2つの忘年会  02/12/31

 二重のありがたい連休となりました。東京からの友人を交えた恒例の集まりと、アイトワ塾の年末パーティーが二日続きになったおかげで、ありがたい年末になりました。御寺(みてら)と呼ばれる泉涌寺(せんにゅうじ)の拝観、冷泉家(れいぜいけ)の訪問、御所散策、廬山寺見学、常寂光寺のご住職との面談、そして2回の忘年会。これらが私にとっては一連の行事になったのです。しかもこの2日は、前日の冷え込んだ終日の雨とは打って変わった好天となり、私にはもう一つのありがたい贈り物になりました。

 泉涌寺には大勢の天皇や皇族のお墓があります。冷泉家は現存する最古の公家住宅で、歌聖と呼ばれる藤原俊成と定家の父子を遠祖とする「和歌の家」です。廬山寺にも天皇や皇族のお墓がたくさんありますが、そこは紫式部が源氏物語を書いた邸の跡としても知られます。常寂光寺には藤原定家の木造をおさめた歌仙祠があります。要は、「侘・寂」の世界を生み出す前のわが国の美意識「雅」を彷彿するような好天の2日になったわけです。そしてその好天が、私にとってはもう一つの贈り物になったわけです。

 この2日を迎える前々日に、いけばな嵯峨御流の機関誌『嵯峨』が1月号で冷泉家を採り上げていることを知り幸先の良さを感じました。嵯峨御流は、嵯峨天皇の美意識を開祖とし、嵯峨御所であった大本山大覚寺が総司所ですが、その機関誌が京都の名所を訪れるシリーズ記事「古都にいける」で冷泉家が採り上げていたのです。私は同誌にエッセーを連載させていただいている関係でその記事を目にしたわけですが、私にはもう一つ冷泉家に関して後で触れますような間接的な縁があっただけに心が踊りました。

 泉涌寺を訪ねる当日の朝、梅原猛が京都新聞の続京都遊行で泉涌寺とその開祖を採り上げていることを知り、この偶然に驚きました。メンバーの中には新聞を片手に梅原先生のお宅に長電話をしていました。この寺には玄宗皇帝が楊貴妃をしのんで作らせたという唐代の楊貴妃観音がありますが、なんといっても仏殿が必見です。同じ大きさで作った過去・現在・未来に対応する釈迦・弥陀・弥勒の三尊像が安置されています。その高さ14メートルの内部空間は見事で、毎年3月中旬に巨大な涅槃図が開帳されます。

 廬山寺は紫式部の邸宅遺跡として知られますが、見学の栞で紫式部を日本人でただ一人「世界の五大偉人」に選ばれた世界最古の文豪だと紹介し、源氏物語絵巻の複製などを飾っています。この寺には明治天皇の生母となり従2位勲1等に輝いた中山慶子(よしこ)が正2位女官もしくは順皇后の装束に身を固めた写真を飾っています。

 常寂光寺にはご住職に写真をお届けするために訪ねました。妻がこの秋に私たち夫婦共通の友人を常寂光寺に案内し、紅葉の盛りの境内でご住職といっしょに撮らせていただいた写真ですが、その友人も交えてお訪ねし、お茶を御馳走になりました。その後で歌仙祠も見学したのですが、境内は落ち葉掃除を終え、すっかり冬景色になっていました。

 わが家は今、落ち葉が一部を除いてそのままになっています。落ち葉を腐葉土にする恒久的な堆肥場のセメントが乾くのを待っていたわけですが、これから正味2〜3日かけてかき集め、積み上げる作業に入らなければなりません。その作業をする上で、この2日続いた好天が私にとっては好都合な贈り物・天の恵みであったわけです。乾きすぎた落ち葉も始末に困りますが、濡れ過ぎた落ち葉も重いだけでなく、履き取ったりかき集めたりするうえで困りものなのです。
               


泉涌寺の仏殿は参道を下ったところに建っていますからこじんまりと見えますが、なかなかの建造物です。京都では応任の乱を「この前の戦争」と呼ぶ人がいますが、そのこの前の戦争で全焼したあとで建て替えられたものです。しかし、高さ14メートルの空間を支える4本柱は、一本の欅(ケヤキ)から切り出したものだと教えられました。当時はまだそのような太い木があったのですね。



冷泉家のハレの日に用いられる飾り竃土(かまど)です。冷泉家は定家の日記『名月記』などの古文書の宝庫でした。その出版活動に携わっている朝日新聞社の担当責任者が私の処女作の編集に係わっていただいた関係で、かねてから一度は訪ねたいと願っていました。25代目ご当主は、ご養子として入られたようですが、食事時に交わされる花鳥風月を愛でる会話に触れておられました。この点だけでいえばわが家の食事時と一緒だなと思いました。



この忘年会では、TVなどでおなじみのオジさんや多くの人が毎日読んでいた銘コラムニストのオジさん、あるいはなかなかのお習字のお師匠さんや歌姫などが集い、美味しい揚げ出し豆腐や川魚の料理もだす小料理屋を借り切り、カウンターで隠し芸を披露します。わたしは歌の番がまわってきそうになるとトンズラすることにしています。今回はその前に、好物の「浜塩のグジ」のお刺し身を食べることができてよかった。


アイトワ塾の二つの年末行事の1つは家族連れが許されるX'masパーティーです。フォワグラとカブラを使ったスープやラムの蒸し焼きなどに舌鼓を打ちました。メンバーの一人は、元はプロの調理人でしたが今はお金のための調理はしたくなくなり、仲間のために腕をふるってくれます。食材を吟味しながら思いどおりの調理をし、食べさせたい人に食べさせたくなってしまったようです。おかげさまでよい忘年会となりました。


知人や友人から今年も越前ソバや戸隠ソバを届けてもらいました。大晦日の日にわが家ではソバを2度いただくことにしています。今年はどちらをお昼にいただき、どちらを除夜の鐘を聞きながら食べおさめることになるのでしょうか。その後で風呂につかり、常寂光寺など10カ寺ほどから聞こえてくる除夜の鐘に耳を傾けながら、雪国の知人や友に思いを馳せながら新年を迎えます。

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