禁制品の搭載があれば撃沈する規定になっていたし、ドイツ政府は米国の新聞に英国とその同盟国の大型船は攻撃対象となるという警告文も掲載していた。ルシタニア号はドイツ海軍の潜水艦の雷撃を受けて沈没し、犠牲となった乗客のうち 128名が米国人だった(ルシアニア号には乗客のほかに 600トンの爆破物、600万トンの弾薬、1 248ケースの破片シェルが搭載されていたという)。この事件が世論を変え、1 917年 6月、ようやく米国は欧州戦争に参戦したのだった。
米国参戦前の 1 916年、わずか3ヶ月間に 100万人以上のロシア兵がオーストリア・ドイツとの戦いで死亡した。ロシア皇帝はその死者の数にもかかわらずまだロシア軍が優勢だったので、今ならドイツとの和平を求めることができるとし、英国にその意思を通達した。しかしユーラシアを戦場にしておきたい英国は、ロシアとドイツの和解は望んでいなかったので、ロシアで起きている国民の抵抗運動を利用してロシア皇帝を退位させ、レーニンとその共産主義者たちを政権につけることを画策した。
皇帝が和解したがっていることを知らないドイツは、レーニンが政権につけば戦争を止めるだろうと考え、スイスに亡命していたレーニンを封印列車で密かに帰国させた。こうしてドイツも、ロシア皇帝に不満を持つ兵士たちをまとめ上げて革命を支援した。米国の金融、産業界の目的はロシアの豊富な天然資源を搾取することだったから、資源を自分たちが搾取するには皇帝よりもレーニンによる弱い共産政府のほうがふさわしいだろうと思い、米国もボルシェビキ主義者に資金援助を行った。
こうして英国、ドイツ、米国がそれぞれの思惑からレーニンとボルシェビキ主義者たちを支援し、ロシア革命は成功した。共産党政府ができたのは三国の支援があったからで、英米のソ連への支援はその後も第二次世界大戦が終わるまで続いた。
米国が参戦した翌年の 1 918年、ドイツと英仏は休戦協定を締結した。この戦いはこれまでのどの欧州戦争よりも多くの犠牲者を出した。ドイツを含む三国同盟では人口の 6%が犠牲となったが三国協商ではわずか 1%、米国の犠牲者は人口の割合でいえば 1%にも満たなかった。
民間人民間人
戦死者犠牲者の割合 /人口
三国協商 6,349,352 9,646,038 34% 1%
三国同盟 4390544 8341264 47% 6%
米国 116708 117465 1% 0%
*米国/全体 1% 1%
休戦ということは、英国の目的であったドイツを倒すことも侵略することも達成されていない。ユーラシアにおけるドイツの力をなんとしてでもつぶしたい英国は次の戦略に移る。それはドイツに社会不安を作り、右翼政府を樹立させ、その右翼の政府を左翼のソ連政府と戦わせる、そのために、右翼のドイツ政府を支援し、武装させるというものだった。
戦争は常に莫大なお金がかかるが、血を流すだけでなく増税をすれば必ず国民は戦争に反対する。そのためほとんど必ず国家は借金で戦争を行う。ドイツも戦費の調達に戦時国債を乱発した。国債を買った人の多くはドイツに居住していない金持ちや大企業で、彼らは 1 919年末までに全体の 35%の国債を売り払い、英仏などの通貨に換えた。これによりドイツの国債はドイツの中流から下流階層に押し付けられる形となった。
これに加えて英仏はドイツに賠償金を課した。それは年間の金利だけでドイツの国民所得の 6%にもなり、さらにそれをドイツは金または英仏の通貨で支払わなければならなかった。これを支払うためにドイツは大量にお金を印刷した。今日本の日銀がやっている量的緩和政策である。これにより、1 918年には1金マルクの価値があった1紙マルクは、1 923年には1兆紙マルクというハイパーインフレが起こり、ドイツには失業と貧困が蔓延し、英国の期待どおり社会不安がもたらされた。
