高山病体験記 02/11/05

 不動湯温泉の長い階段はチベット旅行を思い出させました。高山病を気にしてラサ空港に降り立ちながら、「この程度か」と軽く受けとめるという失策を犯した思い出です。耳はツーンとしないし、気候は爽快で、美しい山並みに見とれてしまったのです。だから迎えのバスに揺られているうちに睡魔に襲われ、ホテルに着くまでまどろんでいました。これが第二の失策でしょう。ホテルに到着し、ロビーの応接セットにドッカと座り込みました。すでに体調を狂わしていたのでしょう。だが、昼食の中華料理が美味しくて満腹するまで食べました。これが第三の失策ではないでしょうか。

 部屋で荷を解く段になって異様な気だるさを覚え、ベッドに横たわりました。ベッド脇には酸素補給機が備えつけられていたし軽い頭痛を覚えましたが、高山病は「慣れることが第一」と聞かされていたので薬を服用しませんでした。心地よい気温でしたがなかなか眠れません。それは眩しさのせいだろうと考えてカーテンを閉じましたがこんどは薄暗い電灯の光が閉じた瞼に眩しい。やむなくアイマスクを取り出しました。この時にも私は思い違いという第4の失策を犯していたように思います。

 夕刻、吐き気はしませんでしたが食欲がなく、頭痛が酷くなっていましたので頭痛薬だけ飲み、夕食を抜いて翌朝まで寝ました。これは適切な判断であったようですが、この時にもう一工夫しておくべきであったと思います。常は休肝日のない私が、この日から2日間はビールさえ断っています。飲む気が起こらなかったのです。

 翌朝、食欲がなかったので粥を食べました。他に野菜と豆腐料理を選び、肉類や油ものは避け、最後に砂糖をかけたヨーグルトを非常に美味しく食べました。食後、早速ポタラ宮の見学に出掛けました。それはまるで苦行で、階段を一段づつ深呼吸をしながら登りました。午後も、その翌日も、階段は一段ごとに一度深呼吸をするように心掛けました。タオルで首筋を強い太陽光線から守りましたが、とても快適でした。

 どうやら私でも工夫次第ではなんとかなりそうだと考えるようになりました。それは先ず高山病をなめてかからず、到着後は居眠りなどしないで意識的に深呼吸をして体に酸素を供給する。次に食べ過ぎて余分な血液を消化などに回さない。さらに脳は大量に酸素とブドウ糖を要する器官だから、酸欠だけでなく糖分不足にならないように配慮する。さらに、強い日差しでいわゆる雪眼にならないように強いサングラスをかけるなど。

 こうした注意点を自らに言い聞かせられるまでになりながら、ラサ3日目の6日は、少し体が慣れたのをいいことに新たな失策を犯しました。それは、市街の露店での買い物に心を奪われ、深呼吸を心掛ける配慮を欠いたことです。そのとばっちりは翌朝に現れ、悪しき体調に戻っていました。この失敗にこりたお陰か、その後は常に息を整えることに配慮し、カンバ峠の標高4852メートルもなんとか無事に過ごすことができました。こうした留意点を胸に秘めてもう一度チベットに挑戦してみたいと考えています。

 挑戦意欲を取り戻した私ですが、高山病はともかく、今後のチベットの行く末がとても心配です。近代化に食いものにされてしまうのではないか。今はまだ、地方の人はいわゆるスローな生活をしていますが、都会には金色夜叉が現れ始めています。それはともかく、わが家の菜園では、いましばらくトウガラシに頑張ってもらおうと思っています。初霜が降りかねない冷え込みですので霜除けをしておこうかな。
   


               


カンバ峠の道中に、富士山より1000メートルも高いところで自給自足生活者だと思われる家屋を見掛けました。半農半牧です。ヤクと山羊を飼い、麦、菜種、ジャガイモを主に育てていました。次の家まで何キロも離れていました。それぐらい広い縄張りをもたないと一家は食料などを自給できないのでしょう。もう一度チベットを訪ね、こうした自給自足生活の実体を調べたと思います。


ルビー色の花が咲くソバを見掛けました。本格的な食料ではないようで、栽培面積はとても狭い。このソバをどう生かすのかとても気になります。私は学生時代に山形県の面白山の黄銅鉱山でボランティアをしましたが、飯場で野菜不足に気付いて注文をつけると、飯炊きのおばさんがソバの新芽でお浸しを作ってくれました。美味しかった。

ポタラ宮はそびえ立っていました。チベットの父ともいうべき偉大なダライラマ5世の偉業を讃えて建てられました。ダライラマ5世は死後6世が成人するまで15年間も死を伏せられたといいます。この宮殿が人々の心の支えになったのか混乱もなく時を過ごしたわけです。53年前にダライラマ14世がインドに亡命してしまい、今は本尊不在となっています。

次回は高山病対策に心掛け、カンバ峠の道中で見た半農半牧の自給自足生活者と思われる人達の生活のありようと、蕎麦を育てていた人の蕎麦の生かし方などの調査もしたいと思っています。ルビー色の花を咲かせる蕎麦を育てていましたが、その量は少なく、お祭りの時に儀式的に使うとか、嗜好品として使われているのではないでしょうか。

トウガラシの霜避けの覆いをかけました。例年、霜が降る直前に抜き去り、葉をとって佃煮を作ってきましたが、今年は11月中旬まで畑に残しておきたいのです。最初に紅葉するアメリカハナミズキは真っ赤になりましたがモミジはまだです。中旬までには紅葉しないかもしれません。ちょうど今、庭では朴の葉が落葉しています。。
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