コンパニオン  02/06/04                                            

 過日、終生忘れられないような昼食をとりました。「ワーッ、娘を持ったような気分だ」と思わず叫んでいました。学生に初めてお弁当を造ってもたったのです。もちろん、それには訳があります。実は、昨年の春から私は学長室を学生に開放してきました。といっても「いつでも好きなように」というわけではありません。これまでもドアーをノックさえしてもらえば、いつでも誰にでも即座に入ってもいましたが、昨年から「学長室で昼食を一緒にとりませんか」と学生に積極的に呼びかけたのです。といっても、その場合は学生にオニギリを2つ買って来てもらって、あとで代金を支払うことにしています。ところが、この日は手作りのお弁当を用意して訪ねてもらえたのです。

 ときどき学生から「昼食を」と声をかけられますが、そう多くはありません。多くは、講義の折などに私がつくっています。私は学長にされた後も授業を幾つか持ち続けていますが、時に食事に誘いたくなる意見や質問が寄せられるからです。過日も「植物に囲まれた人生を私も送りたい」との意見が1年生から寄せられ、放ってはおけず「明日のお昼に友達を誘って来ませんか」と声を掛けていました。1カ月程前のことです。

 学生は4人で訪ねてくれました。2人はお弁当で、残る2人はオニギリ持参でした。それも、一人は自分で造ったお弁当、一人は母親に造ってもらったお弁当。オニギリも一人は手作りで、もう一人は出来合いでした。丁度今1年生に「ライフスタイル論」を講じていますが、そのテキストに使っている拙著では昼食の場面にも触れています。それは学校勤めが始まった頃の昼食風景で、学食での残飯の出方が、誰が誰のために造った昼食かによって異なるようだ、と気づいた事に触れています。心の通わない食べ物、つまり相手の顔が見えず、お金儲けのために作られた食べ物ほど残飯が出よかったようです。

 こうした思い出を私はお茶を入れながら話しました。私は特別な来客は別にして、自分のお客さんや自分のお茶は自分で入れています。また大垣では自炊もしています。夜が遅くなるときに泊まれるアパートを借りているからです。でも学校勤めが始まるまでは自炊などは考えられないことでした。母は男を台所に立たせたがらなかったし、妻は今も立たせたがりません。だから学校勤めが始まるまでは、ある例外を除いてお茶も入れたことがありません。そんな話も、食事の途中でしました。

 その翌週、2年生と昼食を採りました。「夏休みに先生の家でゼミを開き、参加させてほしい」との声が寄せられたからです。だからその学生と昼食をとり、他に希望者を誘うように勧めると同時に、1年生で草木に囲まれた人生を希望した人に再び声をかけ、夏のゼミの案内をすることにしました。1年生はまた同じ4人で訪ねてくれました。その一人が自分のお弁当を造る時に私の分も用意してくれたわけです。前回はオニギリだった2人の学生も、母親に作ってもらったお弁当を持参していました。

 実は私は、ことのほか食事を大切にしています。かつてはキャンパスで野菜を育て、学生と一緒に調理をして食べたりしたものです。同時に、他の先生方にも学生と一緒に昼食を作って食べる時間を儲け、コンパニオンの関係になるよにお勧めしています。コンパニオンとは、一緒にパンを食べる人のことだったと思います。そのコンパニオンの関係を楽しんでいる最中に図書館長が来室し、学生の手作り弁当を食べている私を羨んでいました。さぞかし私は嬉しそんな顔をしていたに違いありません。                     
           

食事をほぼ終えた頃に、広報担当の女性が図書「館長に聞きました」といってカメラを持って訪ねて来て、写真を撮ってくれました。同じ写真を撮ってもらうなら、中身がある間に撮ってもらいたかったなあ、と思います。この可愛い手提げ袋にお弁当が入っていました。かやくご飯と白菜を使ったおかずに小さなオムレツとプチトマトが入っていました。よい味付けでした。学生の方のお弁当にはオムレツが入っていなかったようです。

学長をやらされる以前は、私の立ち上げたクラブの学生と毎週一回昼食を共にするようにしていました。ゼミ室で一緒に腰をかけ、「いただきます」と唱和して食べるだけで、私には心が安らぐ時間でした。学長室は少し落ち着きませんが、それでも心がなごみます。かつてのように、時々学生と一緒に作って食べたいな、と思います。

わが家の畑ではトウモロコシが根づきました。このトウモロコシは、中国奥地の少数民族を訪ねた折に手に入れた種から増やしたものです。その奥のジャガイモには小さな芋がすでに入っていることでしょう。手前右はツタンカーメンのえんどう豆で、種を採る時期が近づいています。右奥はコイモです。とにかく多品種超少量生産の畑です。

庭にはキウイの他にムベやアケビを育てる棚があります。亡き母だけでなく妻も、男には調理をさせたがりませんが、食材の確保には係わらせます。私は小学1年生から畑仕事を手伝い、鶏の飼育を担当し、4年生から締め役につき、中学生から鶏の解体はもとより山羊の飼育や乳絞りも担当しました。だから、今も食材作りが好きなのでしょう。

今年も沐浴剤作りが始まっています。3月に収穫したスギナやヨモギはすっかり干し上がりました。すでに第一次のジュウヤクやレモンバームの乾燥も終了段階です。私は干して刻む作業まで担当します。晴天の日は、たらいに水を張って沐浴剤を入れておき天日で成分をださせます。
紋別の友人から毎年のようにハマボウフウが送られてきます。「もう一年が過ぎたんだね」と妻と語り合いました。オホーツク海に面する浜辺で友と一緒に採ったことがあるのですが、それは大変な作業でした。半日がかりの仕事ではなかったかと思います。今年は妻に甘酢漬けに挑戦してもらおうかな。
topへ戻る

このサイトへのご意見、ご感想などは、staff@shizen.ne.jpまで