「シシガシラの手入れ」01/09/25
未来夫妻が泊まりに来た翌週のことでした。居宅の玄関前にある大きなシシガシラ(サザンカの一種)の剪定を、仕上げました。未来夫妻が来る10日ほど前に、半日もあれば仕上げられると思って2時ごろからチョキチョキと始めたのですが、蚊がうるさくなり、7時で切り上げました。あと1時間ほどで完成したのでしょうが、中断しました。それがよかったのです。翌朝目覚めると、肩から腕にかけてバンバンに張っており、首が回りません。一部の筋肉を使い過ぎたのでしょう。
このシシガシラは毎年冬に八重の赤い花を沢山つけます。背丈1メートル30センチ程に刈り込んだ木ですが、わが家の庭にある特別扱いをしている何本かの木の1本です。その第1は、庭の中程にある赤松です。樹齢は40年余りですが、背丈を3メートル位で止めています。その2が、この樹齢40年近いシシガシラです。その3は『金太』という愛犬の側に或るしだれの紅梅で、これは商社を辞めた時に仲間が贈ってくれた木です。こうした木は、ハサミで枝をチョキチョキと1本づつ切って剪定しています。他の木の多くは、バリカンのような電動機械で刈り込むか、ヤマボウシやモクレンのように極力ハサミや鋸をいれず、それぞれの樹勢を尊重して育てています。
この庭の特徴は、200種1000本余りの木が育っていますが、妻と二人で手入れをしてきたことです。その気になれば、この程度の庭なら家族で管理できるのだ、ということを実証したくて手入れの仕方を工夫してきました。だから、ハサミでチョキチョキと枝を1本づつ切って剪定するような手間のかかる木は特別扱い、というわけです。だがその少量の配置が、庭らしい雰囲気をかもし出してくれように思うのです。
この玄関前のシシガシラは樹勢がつきかけており、ぼつぼつ大幅に刈り込んで弱めないといけない頃合いになっていました。そこで頑張ったのに、半日では仕上げられなかったわけです。自分たち家族だけで管理する庭仕事のよいところは、こうして歳のほどを自覚させてくれることです。去年と今年の比較、5年前には1日で出来たことが今年はできない、逆に3年前は2日も掛かったのに今年は1日でできたなど、体力とかコツの把握具合などを総合的に自覚させてくれます。
さまざまな樹木は、それぞれの癖を主張しながら時々刻々と育ちます。その癖を睨みながら、わが体力や技量の先々を考え、手を打っていくわけです。櫟林の大幅な手入れは、さしずめわが身の臨終迄を睨んだ手入れと言ってよいでしょう。こうした「読み」がうまくできるようになると、無駄な「力み」がなくなるのか、それとも要領がよくなるのか、手早く仕事ができるようになります。それが生きる自信や誇りの一つの源泉になります。
実は櫟林も、2本だけ手入れをせずにとってあります。その1本はこの11月に手を入れる予定です。切り取った部分は薪にはせず、シイタケのほだ木に使います。そのためには11月頃に伐採し、冬の間にシイタケの種駒を打ち込まないといけません。
こうした農林業のまねごとのようなことをしていますと、店頭で売っている農産品などを見ていると、いかにも日本の農林業政策はでたらめに感じます。私の目には、過保護をしたり目先の価格競争に晒したりと、生産者をほんろうしているように映ります。土や植物や勤労の本質をわきまえていない人が、目先の経済性や見かけなどに惑わされたやり方をしているのでしょう。明日への備えがなさすぎる。心を忘れている。わが国はそう遠くない将来、食料面でパニック状態に追い込まれないとも限りません。
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庭の中央部にある特別扱いの木。手前の幹だけ見えてる木は、枝垂れの紅梅で1978年の暮れに我が家の住人になった。奥の赤松は、この庭で誕生した実生。かつて小倉山は赤松の山だった。山から種が飛んできたのだろう。
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玄関脇にあるシシガシラ。40年ほど前は背丈20センチばかりの苗だった。3年前にこの木の中程に大きなスズメバチの巣があった。その退治を試みひどい目にあった。 |
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野生化している丸葉藍。本当の藍は、白い花を付けるが、
丸葉藍はピンクのかわいい花を付ける。今が盛り。
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