職人万歳  02/02/14

 簾(すだれ)職人が、小さな建具を持参して妻の展示会に使う簾の打ち合わせにみえました。それは、わが家で三角部屋と呼んでいる部屋の天窓に使う建具でした。三角部屋とはわが家の客間の側室のことで、畳1枚半ほどの小さな三角形の部屋です。その天井に設(しつら)えた天窓に用いる夏用の建具でした。

 この客間は38年前、私が25歳の時に住宅金融公庫を使って建てた初めての家の一部です。部屋数を多くしながら安く仕上げることに苦心しましたから、6畳の間ですし、東側と南側にあるガラス戸の外は濡れ縁さえありませんでした。そこに2年前、念願かなって三角形の小さいながらも側室と、広縁をつけることができたのです。その時に、長年使ってきたガラス戸に変えて障子を入れ、座敷らしくしました。

 もちろんお金さえあれば、38年前に一緒に側室や広縁を作れば無駄もでず安くつき、耐震上もよかったことでしょう。だが、遅れたおかげでより望ましくなった点もあります。その一つが天窓です。当時の私にはその発想がありませんでした。もちろん他にも智慧を絞って設えた自慢の仕掛けがありますが、それは後日に回します。

 三角部屋には、天窓の他に壁に小窓を切っています。その小窓には雨戸もありますから夜分は閉めて寝ることができます。だが天窓には雨戸などありませんから朝が来ると光がさし込みます。それがよかったのです。座敷に寝た人は、その優しい自然の光を障子越しに感じ、朝が来たことを知るのです。ところが真夏になると、その天窓はあまりにも強い日を取り込み、暑苦しくなることが分かったのです。そこで、差し込む光を調節するために古い簾を使ってみると清涼感が出ました。その様子を後学のためにこの職人にお見せしたのですが、それが新たな建具を創る気持ちを起こさせたのでしょう。

 簾職人とお茶を飲みながら、私は唐突に「あなたは『職人』と呼ばれるか、『職人さん』と呼ばれるか、いずれが好きですか」と質問しました。それは、先週のこの週記で彼をどちらで呼べばよいかと一瞬迷ったからです。結局、私なら『職人』と呼ばれたいと思って『さん』を抜きました。それには訳があって、いつかどこかで、○○大臣と呼ばれずに○○大臣さんと「さん」をつけられ、大臣の値打ちも下がったものだなあと誰かが言ったのを思い出したからです。そう言われてみれば思い当たるフシがある、と当時私は感心しました。しかも、大臣は一時の仮の姿か借り物の称号ですからまだいいけれど、天職としての職人などの称号に「さん」をつけるのはどんなものか、と考えました。

 それはともかく、この簾職人は唐突な質問に対して、少し首をひねったあと、「そやねぇ『職人』の方がええなぁ」としみじみと答えました。私はこうした職人が生き生きと活躍できる社会になってほしいなぁ、と思いました。

 近頃では、たとえば大工や佐官も大工さんとか佐官やさんとさんづけで呼ばれるようになりました。同時に腕の凄さや創造性の発揮よりも、見かけの良さとか作業量を求められ、日当で働くようになっています。過日、旧家を訪ねたときに「長七たたき」を見ましたが、漆喰を使って打った土間が、ビクともしていませんでした。長七のような職人には面白くない世の中になったように思います。

 もっとも「さん付け」とこうした風潮とはまったく関係のない話かもしれません。妻も職人に憧れているようですが、庭にいる鳥にもトカゲにも何にでも、「ミミズさん」とか「イチジクさん」と「さん」をつけ、「孝之さん」と同じように呼んでいます。


三角部屋。濡れ縁もなかった客間に付け足した三角形の側室(左)と広縁(奥)。
三角部屋の天窓に付ける簾の日よけが出来ました。夏が待ち遠しくなりました。
いづれ広縁にも簾が掛けられる事になっています。

天窓の日よけ。竹で作った手作りの日よけがどのように清涼感を醸し出してくれるか。
その時がくるのが楽しみです。


寝室前の広縁。寝室も38年前はカラス戸だけで濡れ縁もありませんでした。9年前に父が死に、母屋と渡り廊下で繋いで三度の食事を母と一緒にとることにしました。その折りに出来た広縁です。
屋根全体をガラスにしましたので、冬は温室(左)のようになります。夏はアクリル障子を はずして葦簀(よしず)を入れると清涼感が出ました。しかもその上を43年前に苗を植えた杏が枝を張り日陰を作りますから実際に涼しいのです。

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