塾生を失う 03/03/20
夫婦で一緒に庭仕事をする時間がない1週間でした。妻は、教室展でばたばたしていましたし、私は大垣で開かれた市民環境フェスティバルに2日間を、あるいは先週とは異なる団体の会合でのスピーチのために丸1日を割いたりしたからです。もちろん妻の教室展の見学にも半日を割きましたが、いずれも変化に富んだ楽しい日々でした。だが、余りにも唐突に、信じられない不幸な出来事に、またも見舞われました。
市民環境フェスティバルは第3回目でしたが、大垣市環境基本計画で定めた標語「暮らしを変えて未来に夢を」に沿って開催されました。企業の新技術や市民団体の活動状況の紹介、学生や生徒の作文やポスターの展示、参加型学習ゲームや「地産地消」をテーマにした産物の販売などのコーナーもありました。大勢の子ども連れの家族をお迎えし、環境問題に関心がある親や祖父母をもった子どもを幸せそうに思いました。2日目の昼食時に「地場」の野菜や名水を用いた「環境鍋」をご馳走になりましたが、各自お椀と箸を持参して行列し、大きな鍋から注ぎわけてもらっていました。
妻の教室展では、80人もの女性が一つのテーマの下に1年半もかけて創りあげた遠近手法のジオラマに圧倒されました。テーマはモンゴルでした。妻は一昨年の夏にモンゴルを訪ねており、その広大さを表現する上で役立ったようです。個性がそれぞれ異なる女性が、それぞれの個性を尊重しあって生み出した人形や家畜だけに見応えがありました。もちろん、会場の半分は各人の自由作品の展示に割かれていましたが、それらはさらに個性的で、人形がそれぞれ個別の魅力をたたえていました。
こうした外出の合間をぬって、わが家のオアシスに通じる踏み石の取り替えをしました。オアシスとは大袈裟ですが、山際の湿地の水分を暗渠で抜いて家屋を守り、その水を常時2トンばかり溜めて植木鉢の水やりなどに生かしていますが、その水槽のことです。作ってから10年来枯れたことはなく、野生動物にとってはオアシスになっています。その水槽に通じる階段にこれまでは自然石を使っていましたが、少し危なげでした。ホビーショップで「これは安い」と思う輸入の踏み石を見つけ、買って取り替えたわけです。だが、少し首をかしげました。遠方からの輸送などに大量の石油を使わずに、どうして日本の石工が日本の御影石を使って作らないのか、と考えたわけです。これまでの社会は、目先のコスト計算にこだわって肝心の計算を忘れ、地球を傷めていたようです。
唐突に生じた不幸な出来事とは、若いアイトワ塾生の他界で、夜なべ仕事の最中に倒れたようです。彼は織物をつくる上での基礎となる縦糸の整経を仕事にしていましたが、職人気質で、感謝の言葉や尊敬の眼差しを報酬にする類まれなる技術と誠実さを誇っていました。だから難しい仕事が集中し、休む暇がなかったようです。「健康だけが取り柄です」という彼の言葉を鵜呑みにしてきた私自身に言い知れぬ腹立たしさを感じます。
こんな割り切れない気持ちを抱きながら、夏野菜の準備やホウレンソウをもう一度つくる作業に手をつけました。キュウリ、インゲンマメ、カボチャなどの種をポットに、モロヘイヤの種を苗床にまいたり、トマトやトウガラシなどの苗をうえる畝を耕したりする作業です。続いてツルムラサキやゴーヤなどの種を直まきする畝も耕します。野菜だけでなく、キンレンカ、ハナタバコ、マリーゴールド、ジキタリス、サルビヤなどの花の種もまこうと思っています。赤い花をつける藍も育てるつもりです。
子どもの競馬もみられるモンゴルの生活風景ですが、かつての経験を生かしたようです。京都が建都1200年を祝った年に十の庭を競作する「十彩回廊」という催しがありましたが、参画の機会を与えられ妻は60人の生徒さんと一緒にジオラマで昔の田舎の情景を再現していました。その時は山の木に盆栽を使っていましたが、今回は反物でモンゴルの山並みを表現していました。
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草しかないモンゴルの草原では、遊牧民は草だけで生きていける山羊やヤクなど5畜をバランスよく飼うことで衣食住を賄なう自給自足生活を展開しています。そこに生活の原点を見出したジオラマでしたが、現実のモンゴルでは、カシミヤ山羊を集中的に飼育して現金収入を目指す金色夜叉が出現しており、共有の草原を破壊しつつあります。
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自由作品の出品コーナーも圧巻でした。少数民族姿や和服姿だけでなくさまざまな人形が、所狭しと飾られていました。この展示会には総計300体ばかりの人形が顔を揃えたようです。
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中国から輸入した7つの踏み石と取り替えた階段です。これで心配なく下駄で暗くなってからでも水汲みができそうです。この水槽は、乾燥が厳しい年にはシイタケのホダ木を浸けて湿らせるためにも生かしています。小鳥は水飲み場や水浴び場に、タヌキなども水飲み場にしています。
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写真の左に見える踏み石は8段目で、これまでの自然石を3つ組み合わせて作りました。右に見える水槽の水は、山に一番近い高台に建てた家を湿気から守るために暗渠で抜いた水です。底はなく、土のままですが枯れたことはなく、常は溢れています。1994年の乾燥した年でも40センチほど水位が下がっただけで済みました。
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