「モンゴルを訪ねた」
01/08/20
お盆休みの前に、庭のブルーベリーの実を妻と急いで摘み、ジャムを作りました。昨年と同じく2キロ採れました。熟れていないのは残しましたから、もう2キロは採れたでしょう。だが、例年のように小鳥に分けることになりました。
お盆休みは、駆け足でモンゴルを訪ねてきました。二年続きの雪害で遊牧民が酷いめにあっていると聞いていたからです。妻は、創作テーマをモンゴルの遊牧民にも求めてきたので、今年の6月に京都大丸で開いた個展会場にモンゴル救援の募金箱を置かせてもらいました。その箱を京都新聞社の記者や「モンゴル子供会」の人たちの立ち会いのもとに開いたところ、予想を超える募金が集まっていました。そこで、人形の売上金の一部と「アイトワ基金」を加えてお届けすることにしたわけです。アイトワ基金とは、わが家を見学される方々が、庭をご案内した時に下さる謝礼金を積み立てているお金です。
私たち夫婦は、自己責任の下に自己完結性の高い生き方をしている人に共感し、そうした人々が窮地に陥っていると知ると心が痛みます。天災など一時の窮地から脱出し、「早く元の生活に戻りたい」いう人のためなら役立ちたいと思います。
モンゴルでは、お金の値打ちが日本の10倍も20倍もあると「アジア・アフリカ環境協力センター」の人たちに教えられ、勧められるままにアイトワ・ファンドという名称の基金を作らせてもらったり、記念の植樹をしたりして帰ってきました。
モンゴルの首都、ウランバートルの町を見ている限りではソド(大寒波)の爪跡など感じられません。また、夏真っ盛りの大草原に点在するゲル(遊牧民の組立式移動住居)を展望したのでは、のどかな風景としか映りません。しかし、捨て子の収容施設を訪ねたり、遊牧民を訪ねて直に話を聴いたりすると、ソドの被害は想像を絶していました。とはいえ、深夜に満天の星空を見つめているうちに複雑な心境となりました。はたして遊牧民が被ったのは天災だったのかとの疑問です。ひょっとすると、私たち文明国がまき散らした人災、気候変動の被害者ではないか。遊牧民の中に拝金主義者が台頭し、カシミヤ山羊を過放牧するなどして草原を荒らし、仲間の首を締めるようなことをしていないか。あるいは、義援金などのあり方や生かし方に問題はないかなど。
もし人災なら、その要因を先ず取り除くことに努めないと、問題を先送りするばかりで傷口を大きくしかねません。なにせモンゴルではまだ6割の人が自己責任の下に展開する自己完結性の高い生き方、遊牧生活をしているのですから。ゲルを訪れた時に、遊牧生活を続けている人は捨て子などしない、と聞かされた時は驚きました。それは、家族で助け合わないと生きられない生活であり、一人一人が大切な役割を担っているからだ、というわけです。皆で飢えたり、笑ったりしていました。
だが、都市への人口集中は急激ですし、貧富の格差拡大も目に余るものがあります。遊牧生活をいち早く投げ出して都市に流入したり、そこで捨て子をしたりする人を優先する支援は、都市への人口集中を加速し、悪循環を生じさせかねない、と思いました。
それにしても、満天の星空はまさに降りそそがんばかりでした。1時間に30以上もの流星の雨を見ました。妻は高原で人形の写真も撮れたと喜んでいました。
この土曜日から、私たちが娘のように思っている未花(みか)さんが新婚の夫と泊まりに来る予定です。さて2人に何を手伝わせようかな。
今年もブルーベリーを2キロ収穫し、ジャムを作りました。
まだ熟れておらず残したほうが多いようですが、それは小鳥への分け前です。
アイトワ ファンドという基金をモンゴルで作ってもらいました。
天災などの災難を乗り越え自己責任の元に自己完結性の高い生活に戻ろうとする人たちのために活かされることが私たちの願いです。
妻は子供達に人形作りを教えるために持参した人形を大草原で撮影しご機嫌でした。
大草原で拾ったこの「骨」を唯一の記念として持ち帰ろうとしたところ、出国時に何故か取り上げられてしまいました。
おかげでトランクの積み込みが最後になり関空で一番最初に出てきて助かりました。
これを「コツ」を発見したといっていいのでしょうか。
ゲルの天井。とても丁寧に彩色された部品で作られています。
それぞれ何もかもがオリジナルの世界です。こうしたオリジナルの世界が工業文明というコピーの世界に脅かされています。
ゲルに住む人たちは、土地の所有権や縄張りなどの意識は無いと聞きました。
そこに拝金思想が入り込みカシミヤヤギを過放牧する人が中国との国境あたりを中心に現れ、草原を荒らし遊牧の世界を乱し始めているようです。
工業文明が陥った環境破壊の構図と同じパターンを歩み始めたようです。
ジャルガルさんのご家族。ご主人は不在でしたが、6人家族。
牛は全滅、ヤギ・羊・馬も含めて8割近くを失った。政府から一切支援はない。こんな二年続きの「ソド」(大寒波)は、人生で初めてとジャルカルさんは話していました。
もう一軒のゲルを訪ねたところの子供達。
三歳から馬を乗りこなし、遊牧のお手伝いをすると聞きました。
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