しかしこれでドイツは賠償金を支払うことができなくなった。そのためウォール街は、米国の銀行家チャールズ・ドーズを委員長として賠償金の支払いを緩和および延期するというドーズ案、その後のヤング案を提示し、さらに賠償金支払いに必要なお金は、ウォール街がドイツ政府に融資するという自分たちに都合のよい解決策を提示した。
融資によってドイツマルクは 1 918年よりもずっと低い価値で安定し、ドイツは米国やその他の外国の銀行にとって絶好の融資先、投資先となった。産業機械や公共事業その他の貸付を J Pモルガン・チェース、シティバンク、ニューヨーク連邦準備銀行、イングランド銀行、国際決済銀行(BIS)などが行い、1 924年から戦争が終わる 1 945年までそれは続いた。
ハイパーインフレで景気が悪化し、大量の失業者が溢れて社会不安となったドイツは、英国の期待どおり右翼のナチスが政権をとり、1 933年、ヒトラー内閣が発足した。ヒトラー政権が戦争をするための武装も、英米の金融界、産業界の支援により着実に行われた。
戦前から戦中にかけて、多くの米国企業が(ゼネラル・モーターズ、フォード、ゼネラル・エレクトリック、ITT、エクソンモービル、テキサコ、コカ・コーラ、デュポン、ランダムハウス、コダック等)ナチスのために様々な物資を提供した。
反ユダヤとして有名な人物にフォード自動車の創業者ヘンリー・フォードがいる。彼は『国際ユダヤ人』という本を書き、その中で「ヨーロッパにユダヤ人がいなかったら、と想像してみよう。今のような悲惨な出来事が起きただろうか、起きなかっただろう。いつか彼らは自分たちが蒔いた種を刈りとらなければならない」と記している。ヒトラーはこの本を、自分の著書『わが闘争』の執筆時に参考にし、また自宅にはヘンリー・フォードの肖像画を飾り、 “Henry is my inspiration”と公然とフォードを礼賛したという。フォードのドイツ子会社は、戦争中ドイツの軍用トラックの 3分の1を生産している。
GMの完全子会社オペルも 1 929年からドイツ乗用車の 40%を生産し、輸出用乗用車の 65%を生産した。ドイツ軍はオペルの一番の顧客で、軍への売上は民間市場への売上げよりも 40%多い利益をもたらした。従業員数は 1 934年の 1万 7千人から、1 938年には2万 7千人に拡大し、ドイツ最大の雇用者となった。オペルはドイツ軍のためのトラック、爆撃機のエンジン、地雷、魚雷起爆装置などの戦争機材も生産した。スタンダード石油(現エクソン)と IGファーベン(現 BASG、Bayer、ヘキスト)はアメリカン IGという合弁会社を作り、ドイツ政府に様々な物資を提供した。
合成ゴム 100%、染料 100%、毒ガス 95%、プラスチック 9 0%、爆薬 8 4%、火薬 70%、航空ガソリン 46 %、合成ガソリン 33%、サイクロンB - これは強制収容所の収容者を殺すために使った毒ガスである。
ヒトラーはドイツ民族を世界で最も優秀な民族にするため、支障となるユダヤ人を絶滅する優生学を信奉した。長身で金髪碧眼の結婚適齢期の男女を集めて強制的に結婚させ、ドイツ民族の品種改良をするという民族衛生の旗の下に実施された様々な優生計画を通して、純粋ゲルマン民族を維持する試みを行った。
この優生学はもともとは南北戦争後、米国の建国民族であるアングロ・サクソンの民族的優秀性を守るために、劣る人種(黒人やその他の移民)を排斥する目的で米国で研究された。カーネギー、ロックフェラー、ハリマンといった財閥企業が多額の支援援助をし、財団が作られた。国民のうち劣った人種の 1割にあたる 1400万人を、毎年殺すか断種することで米国人を金髪碧眼(の優れた人種)にしていくという計画も立てられた。ヒトラーはこの考え方に傾倒し、採用したのだった。 第二次世界大戦では欧州に 900万人いたユダヤ人の 600万人が大量虐殺された。短期間にこれだけ多くのユダヤ人を選り分け、集め、処刑または労働させるという作業を行うことは人海戦術では不可能で、これを支援したのが米国企業であった。パンチカード技術を使い、国勢調査データからユダヤ人を判別し、名前、住所、家系、職場などの情報を集め、職場から追放し、銀行口座やその他資産を調べて取り上げ、ゲットーに集める。強制収容所に入れ、特別任務か労働か、または処刑に振り分けた。これら一連のデータ処理をドイツにあった米国の子会社がすべて行ったのである。
