「生きる喜び」01/12/25
秋田県を訪ねる機会に恵まれ、伝統的な民家の見学をと願ったのですが雪のために奥まったところには足が延ばせず、角館(かくのだて)を案内してもらいました。佐竹家という五千石の藩がめし抱えていた家臣団などの居住区と、そこに現存する歴史的な屋敷などの見学です。町には巨木が林立しており、自己責任の下に自己完結する生き方をしていた人々の文化の香りを嗅ぐことができました。
わが家にも背丈や太さだけなら負けない巨木が育っています。自己責任の下に自己完結できる能力を養おうとしてきたからです。私の場合は庶民的にそれを求めましたから、自分たちの出す生ゴミやし尿、庭からでる落ち葉や鉢植えで使った土まで自分たちの手でリサイクルし、循環させながら育てました。そのための自然水の確保と循環、野生動植物が自生できる食物連鎖の環などを尊重してきました。その家族ぐるみの工夫や努力が、環境問題や資源枯渇問題などと矛盾しないライフスタイルを考える上でとても役立ち、独自の「生活の営み」を守ることに結びつき、おのずとオリジナル性の高い生き方を編み出せたように思います。それはエコロジカルな生活文化を目指したものとなりました。だから、この生活空間を私たち夫婦はエコライフ・ガーデンと呼んでいます。
その過程で気づいたことがあります。野生の動植物や未来世代など声なき弱者にとって最も大切なものは何かと考え、その追求をし始めていたことです。それを取り越し苦労だといってしまばそれまでですが、じんわりとした喜びも感じさせてくれます。その喜びを求めている内に最も大切なものが見えてきました。それは安全な水やおいしい空気あるいは持続的にキノコや山菜とか燃料を確保できる里山など、生活の基礎的な部分です。それこそが基本的人権、いやむしろ生物の一員としての基本的な生存権の確保だとの気付きです。その保全や保守に貢献できた時にこそ、深い安堵の気持ちや万物の霊長としての喜び、ストレスの解放感などを手に入れられる時だと分かりました。
もちろん、ここに至る過程で不安を覚えたことがよくあります。たとえば、泥だらけになって庭仕事をしていると、子ども連れのハイキング客が「ボク見なさい、勉強せんと日曜日まであんなことせんなんよ」といった注意をするのです。案の上と言ってよいのでしょうか、気がつくと世の中ではわが家とは180度異なる生活空間を増やしていました。端的にいえば、ライフラインという日本独特の言葉を生み出し、そのラインで管理される生き方です。水まで刻々と料金チャージされ、それを切られたら万事窮する生活空間です。だから人々は生き方まで変えたのではないか。井戸をたよりに生きていた時のように水路や川を守らず、汚し、果てはボトルウォーターを買わされるところまで追い込まれています。やがては深呼吸用の空気ボンベまでがビジネスの対象になりかねません。心配なことは、空気ボンベやボトルウォーターを買える人はいいのですが、そうはいかない野生動植物です。つまり、弱いものから順にひどい目にあう構造では、不信や猜疑、争いやストレスの世界にはまり込んでしまいかねません。
かつては各戸で燃料や水などの確保をはじめ自己完結する力が求められ、その確保のために家族は相互扶助や相互規制の関係を保って生きていました。江戸時代は、それぞれの藩がその関係の確立と維持に藩民で努めるように統治してゆとりを生じさせ、そのゆとりで祭まで可能にする文化を生み出していたわけです。その文化がそれぞれの藩の人々のアイデンティティの源泉になっていたのではないでしょうか。
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1昼食を摂った西宮にも巨木が沢山ありました。子持ちのハタハタ・きりたんぽ・稲庭うどん等、勿論ガッコも。名物をごちそうになりました。ハタハタの卵の食感は、産まれて初めての体験で、食べなれるとやみつきになりそうです。
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旧家、田口家の漬け物蔵も見せてもらいました。前日朝日テレビの取材があったとかで漬け物蔵の主のお母さんは疲れて寝込んでおられました。昔は奥の大きな樽で漬けたとのこと。 |
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角館のガイドマップでは、田鉄家として紹介されている田口家でご馳走になったガッコです。燻りガッコは少し早すぎるということでした。柿漬け、人参、杏、赤カブ、瓜の漬け物やふかし茄子など10種類のガッコを頂きました。本格的に漬かった燻りガッコや柿漬けを一度食べてみたいものだと、雪の秋田でしみじみと思いました。
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石黒家の座敷から見た室内。石黒家では観光客を室内にまで案内して説明を加えます。家屋を痛めるはずですが、生活文化を伝えようとしているのでしょう。もしそうなら頭が下がります。大切なのはモノではなくココロや心意気です。その一室には婚礼衣装が展示してありましたが、春になると雛人形も見られるようです。
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思わぬところで思わぬモノを見つけました。解体新書に用いられている模写図が石黒家には展示してありましたが、その絵描きは当地の出身とか。原図は陰影で描いており、この模写は輪郭線で描かれています。彼我の感覚の差を見る思いです。 |
案の定例年にない深い雪が早々と降ってしまっていました。当地の方には申し訳ないのかしれませんが、私には思わぬお駄賃でした。見事な光景でした。こうした地域の人々が工業文明に惑わされずに文化を守ってほしい。間もなくその大切さが誰の目にも見えるようになるのではないでしょうか。 |
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43年前に苗を植えた山桜。当時下水を土中に吸収させていましたが、その池の縁に植えました。庭で地下水に戻しまた井戸で汲み上げる訳ですから変なモノは流せません。米のとぎ汁、漬け物の糠、磨き砂等、樹木の肥料となるものがいっぱい貯まったのでしょうこんなに大きく育ちました。 |
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