「そば打ちパーティー」01/11/12

 そば打ち名人の友人が、わが家で初めてそばを打ってくれました。きっかけは、わが家に大量のそば粉が届けられたことです。その送り主の友が、化学的な処理をまったくしていないそば粉だから「早く使わないと虫がつきますよ」と電話で知らせてくれたので、早速そばパーティーを、となったわけです。

 当日、もう一人の友人が一足先にお嬢さんを連れて訪ねてくれました。すぐにお嬢さんは妻の指示の下に入り、ダイニングキッチンをパーティー会場として設えるお手伝いをしていました。母屋から、今は亡き両親が使っていたテーブルを借りてきて2つのテーブルを揃え、そば打ち用と食べ用に使い分けるようにしていました。

 会場の準備がほぼ終わった頃にそば打ち名人が到着しました。打ち粉やジネンジョそして道具の包みを持参です。彼は紺色の作業衣(さむえ)に着替え、道具を取り出しました。栃の丸木から彫りだした大きな捏ね鉢は見事なものでした。周りが8角形で、友人好みの別注だそうです。太くて長い麺棒や大きなそば切り包丁にも目を見張りました。

 やがて三々五々、他の友だちが子ども連れや奥様同伴で集まり、そばパーティーの雰囲気を盛り上げていきました。そば打ち名人は「久し振りに打つ」とのことでしたが、妻がすりおろした大きなジネンジョとそば粉を手際よく混ぜるところから始めました。その日の湿度や粉の状態で加える水の量が決まるとのこと。最初に捏ねた分は、少し水が足らなかったとみえて手水で調整していました。

 出来上がったそばを先ず私は少し試食しました。少し硬めでしたが「美味しい」。ネギはわが家の庭から調達しました。男の子たちに「どうぞ」と勧めますと、待ってましたとばかりに飛びつきました。あっという間に一笊が空になる頃、次のができ上がりました。それも先ず私は一口試食しました。そして「どうぞ」を繰り返しました。少しはにかんでいた女の子も箸をつけ、一緒になって瞬く間に平らげていきました。

 イタリヤへ留学していた友が、パスタを打った経験を生かして挑戦し、見事に打ち上げました。それも試食してみると、すこし柔らかめでしたが「これもいいな」と思いました。他の友も次々と挑戦しました。常日頃はそばを食べない子もこの日ばかりは別で、お父さんたちが打つそばを次々と美味しそうに食べました。

 大人は子どもたちが堪能した後で順番にテーブルにつき、舌鼓を打ちました。もちろん私もその輪に加わりました。あらかたの人が満腹状態になった頃、大人に代わってそば打ちに挑戦する子が現れました。子どもたちは麺を延ばす作業が面白いようで躍起でした。妻は自分が使っている小ぶりの麺棒を取り出して子どもに貸し、子どもが延ばした麺を切り、ゆがき、試食させていました。私も付き合ってテーブルの上に散らかっていた粉も掻き集め、こね、犬のために打つことにしたのですが、延ばす作業は子どもたちが担当してくれました。その時に、「そうだったんだ」と気付くことがありました。

 本来の子どもの遊びとは、こうして親や大人の仕事の真似をすることではないか。子どもはコツの呑み込みが早いとか遅いけど根気があるといって褒められ、面白くなり、やがては生業(なりわい)として身に着け、大人になっていったのでしょう。

 それはともかくとしても、子どもには親や大人の真似がしたい年頃があります。その時に親や周りの大人は何をして示せばよいのか。子どもは大人の心を映し出す鏡だと再確認させられるパーティとなりました。

そば打ち名人の友と見事なこね鉢。西陣の有名な帯屋の経営者です。その一つの趣味がそば打ちです。山芋とそば粉を混ぜているところ。

一足先に来てテーブルセットなどこき使ってもらったおかげでしょうか二ザル目から参加し子供達が目を見張るほど食欲を発揮しました。この娘は2歳の時のアイトワのバーベキューパーティーから参加者しています。


瞬く間に一ザル目は無くなりました。少し固めでしたが好評でした。常はそばをあまり好まない子も競うように食べました。


子供達の食欲にあわせてお姉さんやおじさんやお父さんやお母さんは大わらわです。

名人が茹でる作業の間に、他のメンバーがネギを切ったり、次の麺を伸ばしたり、切ったりこねたり、山芋をすり下ろしたりと手分けしました。子供達が待ちかまえています。

この子はそば延ばしに三度も挑戦し、やめようとはしませんでした。お父さんはパスタをこねた経験を生かし初めての挑戦で見事に打ち上げました。

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