「年末年始」 02/01/17


 大晦は朝から庭掃除に奮闘しました。枯れ草を刈ったり庭木の徒長枝をはらったりしながら家の周りの掃除です。妻は私が作ったしめ縄を配りに出掛けたり、家の中で酢の物の準備をしたりと忙しそうに動き回っていました。お正月用の「リース」を創って毎年届けて下さる妻の友達に今年も届けてもらいました。昼食は、知人が送ってくれた生蕎麦を半分残し、妻が説明書片手にざる蕎麦にして食べました。実においしかった。
 午後遅くなっていましたが妻が応援に出てくれましたので、二人で1年を締めくくる落ち葉はかきをしました。といっても、これまでに妻が幾日かに分けてかき取った量から見ると半分ぐらいですし、かき残した部分がたくさん残っています。それでも3辺が70センチメートルほどある袋に詰め込んで30杯分もありました。3分の1は腐葉土の山に積み、3分の1は焚き火に使い、残る3分の1は初めての試みに用いました。それは果樹の下に敷きつめて野草退治をする試みです。柑橘類の木を5種7本植えてある一角がありますが、そこで試みることにしました。うまくゆけば年に2〜3回はしていた草刈りの手間が省けますし、やがては落ち葉が腐って肥料になるでしょう。へたをすれば期待外の昆虫の異常発生に悩まされるかもしれません。数年後に結果は出るでしょう。落ち葉かきをせずに残してある部分は、シロハラなどの渡り鳥やコジュケイがミミズや昆虫などの餌を探す場です。新しい試みは、その餌場を広げたようなことになるのかもしれません。
 落ち葉を大量に燃やしましたが、灰を得るのは結果であって、そのプロセスに狙いがあります。これ以上増えてほしくない草が種をいっぱいつけて枯れていたり茨が枝を張っていたりすると刈り取って即座に強い火で焼き捨てるためです。
 夕食を早めにすまし、妻はお重を詰め、私は鑑餅の飾りつけをしました。その時に厳しい年の瀬が話題になりました。内にあっては、リストラなどで戸主が失業し、家庭崩壊するケースが多いことです。本来は家族が結束する時なのに、近頃ではお金の切れ目が縁の切れ目のようになっている。それは社会の仕組みがおかしいのですが、その仕組みに惑わされ、お煮しめや漬物まで買って食べるものにしているような一面はないか。外にあっては、決死の暴力でしか訴えられない人たちに対して、最強国が武力でねじ伏せるようなことをし、新たな原因を作っているように見えることです。そのお金やエネルギーで対話や貧困救済を試みた方が正義や自由という叫びをもっと聞き入れてもらえるのに。
 数年前までは、お正月の準備を終えると町内の常寂光寺に出かけ、除夜の鐘を突きながらご近所の人たちと新年の挨拶を済ませましたが、観光化して騒々しくなり、今回もやめました。やめて風呂に入り、かけ蕎麦を食べて寝ました。食べながら、今頃は知人も私たちが送ったお揚げを使って年越し蕎麦を食べているかな、と話し合いました。
 元旦は、神棚と仏壇にお灯明をあげて妻と二人揃ってお参りをし、座敷で二人で新年の挨拶を交わし、お雑煮から箸をつけました。その後の二人は別行動です。妻は一人で喫茶店を開け、薪ストーブを焚きながら、毎年訪ねて下さる方々をお待ちします。私は年賀状の返事と電話番、調べ物などに当たります。思えば年賀状のために毎年通算2日ほどをかけて手書きをしていますが、今年は定年退職の挨拶を兼ねたものが多かった。夕刻に雨がぱらつきだしたので焚き火の灰が濡れないように覆いをかけました。
 夜は、蛤のお澄ましが出ましたが、妻が「お母さんが生きてらっしゃったら、こんな小さな蛤を買って、と言われたでしょうね」と笑っていました。                                                                                                    

この度のしめ縄は、藁が少なかったので例年通りの関係者に配った後、両親が住んでいた母屋などは割愛して飾りました。しめ縄づくりは下準備などもいれると1日がかりですが、楽しい。買えば1つ200?300円でしょうが、大勢でのウラジロとり、焼き芋や友だちがつくって持ってきてくれるお稲荷さんを頬張っていると幸せになります。

我が家では物々交換が大好きです。庭で採れたもの、妻が作ったもの、嵯峨名物などを送り、黒豆や小豆、蓮根、くわい、栗や鮭などさまざまなものと交換され、調理されます。一束の藁と幾ばくかのお金、そしてタップリと時間さえあれば年を越せるような生活の営みを大切にしています。


鑑餅には、水引で2匹のゴマメを腹合わせにして結わえて添えます。妻が「ゴマメは2匹残せばいいのですね」といっただけで煎りはじめましたので、私は「雌と雄を確かめてから残したね」と追求しました。返事は「はじめからお腹をくっつけたのを残しました」でした。

母が健在の時は、黒豆と勝ち栗の煮物、棒鱈のお煮染め、ゴマメ煎り、数の子漬けなどは母の担当でしたが、今は妻が母と同じように調理します。妻は黒豆を柔らかくふっくらと炊けるのに、母流に皺を寄せて少し固く炊いたほうが美味しいといいます。ゴマメは同じようにパリッと煎りますが、母のように焦がすまで煎りません。
数の子は、昆布と鰹節の出汁に醤油と味醂をさしてつくった汁に浸し、鰹節をたっぷりかけて2日ほど漬け込んでから食べます。丹波の出身の父方の流儀です。雑煮は三が日は白味噌じこみ、その後はかしわを入れた澄ましも作ります。母は徳島の出だからでしょうか、聞いておけばよかったのに、と思います。
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