「テラスでパーティ」01/09/03

 わが家では「アイトワ塾」という勉強会を開いています。1988年6月に処女出版した拙著『ビブギオールカラー ポスト消費社会の旗手たち』がきっかけとなり、始まった塾です。だからもう10年以上続いていることになります。

 処女作は、消費社会に浮かれていてはいけない、との警鐘を鳴らした一書でした。ホワイトカラーやブルーカラーなど単色の人々を重宝した工業社会は崩壊し、「多彩な人、ビブギオールカラー」が旗手をつとめるポスト消費社会に移行する、との主張です。ビブギオールカラーを、「地球人との認識」の下に「生態系への復帰」を宣言し、「不可逆的な生活システムとの決別」を誓う人、と規定しています。国籍や人種などにこだわらない地球人となり、自然と共生し、持続性のある生活システムへ移行しようとの提唱です。この提唱がしたくて86年の暮れに脱サラしたようなところがありますが、日の目を見るまでに2年を要しました。バブルという言葉が持て囃される前のことで、多くの人は消費社会に酔っぱらっており、こんな提唱や警鐘に耳をかす人はいなかった。なのに読書会を持ちたいといってもらえたのですから嬉しかった。「アイトワ塾」のきっかけです。

 その後、これまでに5冊のシリーズ本を出しましたが、それらにそって会は継続してきました。直接、利害に係わることには触れない勉強会なのに、ここまで続いたのですから驚きです。月に1度の開催ですが、年に2〜3度は変形もあります。一泊旅行、家族も参加するハイキングや櫟(くぬぎ)林で催すバーベキュー、夫婦で集う忘年会など。この度はサンクンガーデンでの新しい試みでした。昼間はオープンカフェとして使っている場所ですが、沈んだ空間故の趣が楽しめます。周囲の木立や頭上の天空が強調され、自然に抱かれたような心境になる、と言ってくださる方が大勢います。星が輝く時間となるとその感は一層深まります。

 塾員の中に名調理人がいます。味付けや、いかに組み合わせば美味しくなるか、あるいはいかに盛りつけるべきかなどに長けているだけでなく、美味の世界に人を誘い、無我の境地にさせるのを楽しみとしている人です。最初のメニューは目の前で盛りつけたカツオの刺し身でした。最後は庭のローズマリーを添えて塩焼きしたイサキでいた。共に絶品でした。藁で焼いたカツオのタタキも美味しかったし、野菜サラダも見事に調和していました。仕上げのご飯は、青ジソのフリカケをまむしたものでした。これは、塾員の一人のご母堂が、わが家の青ジソで作って下さったもので、緑茶を作るように青ジソを手で揉んでつくり、秘伝の味を着けたものです。美味しかった。お茶としても頂きましたが、青ジソが茶ガラのように膨らんでいました。肉料理はなぜか残りました。

 満腹し、塾員の歓談に耳を傾けながら、私は妄想に耽りはじめました。時代の大きな変わり目に、うろたえるでもなく、うまく立ち回ろうとするためでもなく、ことの本質を迫りたいと重ねる勉強会はいかなる結果に結びつくのだろうか、との妄想です。過去のこうした事例に思いを馳せはじめた矢先に、深度4の地震があり、正気に戻されました。
 震源地は京都南部。直下型でした。一瞬、阪神淡路大震災のときのことを思い出し、気を引き締めました。

 いろんな苦難を乗り越える秘訣は、必然の未来をいかに正確に見定めるかだと思います。その如何が、どこにどのような家屋を用意して住むかとか、さまざまな現象に直面した時にいかに身の振り方を修正するか、などに影響を及ぼすのではないでしょうか。

 

星空の下、歓談は続きました。カツオのお刺身を賞味しているところです。メンバーは三々五々集まりました。
この数時間後、震度4の地震に見舞われた訳です。愛犬や野生動物は予知していたのでしょうか。
イサキの塩焼き、3人の子どもは、焼き肉には目もくれず、この味にとりつかれお父さん達には、残すまいとの勢いでした。
野菜も含めて子供の舌は、天然の本当のおいしさには敏感に反応するようです。
私たちの名調理人。元はプロですが、今は家業を継ぎ西陣織の
経糸を整える仕事の伝統工芸士として活躍しています。
調理を趣味とし今は愛犬家のために愛犬と飼い主がペアルックを
楽しめるグッズを西陣織の技術を活かして開発しいます。
Tシャツ・バッグ・ハーネス・リード等々。 

『ビブギオール・カラー−−ポスト消費社会の旗手たち』
(朝日新聞社、1988年)

 

ビブギオールカラーなら、このようなビジネスなど社会的活動をするであろう、実例を求めた取材から生まれた一書。
いわば、『ビブギオール・カラー−−ポスト消費社会の旗手たち』を仮説編とすれば検証編です。環境問題や資源枯渇問題などを人類共通の敵と気づいた消費者は、モノの善し悪しを見比べながらあれもこれもと食指を動かす生活から脱するだろう。企業はそうした人びとを組織することで繁栄できる立場にある。企業は、社会を改革する道具として自らを位置づけるべきだ。そして、企業自体の善し悪しを見比べてモノやサービスを峻別する消費者を育むべきだ。
アメリカにもこうした意識にささえられた企業やこうした企業を組織する団体が誕生している。欲望の解放に明け暮れる消費者を抱えつづける国や地域は、賢い消費者によって見捨てられたモノやサービスの処分場となり、世界から
蔑まれながら衰退する。日本はその道を歩んでいる。

 

環境問題や資源枯渇問題などを人類共通の敵と気づいた消費者は、モノの善し悪しを見比べながらあれもこれもと食指を動かす生活から脱するだろう。企業はそうした人びとを組織することで繁栄できる立場にある。企業は、社会を改革する道具として自らを位置づけるべきだ。そして、企業自体の善し悪しを見比べてモノやサービスを峻別する消費者を育むべきだ。アメリカにもこうした意識にささえられた企業やこうした企業を組織する団体が誕生している。
欲望の解放に明け暮れる消費者を抱えつづける国や地域は、賢い消費者によって見捨てられたモノやサービスの処分場となり、世界から蔑まれながら衰退する。日本はその道を歩んでいる。

「「想い」を売る会社〜こんなモノづくりが消費者を動かす〜 」
発行:日本経済新聞社 発行年:1998/09/22

『このままでいいんですか−−もうひとつの生き方をもとめて』(平凡社、1994年 1999年)

ビブギオールカラーが志向するであろう生活を描き出した。
文明人は安楽や便利さなどを目先の実利を求めて複製品に依存する生き方に陥り、個性を売り渡して収入を求めてきた。その過程で、環境を破壊し、資源を枯渇させ、未来の見通しまで失ってきた。個性と創造能力を尊重とするもう一つの(オルタナティブな)ライフスタイルに転換しようではないか。転換には超克を要するハードルがあるが、自己超克の後に手に入れる幸福こそ真の喜びがある。そのライフスタイルが、次の新文明の地平を切り開かせるに違いない。
昨年のクリスマスパーティーの様子。こうしたパーティーも開きたくて作った空間には、アルバーアルトがデザインしたテーブルやイスが入っています。
常は喫茶店として使っている空間です。



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