10年後のチベット? 02/11/26

 商社時代の友人の訃報に接し、お通夜に行きました。その帰途、なぜかチベットを思い出しました。この夏、初めて中国の成都をへてチベット自治区を訪ねた時の思い出です。そこで服飾動向を垣間見た私は、わが国の明治〜大正期を連想しながら、なぜかチベットの悲劇と新たな貧困にあえぐチベット人の未来を瞼に結ばせてしまいました。

 成都では、わが国の60年代を彷彿とさせるような光景を見ました。わが国では三種の神器から家電製品を順次買い揃えましたが、成都では世界がこれまでに開発したすべての品目を一斉に最新鋭製品で紹介し、100元を最高額紙幣とする国で2万元3万元といった品を売りつけていました。女性ランジェリーの売り場では、製品だけでなく売場作りまでが先進工業国なみで、先進工業国で実験済の仕掛けとモノが持ち込まれているように感じました。

 成都のホテルでは求められなかったのに、チベットの首都ラサでは荷物を運んだポーターにチップをせがまれました。街では、一般食堂は外国人と知ると受け入れないのに、その近隣には女性を商品化したような店を点在させ、外国人も大歓迎の雰囲気でした。チベットでは今、四川(中国)化する食事の他は、生活様式をすべてアメリカ化していました。ラサの幾箇所かでミスユニバース・コンテスト国内予選のために集った大勢の若きチベット人女性と出くわしましたが、身のこなしまでアメリカ流でした。ポタラ宮や大昭寺では、民俗衣装をまとった奥地から来た巡礼者とアメリカ流の衣服を着た都会人と観光客がひしめきあっており、文化と文明が衝突しているように感じられました。

 中国を経てアメリカ化しているチベットはすが、公官庁、近代的工場、大手ホテル、外人用食堂、奢侈品を取り扱う商店などの主要ポストは中国人によって占められています。アメリカ化した観光客を目の当たりにしてチベット人は欲望を刺激され、その膨脹した欲望を中国や中国人を経由して満たすような立場に立たされているわけです。

 他方、郊外の田園地帯では、かつてのわが国の「結」に似た方式で麦刈りをする光景を見ました。農繁期などに人手を貸し借りする助け合いです。ヤムドゥク湖を訪ねる道中では、自給自足生活者らしき電気の通じていない家屋が点在しているのを遠望しましたが、それらの家屋では未だに入浴や洗濯をしない文化に従っているようです。他方、ラサの都市生活者は電気洗濯器とテレビをほぼ買い揃え、6割の家庭が電気冷蔵庫や掃除機を保有し、週に2〜3回は入浴し、民俗衣装は正月と結婚式程度しか用いず、ファミリーレストランに出掛けることに憧れるようになっています。

 かつて日本はミスユニバース3位入賞に沸き立ち、1位を生み出すまでの間に家電や団地、ロックンロールなどのブーム、森永砒素ミルク事件、一億総白痴化、国民車構想第一号車誕生、バービー人形上陸などを見ながら、経済白書に消費革命という言葉を登場させています。その間にアメリカは原潜進水、ミサイル開発、プレイボーイ創刊、マクドナルド一号店開店、フリーウェイ建設、ディズニーランド開園、ショッピングセンター誕生、IC開発などをなし遂げています。ラサにもすでにマクドナルド、ペプシコーラ、KFC、エイヴォン化粧品などが進出しており、アメリカは巧妙な集金システムを敷設しつつあるようです。そう遠くない将来、チベットからミスユニバース上位入賞者が誕生し、最高位を目指す熱気で煮えたぎることになるのかもしれません。



               


友人は、無宗教の葬儀を選んでいました。60年代の独身寮で一緒に過ごした友人ですが、当時を彷彿とさせるようなウェスターン音楽が終始流れており、「テネシーワルツ」が献花をする時に流れました。彼は背が高く、ジーンズとテンガロンハットが良く似合う好青年でした。商社時代の集いの幹事さんでしたが、わが家のガーデンパーティーに御夫婦で参加してもらったこともあります。もちろんテンガロンハットをかぶって一曲歌ってくれました。せめてもう一度このアイトワの景色を見てもらいたかったものです。



チベットでは『チベット旅行記』を残した河口慧海が逗留したという寺院も訪ねましたが、大勢の若き僧が境内の木陰で問答を繰り返していました。立っている僧が「さあ、答えてみろ」といわんばかりに詰問をするわけです。木陰をつくっていた木は、若葉を食用にできる、と通訳が教えてくれました。


チベットの田舎では女性は民族衣装に身を固めていますが、子どもたちには洋装をさせています。男性は田舎でも民族衣装は見られず、中国の人民服など一昔前の中国人男性を連想するような服装をしています。都会でみる男性と若い女性は私たちと大差がない服装です。その人の服装を見れば、あるいはその地域の服飾を見れば、その人や地域を支配している価値観や美意識が読めそうな気がします。



チベットには今も仏教文化が生きていますが、大昭寺では巡礼者が五体投地を繰り返す姿をミスユニバース挑戦者やそれを追いかけるマスコミは極めて冷淡な目を投げかけていました。いずれは巡礼者の子どもたちも五体投地を奇異なものを見るような冷淡な目で見つめはじめるのかも知れません。



護摩?を炊くチベットの女性です。かつてわが国には「お天道様が見てござる」や「もったいない」という言葉がありましたが、今では死語にしています。「足るを知る」心を忘れ去り、物的な豊かさを求めて歩み始めたわけですが、さまざまな問題や矛盾に直面しています。同じことがチベットでも生じるのではないかと感じました。

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