第二次世界大戦における欧州戦線は、ドイツが 1 939年9月1日にポーランドに侵攻し、フランスとイギリスがドイツに宣戦布告した時に始まったとされる。第一次大戦同様、連合国と比べ人口は 3分の 1、 GDPは半分だった枢軸国には最初から不利な戦いだった。この第二次世界大戦でも、米国が参戦したのは 1 944年 6月で、すでにドイツ軍が疲弊し、連合軍の勝利が明らかになってからだった。
<第二次世界大戦 欧州戦線>
1939年ドイツ ナチス党がポーランド侵攻
1940年ドイツがデンマーク、ノルウェー、フランス、ベルギー、
ルクセンブルク、オランダ、ルーマニアに侵攻
1941年ドイツがユーゴスラビア、ギリシャに侵攻
ドイツがソ連を攻撃
1942年最初の米軍が英国に到着
1943年ソ連軍がスターリングラードを包囲し、ドイツ軍が降伏
1944年ソ連軍がポーランド侵攻
ノルマンディー上陸: 連合軍がナチスドイツ占領下の
フランスに侵攻
ドイツ降伏
1945年ソ連がベルリンへ、ヒトラー自殺
ドイツ無条件降伏
米軍が英国に上陸したのは 1 942年 1月だったが、米軍は 1 944年 1月までソ連を助けることはしなかった。なぜなら英米の戦略はドイツとソ連を戦わせて両国を疲弊させ、戦後、ユーラシアを英米が支配するというものだった。
1944年まではソ連軍がドイツ軍と戦い、米軍が参戦したのはドイツ軍がわずか 1割未満になってからだ。欧州戦線全体で死傷または捕虜にされたドイツ兵のうち、7割以上はソ連軍によるものであり、米軍の活躍で連合軍に勝利がもたらされたという話はハリウッド映画の中だけである。
連合国と枢軸国で製造された武器の台数だけを比較しても、その差は歴然だった。
<武器製造台数>
連合国 (a) | 枢軸国 (b) | ||
---|---|---|---|
武器 | (英米組) | (ドイツ組) | a/b |
タンク | 227,000 | 52,000 | 4倍 |
大砲 | 915,000 | 180,000 | 5倍 |
迫撃砲 | 658,000 | 73,000 | 9倍 |
マシンガン | 4,744,000 | 674,000 | 7倍 |
貨物自動車 | 3,060,000 | 565,000 | 5倍 |
戦闘用機 | 417,000 | 146,000 | 3倍 |
練習機 | 103,000 | 28,500 | 4倍 |
輸送機 | 43,000 | 4,900 | 9倍 |
ユーラシアを支配するという英米の戦略のために起こされたこの戦争は、ソ連、ポーランド、ドイツ、ユーゴスラビアといった国々の多くの人の命を犠牲にした。
国 | 死者数(人) | 人口比 | |
ポーランド ユーゴスラビア ソ連 ドイツ オーストリア フランス ギリシャ 英国 米国 | 6,123,000 1,706,000 20,600,000 6,850,000 480,000 810,000 520,000 388,000 500,000 | 17%11%10%10%7%2%2%1%0% |
特にドイツとソ連の間にあったポーランドは地理的な理由から多くの人が殺された。またユダヤ人も多く、ホロコースト(大量虐殺)のほとんどはドイツではなくポーランドで行われた。ユーゴスラビアもドイツへの抵抗運動が強かったため、その分犠牲者が多かった。
国家としては英国も敗者となった。1 9世紀終わりに世界最初の世界帝国を築き上げた英国は、戦後、米国の属国に成り果てた。
戦争=好景気
