来年の約束 02/08/26
2週間も家を空けていた間に、庭は乾燥し、悲鳴を上げていました。フェンネル・シードは種がよく乾いて好都合だったようですが、キュウリはゆがみ、トウガラシは皮が固くなっていました。カボチャは成長期を過ぎていましたので、むしろ実がしまって美味しく熟れさせることでしょう。トマトは、もはやよい実は望めそうにありません。もちろん、十分な水やりをしておれば話は変わっていたと思いますが、わが家はそうした無理はしません。結局、例年のごとく、ゴーヤ、ツルムラサキ、モロヘイヤ、オクラなど乾燥に強い生野菜で食卓を飾ることになっています。
それよりも何よりも、チベットに出かけている間に、トウモロコシのシーズンが終わっていたのが残念でした。出発前日の夕刻に、少し若い実を初収穫して期待通りの味だと確認し、帰国した日の夕刻に末(うら)成りのような最後の実を食しましたが、ベストシーズンは終わっていました。もちろんその間に、妻は10本ばかりを収穫して蒸して冷凍していましたが、私はまだ手を出していません。きっと楽しい友と、楽しく食する機会が巡ってきそうな気がするからです。
それにしても、こうしたコクのある味を楽しめるトウモロコシがなぜ市場から消えてしまったのでしょうか。ついこの間まで、北海道の「もぎたてのトウモロコシ」が飛行機便で都市に届けられた、と新聞やテレビがニュースにしていました。そうした刻々と味が変わる繊細な味の品種は、今や種さえ手に入らないのが実情です。今日市場に出回っている品種は、糖度を増し、その甘さが持続するように品種改良したものばかりです。それは、少々収穫時期がずれようが、日を置いて食べようが、甘さだけはさして変わりません。だから、誰でも同じ味を楽しめそうで一見は公平に見えますが、不公平を蔓延させています。つまり、お金さえ出せば楽しめるようにした品種改良ですから、拝金主義者や成り金の天下にしたようなものです。もちろんこうした甘さだけ競う品種改良は、私には味覚の退化や幼稚化を進めているようにしか思えません。
それはともかく、近年は異常な乾燥と多雨のいずれかで悩ませられ事態が増えました。欧州は今や洪水に悩まされ、インドやアメリカあるいは南部アフリカは干ばつに悩まされています。中国は、地域によって洪水か干ばつに泣いています。何かが異常です。わが家ではこうした事態を予測し、治水には十分な配慮をしてきたつもりです。たとえば雨を地下浸透させるためにコンクリートで塗り固める部分はごく一部に限るなど。さらに、その土に含ませた水分を、幾日もかけてじわじわと集めるために暗渠を土中に埋め込み、貯水槽に溜めるなどの工夫です。
わが家の庭は約3000平方メートルですから、たとえば150ミリもの雨が降れば、450トンの水に恵まれたことになります。それを流し去るか溜め込むかの問題です。溜め込む工夫をすれば、日本の都市であれば渇水で街路樹を枯らすような事態は生じさせずにすみそうです。こうした考え方や工夫も学ぶために、明日から学生が2泊3日でわが家を訪ね、体験ゼミに入ります。このゼミのあとで、わたしは冷凍トウモロコシを解凍するために遠路馳せ参じてもらえそうな友と連絡をとりたいと考えています。それはきっと、もぎたてを味わいたい心境にさせるはずですから、「来年の約束」をさせてくれることになるでしょう。
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ゼニガメが少し大きくなっていました。前回の写真は私が捕まえた大きい方の亀でした。この写真がゼニガメです。毎日二匹も三匹もイリコを食べて元気にしていたわけです。秋までにコジュケイなどに襲われても負けない甲羅にして逃がしてやりたいと思っています。
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シーズンが終わっていたトウモロコシです。二本ばかり種用に残し、後は妻が収穫して蒸して冷凍しているとのこと。来年はシーズン盛りに採ってすぐに焼くなり蒸すなりして食べたいと思います。ほんのりした甘さですが飽きのこないこくのある味です。
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今回のカボチャの作り方は成功でした。左側のヒョウタンのような形のカボチャは京野菜の鹿ヶ谷カボチャです。熟れると茶色くなり置物のように美しくなります。右の二つは炊くと栗のように美味しくなるカボチャです。このほかにもキウィフルーツの棚の上でもいくつかなっています。
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ヤムイモは乾燥にも負けずこんなに大きく葉と蔓を茂らしています。さぞかし大きなイモが入っていることでしょう。どのような味か今から楽しみです。 |
ツルムラサキがシーズンの真っ最中です。炒めたり、おひたしにしたり、スープの実にしたりと重宝しています。虫にも食べられず乾燥にも強く我が家の貴重な夏野菜です。蔓が白い種類と赤紫色の二つの種類がありますが我が家は白い方だけ育てています。
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