「もう春でしょうか」 02/02/25
2週間前の日曜日から菜の花を食べはじめています。久しぶりに澄まし雑煮を食べたのですが、そこに妻は菜の花を入れていました。わが家の菜園では例年になく菜の花が早く採れたわけです。その日は、昼に美味しいざる蕎麦も食べました。蕎麦は、前日14年ぶりに再会して青年がお土産に持ってきてくれたものです。その日の内に食べたかったのですが、夕食が付く「アイトワ塾」の日でしたから、夕刻に少しだけ妻と味見をし、残りは冷蔵庫に入れて残しておいたのです。 かつて私は長野まで友人を頼って出掛けたことがあります。その時に中学生時代の彼と会っています。友人が勤めていた中学校を日曜日に案内してもらったのですが、そこで出会った中学生の一人でした。その時から文通がはじまり、大学に進んだ彼は中国に留学し、中国からしばしば便りをくれました。そんな縁で、彼のお母さんと妹さんにも一度わが家を訪ねてもらっています。この度はお父さんと本人のご訪問ですから、お婆さんを除いて親子全員に訪ねてもらったことになります。 実は、彼のお母さんと妹さんに訪ねてもらえた折、後日長野からクール宅急便で生蕎麦を送ってもらいました。それがなんとも美味しかったのですが、それを覚えてもらっていたようです。この父子には、蕎麦の他にも嬉しいお土産話を持参してもらえました。妹さんの良縁です。母娘に訪ねていただいた時に、近くの野々宮神社で良縁の願をかけたとか、それがかなったようだとのことでした。きっと近いうちに母娘にもお礼のお参りがてらにまた訪ねてもらえるかもしれません。 もう一つ、彼はクラス会の話もしてくれました。その中に、彼と同様に文通が続いている人がいるのですが、「このあいだ会いましたよ」ということから話が弾んだのです。彼が卒業した中学校は3年間持ち上がりですが、「私たちのクラスはしょっちゅう会っています」というのです。他のクラスはそうでもないようですから、彼の恩師、それは私たち夫婦にとっての友人ですが、のことで話に花が咲きました。挨拶や交信、そして交遊の仕方をきちんと身につけた人は幸せだなあと思います。 その翌朝の雑煮に菜の花が入っていたわけです。前日の話しに咲いた花にまけじと菜の花も頑張ったのかな、と子どものようなことを考えました。それはまあいいとして、一番に蕾をつけたのは「すぐき菜」の採り残しでした。採ったすぐきは漬けましたから、今頃は漬物樽の中で順調に醗酵していることでしょう。温室に入れてあります。実は、次週の日曜日に今年初めてのすぐき漬けを上げようと思っています。 やがて白菜、大根、水菜、壬生菜と畑の菜は次々と蕾をつけることでしょう。例年より早く本格的な菜の花シーズンに入りそうですが、それを喜んでいいものかどうか。その一週間前にツルキキョウが狂い咲きしていただけに少し心配です。もしこのまま春になれば、2重の異常気象です。昨秋、例年になくカメムシが発生しました。案の定、雪が早く降りました。そう思う間もなく、暖冬のようになり、有名な「京の底冷え」をあまり体験することなく菜の花の季節になってしまうわけです。もう一度冷え込み、雪が降り、正常にもどってほしものです。というのは、昨秋は「綿」の木にも異常が表れていました。綿の実が弾けず、綿帽子が見られませんでした。こんなことは初めてです。例年より成長が順調であっただけに心配しているわけです。関東の知人も綿の実が弾けなかったと話していましたから、わが家の庭だけで生じた異常ではなさそうです。
14年前に長野の友人が作ってくれたアルバムを取り出してみると最初の一枚がこの写真でした。
1989年1月30日長野に着いたその足で中学校を訪れていた訳です。しゃがんでいる 右側の少年が今は立派な青年です。この中にもう一人文通の続いている人がいます。
その旅では念願だった安曇野の碌山館も訪ねています。私はカミーユ・クローデルという女流彫刻家が好きですが、碌山はカミーユとも出会っているはずです。二人は共にロダンの弟子でしたから。こうした一人の芸術家を記念した小さな美術館は本当に心地よく感じます。