第二次世界大戦で自国は戦火にさらされることもなく、連合軍と枢軸国両方に武器を調達し、資金を提供した好景気となったのは米国である。米国企業は連合軍の 6割の武器を提供し、連合軍と枢軸国全体では 4割の武器を提供した。これにより 1 929年から 39年にはマイナス 11%だった米国の GDPは、 39年から 45年には 240%、2.4倍も成長した。米国人の生活水準も 50%向上した。1 941年には連合国の経済は枢軸国の2倍だったのが、1 945年には 5倍になったことからも、戦争ビジネスがいかに経済成長に貢献するかがわかるだろう。こうして米国はこれ以降いつもどこかで戦争をしている国になったのである。
日本が覚えておくべきことは、米国は自分よりも強い国と戦争はしないということだ。日本政府は日米安保条約によって中国やロシアが日本を攻めてきたら米軍が守ってくれる、日本のために戦ってくれる、と信じているが、米国が中国やロシアのような強国を相手に戦うことは絶対にない。
第二次世界大戦で米軍が参戦した時にはドイツ軍はすでにほとんどの兵士がソ連軍にやられた後だったし、歴史を振り返ると、米国の最初の戦争の相手はアメリカの先住民族である。武器を持たない人々を相手に大虐殺を行い 16 22年には 1600万人いた先住民族は今では 400万人しかいなくなった。1 861年の南北戦争では、北部は南部よりも圧倒的に強かったし、1 898年にスペインと戦った米西戦争ではスペインの犠牲者は 6万人に対して、米国はわずか 5千人の戦いで、キューバ、フィリピン、プエルトリコ、グアムを領有した。
強い国とは戦わず弱いものいじめをする、それが米国の戦略であることは、次の米国が戦争してきた国を見れば一目瞭然であろう。
キューバ | 朝鮮半島 | アフガニスタン | イラク | |
リビア | ベトナム | ラオス | ハイチ | |
カンボジア | シリア | グレナダ | フィリピン | |
イラン | パナマ | メキシコ | チリ | |
セルビア | ボスニア | |||
英米の戦略 |
マッキンダー理論に基づき、英米はユーラシアを支配またはユーラシアを他国に支配されないようにする戦略をとり続けてきた。1 910年以前はロシアの拡大を阻止し、1 910年~1917年はロシアとドイツを引き離し、またはドイツを倒す。1 918年~1945年はロシアとドイツを戦争させる。太平洋側においては、1 930年~1945年日本の中国支配、または日本と中国を敵対させる。1 946年~1991年はソ連と中国が組むのを阻止する。1 991年からはロシアを分割し、米国が世界を支配するといった具合であった。
これらは秘密でも陰謀でもなんでもない。キズビグネフ・ブレジンスキーという米国の政治家は、その著書『The Grand Chessboard: American Primacy and its Geostrategic Imperatives』(山岡洋一 訳『ブレジンスキーの世界はこう動く――21世紀の地政戦略ゲーム』日本経済新聞社, 1998年)で明確に記している。そのために英米がとってきたのは「分割統治」であり、常に被支配者を分割することで被支配者同士を争わせ、統治者に矛先が向かうのを避けてきたのである。
自分より弱い国との戦争に明け暮れてきた米国だが、そのやり方は近年、あまりにも露骨になってきた。たとえば昨年西アフリカにおけるエボラ出血熱の拡大に際し、キューバはそれを危機としてとらえ、 256名の医療団を派遣したのに対し、米国はアフリカに派兵するチャンスとして、 3000人の兵士を派遣した。米国の軍事費は 2013年に約 5800億ドル(約 60兆円)と世界一を誇る。その金額はダントツで、中国やロシアを含む 2位から 10位の国の軍事費の総額よりも多い。米空軍の B2ステルス戦略爆撃機は 1機の値段が 958億円であり、さらにその運用費は 1時間 1600万円にものぼる。このような軍事費を使い続ける国がいつまで覇権をとり続けられるのであろう。
