「ユタの思い出」01/10/15

 数年前に招かれてアメリカのユタ州を訪ねたことがあります。ここでは少し、ユタ州で知った「食」に対する態度や意識、あるいは心構えについて触れたいと思います。

 ユタ州はモルモン教徒の州といっても過言ではありません。州民に占める教徒の率は75%、他州の人々との交流が盛んなユタ州立大学でも学生や教職員に占めるその率は50%と聞きました。だから、招かれたのを幸いに、モルモン教徒の生き方も学びたいと願い出ました。結果、神殿などの見学はもとより、17聖人のお一人との面談や教徒のお宅に招かれたりしながら、その生き方の一端に触れ、とても感銘を受けました。私はモルモン教徒ではありませんし、酒や茶さえ絶てそうにありませんからモルモン教徒の輪には入れません。また、特定の宗教に今から帰依する気はなく、不遜な言い方となりますが、むしろすべての宗教を融和する新しい理念を心の中で追い求めているのが実情です。それはともかくとして、町は清潔だし、行き交う人々はとても温和で、とても心地よい時を過ごすことができました。断酒などの相互規制を受け入れてもよいと思いたくなるほど互助の精神や相互信頼の関係が行き渡っているようでした。わが国では、知らない大人を見たら誘拐魔と見るような教育を子どもにしなければならない有り様ですが、人は互いに助けあい信頼しあえる間柄だと教えて心配がない環境のようでした。こうした環境なら子どもをもうけても安心して育てられそうだと思いました。しかし、そんなことで私は当地の人々に感心したわけではありません。自己責任のもとに自己完結能力を高めようとする生き方に感銘しました。その一端を「食」の面でも感じました。

 小さな庭しか持たない人の家にも招かれましたし、広大な屋敷を構えた人の家にも招かれましたが、そこには共通点がありました。皆が農業能力を養なおうとしているのです。庭をすべて家庭菜園にしている人もいるし、一角しか菜園にしていない人もいますが、とにかく自ら農業に従事し、種の蒔き時や育て方、収穫や保存の仕方を身に付けているようでした。そして1年分の食料備蓄を心掛けていました。もちろん中には3カ月分程度しか保存していない人もいましたが、かなりの家庭が1年分を備蓄していると聞きました。それを可能にするために、庭でつくったキュウリやトウガラシを家族で1年分のピクルスにするのはもとより、庭で作ったアスパラガスやグリーンピースを、あるいは山羊や羊の乳をもっていけばチーズや缶詰にしてもらえる工場が教区の一角にありました。もちろん食卓には生野菜や生の魚介類ものっていましたが、穀物やバターやチェーズなど保存のきく食物の多くは、古いものから順に用いているようでした。わが国は食料自給率が極端に劣りながら賞味期限などに左右され、毎日莫大な量の食品を廃棄しています。モルモン教徒との間には生き方や考え方に大きな差がありそうです。

 いざと言う時は、土地があっても畑にする道具がなければできません。畑にできても種がなければだめです。種が手に入っても、まき時やまき方を知らなくては作れません。連作障害をおこす嫌地の問題や作物の保存の問題も気になります。もちろん肥料の作り方やその有効な使い方の問題もあります。モルモン教徒は、自己責任の下にこうした自己完結能力を身につけているようです。ひょっとしたら、その生きる力が心にゆとりを与え、相互信頼や相互扶助の心を養わせているのかましれない、と考えました。

 20世紀は人々を競い合う関係に陥れて心をバラバラにしがちでしたが、今世紀は相互規制を心地よくする相互扶助や相互信頼の関係を取り戻すべき世紀かもしれません。

ユタの小さな庭を持つ知人の家のそばの光景。
全山、灌木や草が紅葉していました。
彼は、小さな庭をすべて畑にしていました。

菜園で作った野菜や育てたヤギの乳などを持ち込めば缶詰やチーズなど希望の保存法を施してくれる工場がありました。
大きな家を訪ねたときお隣に大きな家を建設中でした。
庭と家屋が同時進行で工事が進み一緒に完成すると云うから驚きです。
この人の庭の一角にも農園が用意されていました。


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