使命を果たせた 03/02/25
10年前に教職の身となった私は、公私の狭間で学んだことを若人に伝え、人生の指針作りに貢献する夢を見ました。私の社会人生活は、40年前に商社に勤め、繊維部門に配属されたことから始まります。当時の繊維産業は国の基幹産業がしたが、陰りが見えていました。時代の主役が紡績からアパレルに変わると見て、取扱商品を綿や糸などの原料から衣料品など製品に転換するように会社に提言し、軌道に乗せることを私の使命にしました。他方私生活は、自分たちの出す生ゴミやし尿を肥料にする農業を大切にする生き方で、当時は時代の逆行と笑われました。それは、19歳の時に聴いた知的障害を持つ欲のない友の一言がきっかけでした。今のように石油をボンボン抜いていたら、湯たんぽと一緒でいつか空になる、と友は呟いたのです。翌春から私は植樹を始めています。
「偉大とは方向を示すこと」とニーチェは語りましたが、友の真似をして私も学生に方向を示したかったのです。勤めた学校は三部(昼間二交代制)制から始まっており、勤め始めた10年前でも毎年600名もの勤労学生が紡績から送られて来ていました。もちろん私は、早晩紡績をあてにはできない時代になると読みました。独自に集める一部の学生だけで成り立つ短大に生まれ変わらせないといけないと考えました。
3年前、はからずも学長の白羽の矢がたちました。予期していた諸問題で幾つもの苦を抱えていました。三部学生の激減。1学科の閉鎖。教職員のリストラと訴訟問題などです。しかし校風は、親にこれ以上負担をかけたくないとか弟は四大に行かせてたいなどと意識を持つ勤労学生の心優しい気風が漂っていました。学科は、芸術系、教育系、医療系と総合的だし、前理事長は環境問題に熱心に取り組んでおられました。こうした点を強みとして生かして一部の短大に再生することを私の使命にして引き受けました。
「環境」と「総合化」を私は学校の特色として打ち出し、出口責任の必要性を訴え、学生には「心の大人」を目指し、「一隅を照らす人」になろうと呼びかけました。3つの約束も決めました。「挨拶をする。時間を守る。ゴミを拾う(出さない、ではなく拾う)」です。教養の幅を広めるために他学科の受講ができるようにする。大学祭は学生主体にし、キャンパスの掃除に学生と教職員が当たる。学内外全面禁煙。懸案だった前後期各15回の授業日の確保や学生に授業の評価をしてもらう制度なども実施しました。
教職員と学生が心を一つにしたのでしょうか、全学一斉清掃日を設けると近隣のごみ拾いもし、その後で全学綱引き大会を開くまでになりました。昨秋、ISO14001認証取得短大になりましたが、審査官に清潔なキャンパスと学生の挨拶を褒められました。わずか3年で、こうした成果に結び付けた教職員や学生には頭が下がります。三部は昨年度の22名を最後に募集停止ですが、一部学生で定員を超える短大に生まれ変わりました。
予期せぬことから教職の身となり、学長までつとめる羽目になりましたが、これまでの三部の体質を呼び戻さない限り、一部短大として立派に活躍できる学校になったはずです。世間に打ち出した特色を大切にし、それに相応しい教育をほどこし、中身の保証ができるようにすれば、さらに存在価値を高められるに違いありません。幸い、喜んでバトンを引き継いでくれる人が現れましたので、私は使命を果たせたものと見て後任に託すことにしました。私は環境の世紀が求めるライフスタイルの実践をさらに深め、若人にも背中で教えられるような人を目指したいと願っています。
ある課題で、レポートを提出しない学生がいました。考えていることを文章に出来なかったのです。私は絵でも彫刻でも作曲でもよいとアドバイスをすると、彼女は絵で表現しました。それから、彼女とは食事を共にするなど幾度か個別の補講をし、頭の中で考えていることを文章にする方法を話し合いました。とても心優しい女性でした。
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遅刻が多くて、やすやすと単位を出すわけにはいかない学生が数名も出たこともありました。彼女たちには2〜3週間にわたって5〜6回の補講をしましたが、一つの課題を出し、それを守ることを参加資格にしました。それは、自宅や下宿で日の出を待ち、その光景を描き、心境を作文し、提出することです。すべての人が、やがて心境の変化を示しました。私は自分の能力不足を、自然の力をかりて埋め合わせたわけです。
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講堂に全学の学生と教職員に集まってもらって、「夢・環境の世紀」とい題で90分の最終講義のような講演をさせてもらいました。魚を捕ったり木を切り出したりするにしても、後の森や川がより豊かになるように捕ったり切り出したりする人になってほしいと願いながら話しました。学生から贈られた花でしたから妻へのお土産に持ちかえりました。
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日曜日は晴れましたので、庭に出て過日切った櫟の太い枝を使ってシイタケのホダ木をつくりました。あと10日ほど干してから種駒を打ち込もうと思います。細い枝は柴にしました。小斬りしてあった幹はすべて割って薪にしました。薪や柴は、来年の今頃は風呂やストーブの燃料になっていることでしょう。シイタケが出るのはその後です。どのような種類のシイタケが出るのか楽しみです。
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人形教室の人たちが作った人形展の構想模型です。3月中旬に京都文化博物館で開く教室展の追い込みで妻たち80人近いメンバーは追い込みでおおわらわの様子です。モンゴルの遊牧生活をテーマにしているようですが、そこに生きる原点の一つを見いだしたのではないでしょうか。
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