結果か過程か  02/09/15
                                         
 先週妻が播いた白菜はうまく育ちませんでした。私は水やりの失敗だと見ています。畝が乾き、種が乾いたりコウロギに食べられたりしたのでしょう。だが、妻は水やりに怠りはなかった、と主張しています。何れにせよ芽は出ませんでしたから妻は急いで播き直すことでしょう。でも、この1週間あまりの差は大きな結果となって現れそうです。

 水やりは難しいものです。やり過ぎると肥料分を流し去るだけですし、少なすぎると表面を濡らしただけに終わってしまいます。適度にまいたつもりでも、天候次第で左右されます。一番怖いのは、1日に何回もジョウロでサッと水やりをするケースです。いつも表面が濡れていますから安心していたら、土の中は乾いていることがあります。私のやり方は、少し乾かし気味にしてからたっぷりと水をやる方式です。根が水を求めて深く伸び、丈夫になるような気がするのです。いずれにせよ、水をやった、やらぬと押し問答するのが狙いではなく、いかに枯らさない技術を会得するかが課題です。

 妻の仕事の仕方は、満遍なく力を入れる傾向です。私は集中型で、放っておいてもよいと思えば横着をします。だが、たとえば播種でいえば、自分で播ける時は、撒いた後は朝な夕なに見回って、もう大丈夫というところまで集中的に目をかけます。そうしないとすべての努力が無駄になってしまうような気になるからです。もちろん、このいずれのやり方が本当によいのか、私には答えられません。私のやり方や考え方を突き詰めて行けば結果主義になりかねず、とどの詰まりは収穫のために働いているようなことになります。それでは私たちの畑仕事を見て不思議がる人のことを笑えません。

 私たちはとても畑仕事を大切にしていますが、時々不思議な質問を受けて戸惑います。たとえば、妻に畑仕事などさせずに人形創りに専念させてあげればよいのではないか、といった質問です。そうすれば沢山人形が作れることになり、その人形を売って得たお金で野菜を買えば、自分たちで作るより何倍もの野菜が買えそうなのに、「どうしてそうしないの」との疑問です。こうした質問を受けるたびに、私は心配になります。人生にはお金では計算できないものが沢山あります。むしろお金では計算できないものの方が大切であることが多いように思います。生きる実感や自信、その生きる自信や実感を分かち合うことで生じる誇りや信頼感などもお金では計算しにくいはずです。たとえ貧しい食事であれ家族が一緒に家族の手作り料理を食べるのがよいか、お金を稼ぐために時間を割き、家族は個々の好みにあわせた調理済み食べ物を孤食で済ます方がよいか、簡単には答えられません。わが家は前者優先派ですから、外食はもとより、外食せざるをえないUSJなどに出掛けたこともありません。もっとワクワクすることに時間を割きたいのです。

 過日、おもしろい記事を新聞で見つけました。「八列トウモロコシ『復活』で予約殺到」との見出しです。甘い品種に押されて姿を消しつつあった昔のトウモロコシの種を探し出し、北海道で栽培した人が10本4700円で予約を募集したら120件の応募があったという記事です。それは明治時代に北海道に持ち込まれた品種だそうですが、私が中国奥地で手に入れてきた種は同じ系統のようだと分かりました。

 畑仕事は、作る過程が大切なのか、収穫の多寡など結果が大切なのか、難しい問題です。私達夫婦は、恋と同じように、過程を大切にしているつもりです。何事も、没頭しきれる時間にしたいわけです。それにしても、よい土作りは難しいなあ。


妻は、白菜の種をポットに蒔き直しました。わが家では白菜は冬の大切な野菜ですが、うまく結球した白菜がなかなか採れません。理由は種播きと日照問題です。早く播くとコウロギの食害や残暑とか秋雨による被害で失敗し、二度播き三度播きさせられます。遅れると、裏山や樹木の関係で日照時間不足となります。だからといって農薬などは使いたくありませんから、妻は結球しない白菜を「緑菜」と呼んで重宝しています。



中国奥地の苗族が主食の一つとして育てているトウモロコシです。一昨年、種をもらって帰り、昨年から育て始めた最初の収穫物です。昨年は、期待通りの品種だと確認しただけで収穫物はすべて種として残しました。今年はチベット旅行で留守をしたために、試食しかできませんでした。来年は、採りたてをたっぷりと食べられる身分になりたいなあ。


この夏、町内の地蔵盆に妻がお供えした「野菜の盛り合わせ」です。
妻は嫁いできた次の夏から始めましたから、もう30年近くわが家の野菜をお地蔵さんに捧げています。きっと死ぬまで続けたいことでしょう。地蔵盆で、何故か妻はハッスルしていました。きっと忙しい人の手助けをしたかったのでしょう。
お地蔵さんの「よだれかけ」や「のれん?」が痛んでいたといって「新しいのを作りました」と、いって見せてくれました。急いで作ったにしてはそこそこの出来ばえだと思います。



このたび収穫したカボチャです。ヒョウタン型が京野菜の鹿が谷カボチャです。食料とは、味や品質も大切ですが、もっと大切なものがありそうです。日本人は今、食の安全性の問題について日本の企業や政府に不安を抱いていますが、20年もしない内に「量の問題」でパニック状態に陥れられかねません。この点を今から意識して、政府や企業の吟味の仕方を身に着けておくべきではないでしょうか。


中国ホウセンカのシーズンです。十年ほど前に中国の成都で手に入れた種から我が家の庭で自生するまでになりました。濃い緋色の花からピンクの花、それらの色が様々に入り交じった花をつけるホウセンカです。この夏の旅行でこの種をくれたお婆さんと再会したかったのですが、かないませんでした。
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