献杯と京野菜 03/04/07
紅梅や白梅、黄色いサンシウや藪椿が満開期を過ぎ、姫コブシや白い木蓮が咲き、桜やアンズがほころんでいます。庭のここかしこでワラビやコゴミが出ており、カンゾウが長け始めています。やがてゼンマイやヤブガラシが芽を吹きますが、これは私たち夫婦も食べないはずです。ゼンマイはまだ収穫できるほど株が増えていませんし、逆にヤブガラシは目の仇のように採ってきましから少し減らし過ぎました。ワラビやコゴミは夫婦が年に一度だけ口にする程度しか出ませんが、カンゾウはたくさん出ます。菜園の野菜は、花菜が満開で、水菜は株が小ぶりですが花芽を立てています。この春休みは大勢のお客さんをお迎えし、庭で宴も開きましたが、花菜のお浸しや水菜の花芽の辛子あえだけでなく、カンゾウのぬたやヒメジオンのしらあえなども多くの方にご賞味いただきました。問題は壬生菜です。以前に水菜や壬生菜の「様子がおかしい」と触れましたが、壬生菜はすでに畑にはなく、肝心の旬に振る舞えずじまいとなりました。
庭での宴で最も印象深かったのはアイトワ塾の仲間と開いた献杯の宴でした。開塾予定日を急遽急逝した仲間を追悼する宴に変更したわけです。塾員全員だけでなく、休塾中のメンバーも駆けつけました。故人はお酒の飲めない人でしたから 遺影にはアルコールを含まないビールが飾られ、残されたメンバーがそれぞれが思い出話などを披露しました。アイトワ塾だけでなく西陣織業界にとっても大きな痛手となる人でしたから話しは尽きず、数時間があっと言う間に過ぎ去りました。皆で宴を開きたくなっていながら、二度とこうした宴を開かなくても済むようにと願わずにはおれませんでした。故人はフランス料理の調理人でしたが家業に戻り、腕の確かさで知られた整経業を継いでいました。父上はすでに緻密な整経作業に耐えられない体ですし、息子は学生だし継ぐ意思はなく、廃業です。かくしてまた一つ、家伝の技が消え去ることになりました。
「めいど いん きょうと」という見出しの「京野菜」の全面広告が京都新聞に載りました。案の定です。11種の野菜の中に、このたび庭で育てた水菜や壬生菜を年中作物として紹介していました。本来の壬生菜や水菜は、晩夏に露地の苗床に種をまき、育てた苗を初秋に本植えして露地で栽培し、京都の底冷えと厳しい霜に耐えながら株の直径が白菜のように20〜30センチにまで太る野菜でした。真冬でも露地で寒さに耐え、一霜毎に軟らかくて美味しくなる野菜でした。だから旬は軟らかくなる1〜2月で、それを漬物にして細かく刻んで食べたり、ハリハリ鍋にして歯ごたえを賞味したりしました。京都の風土が生み出し、伝承してきた極めて季節感のある作物でした。
このたび育てた品種は、水菜は今も露地で小ぶりながら健全ですが、壬生菜は霜に耐えられなかったのです。苗を育て始めた段階で「おかしい」と気づき、霜が降る頃には「これは壬生菜ではない」と確信した代物です。本来の壬生菜とは違って葉の色が淡く、艶や張りがなくて肉薄で、壬生菜の形に似たカナリヤ菜のような「やわ」な野菜でした。ビニールハウスなら年がら年中直播きで速成栽培でき、霜に当たらずとも軟らかい品種に改良したのでしょう。ならば名称も「平成壬生菜」とでも改めるべきです。急逝した塾生は、こうした問題に対する炯眼(けいがん)を備えていましたが、健在ならばどのような意見を述べたのでしょうか。きっと、京野菜のブランドを守る上で犯していけない自殺行為と見たことでしょう。
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