私からみて、すでに米国の同盟国は 7カ国しかないと思う。英国、カナダ、オーストラリア、ニュージーランド、そしてサウジアラビア、イスラエル、日本だ。英語圏で英国の植民地だった国と、民主主義を他国に押し付ける米国が石油があるためにそれを許している世界一暴君の国のサウジアラビア、イスラエルは中東がまとまることがないように、そして日本はもちろん、アジアがまとまらないようにするためだ。
日本ではあまり報じられていないようだが、 BRICS(ブラジル、ロシア、インド、中国、南アフリカ)が、新しい世界秩序を構築する方向性として動き始めている。昨年、この BRICS諸国の指導者は新しい開発銀行を作ることで合意している。 BRICSとは単なる新興国を集めた名称ではなく、現実的に相互援助のための組織である。この BRICS諸国グループは、世界経済において類のない位置を占めている。世界人口の 40%が暮らす最大の市場であり、巨大な天然資源を持ち、世界の総生産の約 3 0%を生み出しているのだ。
面積人口GDP (百万 km²) (百万人) (兆ドル)
米国 + 7 | 31 | 600 | 29 |
---|---|---|---|
BRICS | 39 | 3000 | 16 |
上海協力機構 | 30 | 1600 | 12 |
BRICS+ 23候補国 | 49 | 4000 | 23 |
上海協力機構+ | 66 | 4000 | 21 |
21候補国 |
もう一つの動きに上海協力機構がある。中国、ロシア、カザフスタン、キルギス、タジキスタン、ウズベキスタンというユーラシアの 6か国による多国間協力組織で、2001年に上海で設立された。加盟国拡大に意欲的で、準加盟国のインドとパキスタンが今年にも正規加入する可能性が出ている。またそれ以外にも様々な国が候補国として名乗りを上げている。
BRICSと上海協力機構は共に中国とロシアが参加しているので単純に数字を合計することはできないが、米国しか見ていない日本は世界でこのような大きな動きがあることを知っておくべきである。
日本はアメリカの属国として TPPを進め、集団的自衛権という米国の軍事同盟の路線をとっているのを止めるべきである。なぜなら日本が敵とみている中国やロシアといった強国と米国は決して戦争はしないし、世界第六位の軍事費を使っている日本は、弱い国からの攻撃を米国に守ってもらう必要はないからだ。
集団的自衛権の行使容認という日本の安全保障を大転換する方針を示して米国の戦争に日本も参戦するというのであれば、日本が太平洋戦争で敗戦した理由を思い出すべきである。原爆の投下など様々な要因があるが、それは最大の理由は日本が自給自足できない食料とエネルギーを封鎖されたためであった。また、現代の戦争は空爆が中心であり、日本の経済は東海道に沿って集中していて複雑な通信網に依存している。東海道を空爆されれば、コンピュータも止まり経済を含めあらゆる活動が不能となるだろう。
従って私の提案は、日本国憲法を冒涜し、米国の侵略戦争の奴隷として機能するための軍事予算を増やす前に、失業者または十分な仕事に就いていない人々を採用して耕作放棄地で有機農業を行い、食料の自給自足を達成することだ。エネルギーの自給率を上げるために、太陽光発電などの再生可能エネルギーに投資し、一箇所が空爆を受けても、日本全国で発電を行うことによってリスクを分散することである。そして東海道に空爆を受けても日本が壊滅しないよう、経済も社会も全国に分散させることだ。
もちろん日本が米国の属国として戦争をする国になることなど、私は望んではいない。しかし戦争に向かおうと向かうまいと、食料とエネルギー自給率を上げ、首都圏、東海道に集中した経済・社会を全国に分散することで雇用も増え、日本の活力は必ずや増すであろう。世界秩序が大きな転換期にある今、日本は過去と未来を見据えて、国家の舵取りをしていかなければいけない。
(20150225)