モミジの手当てと人形展 03/05/20

 玉神木が花をつけました。早速、妻に香りをかいでもらいました。なんとも甘い香りです。江戸時代に渡来した中国南部原産のモクレン科オガタマ属の木で、トウオガタマとも呼ばれています。昨年の今頃、岐阜のある料亭の庭の一角に、この木を初めて認めた時は驚きました。それまでに見たことがない樹形や花の様子だったのです。大女将が運んでくれた一枝を手にしてもっと驚きました。なんともいえない香りが漂ったのです。その時の感動をアイトワ塾で話したところ、塾生の一人が奥さんと北野天満宮で開かれる恒例の骨董市・天神さんを訪れ、その一角の植木市で苗木を見つけ、贈ってくれたわけです。もちろんこの御夫婦にも、近く香りをかいでもらうつもりです。

 台湾の陳さんから電話がありました。去年の秋、台湾で最も難しい試験といわれる国家試験を終え、日本に遊びに来た時にご紹介した息子のような友だちです。新型肺炎を心配する私の気持ちが通じたようです。この秋から1年間日本に留学し、東京で過ごすことになったとか。きっと冬休みにはわが家で逗留してくれることでしょう。実はもう一人、わが家で早く逗留してもらいたい人がいるのですが、それは実現した折りにご紹介します。今は術後の養生中で、新幹線に乗れるようになれば直ぐに訪ねてもらえるはずです。

 玉神木の開花と陳さんからの報せの間に、妻の個展が始まりました。14日から妻は毎日会場の京都大丸に詰めかけています。だから、昼食は妻が出掛ける前に作ってくれる弁当が続いており、昼は麺類と決めている楽しみがお預けになっています。

 秋田の山菜は食べ終わりました。妻なりに味噌漬けにしたアイコが最後の一品でしたが、なかなかのものでした。この春は、わが家の山菜と秋田の山菜と、2度も季節の喜びを堪能できました。味噌汁の具になったサシボ、アイコのかしわとの炒め煮、揚げとホンナの煮物、シドケのおひたしなど初めて口にした山菜はいずれも絶品でした。なんといってもあしかけ3日をかけて朝な夜なにと続いた山菜ずくしのような食事は楽しかった。酢味噌和えや澄まし汁の具にしたヤマウドは、そうとう長けていのに柔らかくて美味でした。わが家では固くなっていると思ってあきらめていた大きさでしたが、来年からは採ってみます。この大きさなら目につきやすく、見逃すことはないはずです。

 友人のお嬢さんがまた手作りジャムを5種類も作ってくれました。イチジク、バナナ、シナモンアップル、イチゴ、夏ミカン、どれから食すか思案中です。母がいなくなってから3時のおやつを4時に、居間ではなく庭でとるようになりました。アイトワの喫茶店で食パンの耳が残りますが、たっぷりとジャムをつけたトーストにしてもらいます。

 庭では根気のいる仕事や激しい仕事が続きました。根気のいる仕事はモミジの手当てと苗の植え替えでした。残っていたサルビアやマリーゴールド、モロヘイヤやマンダラゲなど100本ほどの苗をポットや鉢や畝の肩に移しました。激しい仕事は、ヤムイモを植える畝の残りの開墾です。ホースラディシュを植えっぱなしにしていた畝ですから、ミントやヤブガラシ、ヒルガオやドクダミが根を好きなように張っていました。
 手当てしたモミジはアイトワのシンボルのような木ですから、半日をかけ、経験を駆使して丁寧に治療しました。取材に1日をかけた雑誌『自休自足』は、グラビヤの頁を10頁分も割き、このモミジも載せるそうです。門扉の位置から40年前に撮った写真と現在を比較するとか。今月末の発売ですが、待ち遠しい限りです。


花をつけた玉神木・トウ(唐)オガタマノキです。わが国のオガタマノキは高木になりますが、料亭の庭で見た古木は三メートルほどでした。この木はまだ背丈60センチほどですが、蕾を14つけました。バナナのような香りと表現する人がいますが、とにかくよい香りです。わが家の庭には梅や蝋梅から始まり、玉神木、夜香木、モクセイと香りのよい花をつける木が多くなりました。

個展会場です。私は見学をかねて友人とここで落ち合い、その後は二人で祇園石段下まで歩き、夕食を御馳走になりました。商社勤めをしていた頃からの30年来の友人ですが、短大で無事に肩の荷を下ろしたことを祝ってくれたわけです。次回はお互いに夫婦で会う約束をしました。奥さんとは久しく会っていません。

治療したモミジです。門扉を入った正面の、日当たりがよいところにありますから、わが家では唯一の背が低くて広く枝を張った木に育っています。新しい人形工房を作った時に、工事のトラックが太い枝をもぎ取りましたが、そこにウロができていました。『自休自足』の求めで昔の写真を探しなしたが、この場所で丁度40年前に撮った写真が見つかりました。このモミジはまだ映っていません。

腐った部分をこそぎとり、石灰硫黄合剤をぬり、雨水が入らないようにしました。幹にへばりつくように登っている蔓は、テイカカズラだと教えられたことがあります。アイトワの近くに、この名の由来・藤原定家が「小倉百人一首」を編纂した時雨亭があります。定家は、この一帯を散策していたに違いありません。

このジャムの大部分はわたしのお腹におさまります。腹をすかせた口と、汚れた手が待ち受けているオヤツには、食パンの耳が好都合です。ジャムをたっぷり塗った重いトーストでも2本の指で挟んで持てますし、耳の部分は手の汚れが着きにくいからです。また、歯ごたえがあり、しっかり噛まないと飲み込めないので時間がかかり、立ち食いですが遠目にはゆったりとした気分で食しているように見えるはずです。

風蘭が満開です。20年ほど前に富有柿の木の幹に活着させたのですが、その種が風で運ばれたようで、他の幹でも芽生えています。この木には風蘭の他にムカデラン、カヤラン、ムギランなどが活着しています。
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