「同床同夢」01/11/20

 先週の土曜日は、午後から庭に出てサツマイモ掘りや日の菜の収穫をしました。先ずサツマイモの蔓をはずして堆肥の山に積み、イモを掘り出し、その後に鶏糞と灰を混ぜた肥料を入れて畝に仕立て直すことから始めました。いずれは第3回めの冬野菜の種をまく予定です。もちろん、蔓をはずす前に、一握りほど葉のついた茎を取って置きました。

 次に、シーズンが終わったモロヘイヤを抜き去って堆肥の山に積み、その後も鶏糞と灰を入れて耕し直しました。その途中で、妻が私の間食のトーストとカフェオーレを持って畑に出てきました。4時に人形教室を終え、着替える間をいかしてトーストを焼いたのでしょう。いつものように喫茶で残った食パンの耳を少し焦がして焼き、バターを少しひいた上にジャムをたっぷりと塗っていました。ジャムはブルーベリーでした。

 妻は日の菜を抜き、一昼夜干してから漬けます。その畝には日の菜の間でシュンギクが育っていますから、日の菜を抜いた後に少し鶏糞と灰を入れて土をかき混ぜ、2回めの小松菜の種をまいていました。お正月の澄まし雑煮に使えるでしょう。シュンギクは高く伸びた芽から順に積むと脇芽を出します。もちろん春には花も咲きます。

 サツマイモの収穫量は少ない日照の割にはよかったと思います。畑の東側にあるお隣の木も大きくなりましたし、西側のわが家の櫟の木や竹も繁って日当たりが悪くなっており、日照量を要するサツマイモなどの作物の収穫はあまり期待できません。でも毎年のようにサツマイモを少しつくります。私はイモ苗を植える畝を耕したり収穫時に葉のついた茎を取り置いたりする担当です。妻は苗を植え、時々草を抜いたり延びすぎた蔓をととのえたりします。私たち家族にとっては、サツマイモはイモの収穫よりも蔓のキンピラの方が主目的かもしれません。それは私の座標軸、生きる実感の確認です。もちろん妻は収穫したイモを煮たり揚げたりしますし、母が健在の時はイモを蒸したり蒸し置いたイモを焼いたりしていました。しかしキンピラはイモの収穫の日に3人で分担して作りました。私は葉のついた茎を取り置いて母に渡す、母は茎の皮をむいて水洗いし、妻が調理する。今も母の担当を二人で分けあってイモ蔓のキンピラを作っています。

 イギリスではコックスという小さくて貧相な赤いリンゴを売っています。品種改良が好きな日本でなら今日まで到底売り続けられていなかったことでしょう。そのリンゴでイギリス人はジャムやパイも作ります。コックスは昔から変わらぬ品種で、何代も昔の人と同じ味をイギリス人は体験しているわけです。

 今年もイモの蔓のキンピラを作り、50年ほど前に美味しいと感じた味を再現し、亡き母や父をしのびながら食べました。妻にも、私たち家族が50年程前から「この味を!」と実感してもらってきたわけです。もちろんその逆も味わいたい。何事も同床異夢なんて寂しいですが、単なる同床同夢でも寂しい。できることなら、何十年も何百年も前の人と同じ感覚を共通体験して座標軸を統一し、お互いに異なる感覚を個別に体験すると「こんな体験をしたよ」と伝えあえは実感が沸き、同床異夢の幅をより豊かに広げ、楽しさを倍加できるのではないでしょうか。

 その日の最後の仕事は、木酢液を大根やブロッコリーに撒くことでした。たまたまアイトワに立ち寄られたお客さんから頂いたものです。炭工房「もくもく」で作った『夢農園』という木酢です。初めて使いますから興味があります。これを使って育てた作物は健康上の不安を抱かずに食べられそうですから、それだけ美味しいことでしょう。

ちょうど小振りの漬け物樽一樽分ぐらいの収穫が出来ました。家で漬けた日の菜をあげてすぐに食べる味は格別です。その味がを今年も確認できそうです。特に自家製は太いのや細いのが混じりますから味わいはことさらです。樽が無くなるまでの期間、浅く漬かった頃に食べ出す味と、次第に季節か寒くなり、深漬けとなってゆく味を楽しめるのが何よりです。

芋の茎の皮は葉を取ったり適当な長さに折ったりしながら剥いてゆきます。母が存命中は、母の担当でした。


芋蔓を収穫した翌日の朝食。前夜食べ残した芋の蔓のキンピラ。卵焼き。前週佐賀県へ行った機会に買ってきたアゴ(飛び魚の干物)と辛子明太子は大の好物です。これに我が家流の野菜炒めが付きます。


庭で椎茸が取れる頃は、椎茸がたっぷり入ります。その朝に取れる庭の作物を生かした野菜料理をたっぷりと食べます。
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