合宿とハマボウフウ 03/06/02
合宿は、柘植(つげ)彫りの小さな亀が届けられることから始まりました。車で迎えに来てくれた塾生が、休塾中の友人から託されたといって、亀を集めている私に届けてくれたのです。ゲストとは最寄り駅で落合いましたが、駐車が難しそうだと言って先に着き、車道まで出てくださっていました。大原は、小雨が降ったのかしっとりと濡れており、昼なお暗き山間のうっそうとした緑が神秘的でした。民宿は、かつて幾度か用いたところではなく、寂光院により近い閑静なところにありましたが、収容能力は大きな旅館なみだし流れ作業方式の客さばきでしたから、神秘的な環境との間に違和感を覚えました。
ゲストは、ある哲学学会の会長を長年勤められた哲学者でしたが、幾度も私は宿泊旅行に連れていってもらっていた関係で、快くレクチャーを引き受けてもらいました。塾生もその人柄を見抜き、すぐに打ち解けていました。一般的にいって西欧の哲学者は自然を疎外する傾向にあったようですが、ゲストが研究対象にされたドイツの哲学者は自然派でした。それも塾生には余計に親しみやすさを感じさせたのでしょう。ゲストはご家庭の事情で泊まらずに、「次回は一塾生として参加したい」と言い残して帰られました。いつの日にか塾生にもゲストと雑魚寝する体験をしてもらいたいと思います。
十名余の私たちに2部屋があてがわれ、喫煙の有無で部屋割りをしました。翌朝は同室の仲間に気づかれないように部屋を抜け出し、喫煙派の一員に誘われるままに散歩に出ました。寂光院の裏に、金比羅山を経て江文峠に達する道の入口がありました。そこで反転して里の方に下り、平家物語に出てくる泉などを訪ねたりしながら小一時間ほどで部屋に戻りました。同室の塾生が朝寝坊できるのは若き体力のおかげだろうとうらやんでいましたが、どうやら私の寝入りばなのイビキのせいで寝そびれたようです。
帰途、天神さんの日だと教えられ、北野天満宮に立ち寄り、露天商や植木市を覗きました。草抜き鎌の木の柄を買ったり、記念の苗木を探したりしました。私は庭仕事の途中で鎌などの道具をよく置き忘れるのですが、草むらの中に半年も放っておけば木の柄はすっかり朽ちています。庭は健康的なバクテリアで満ちあふれているのでしょう。
帰宅すると、北海道の友人からハマボウフウが届いていました。2日前に、庭でハマナスが咲いているのを見ていただけに感激しました。かつて妻とこの友人夫妻を紋別に訪ね、四人でハマナスが咲く海岸でハマボウフウを掘ったことがあります。その時のことを私が思い出していた頃に、友人夫妻はハマナスが咲く海岸でハマボウフウを採っていたに違いありません。この夫妻は、私が京都の「お揚げ」を届けた時は幾人かに分けるようですが、私もハマボウフウを幾人かにお裾分けしました。オホーツクの海岸では今頃、群生するサンゴソウがまっ赤に燃えるように茂っていることでしょう。
この週は、妻は母校の栄誉ある賞をもらうために東京に招かれたり、番組審議委員として大阪NHKを訪ねたりと留守勝ちでした。私も、京都高島屋で開かれた牧野四子吉・超細密画展を覗いたり、ある環境財団の評議委員会や水道関係者の勉強会での講師で出掛けたりと留守がちでした。とはいえ、モミジの間伐、ゴーヤの苗植え、温室からエンジェルストランペットや野ボタンの鉢を取り出しなど夏を迎える準備を一段と進めました。月末に、雑誌『自休自足』が届きました。一緒に紹介されている素敵なご家族を「順番に訪ねる旅をしたいね」と妻と語らいました。まずホームページでも調べてみるか。
寂光院は震撼とした山の中腹にありますが、その裏庭には放火と見られる火災で焼けた柱などが積み上げられていました。その近くで大きな鉄の櫓を見ました。温泉の掘削でしょう。観光の世紀といわれる21世紀ですが、京都はフィジカル(形而下)よりも形而上(ゲストが幾度も口にした言葉=メタフィジカル)の観光開発が望まれるはずです。
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この泉で、平安時代から大勢の人が喉を潤してきたことでしょう。わが家のある奥嵯峨にも平家物語ゆかりの遺跡がたくさんあります。京都は郊外電車の駅名も、嵐山を遊行した後嵯峨天皇の牛車が突然動かなくなった所は「車折(くるまざき)神社」、静御前の牛車から帷子が覗いた所だとかどなたかの遺体に着せた経帷子に因むとか言われる所は「帷子(かたびら)の辻」と、由緒ありげです。
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庭に香木が一本加わりました。香りのある梅花空木(ばいかうつぎ)です。日陰でも育つし大きくならない木だと勧められ、苗木を買い求めました。ちょうど今、庭では妻が植えたオオヤマレンゲの花(円内)がよい香りを漂わせています。玉神木の香りは終わりました。次は、クチナシやジャスミンの香りの出番でしょう。
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ハマボウフウです。この倍以上ありました。かつて友人夫妻と、ハマナスが咲き乱れるオホーツクの海岸で随分と時間をかけてハマボウフウを掘った時のことを思い出します。わが家では刺し身のツマやサラダの色合いに用いるだけでなく、甘酢に漬けておいて少しずつ食します。
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これらの絵は、広辞苑や百科事典などを通して大勢の方が見ておられるはずです。私もその一人でしたが、後年その画家が知人の岳父であったことを知り、より身近に感じるようになりました。アイトワの庭に棲む昆虫や野草をこうした絵にして記録できたらいいのになあ、と思います。
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