合宿とお盆のお勤め 03/08/19

 金曜日の夜半から台風が京都を直撃する形になりましたが、予定通りに土曜の朝から2台の大きな車に分乗して合宿に出かけました。まず8時半に、京都の市中に住む塾生に車で迎えてもらい、もう一人の近くに住む塾生の家に立ち寄って車をかえての出発です。どうして近くに住む塾生にではなく遠方から迎えに来てもらったのかというと、近くの塾生の奥さんに10人分の食事の準備をしてもらっていたし、彼のキャンピングカーに乗り替えるためでした。その車はわが家の前の道には入れそうにありません。

 昼食は、幹事を務めた塾生とかつて訪ねたことがある大垣のウナギ屋でした。私が学長になった時に彼は短大に百数十万円分もの美術蔵書を贈呈してくれましたが、その折に案内したウナギ屋です。味を覚えてもらえていたのでしょう。その後、「ウダツ」や和紙などで有名な美濃市に立ち寄り、美濃紙で有名な旧今井家を見学した上、日がまだ高いうちに森林文化アカデミーに着きました。山間にある校舎の一帯は晴れ上がっており、私がここを合宿場に勧めた訳を塾生には即座に理解してもらいました。

 夏休み中でしたから私たちが借り切ったようなかたちでした。風呂を浴びながら夏虫の声を聞き、食堂で夕食に舌鼓を打った上で講義室に移動し、講師の話に耳を傾けてから食堂に戻り、12時まで美酒を傾けながらディスカッションに花を咲かせたのです。幹事は文明の勃興と宗教の葛藤に触れるテーマを選んでいましたから、翌朝の風呂や朝食の時間はもとより10時の出立まで質疑に花が咲きました。飲食の世話や掃除の担当を買って出た塾生は大変だったことでしょう。帰途は美濃焼の幸兵衛窯を見学し、昼は手打ちそばを食べ、よく語りよく食べた一行は渋滞に巻き込まれながらも日が沈む前に帰宅できました。台風は京都を直撃したはずなのにたいした被害はなく、わが家の背が高くなったトウモロコシさえ倒れずに済んでいました。まさか北海道で大勢の死者が出ていようとは思いも及ばず、林間学校のような合宿を楽しんでいたわけです。

 翌朝は妻と久しぶりで墓掃除に行きました。母が存命中は足が弱っていた母に付き合って父の月命日ごとに出かけましたが、その後は妻にまかせきりで、私は命日とお盆ぐらいしか行きません。お墓用の花を妻は庭でまかない、「お父さん、綺麗でしょう」と話しかけていましたが、仏壇用は帰途花屋の花を選んでいました。母は生前、庭の花でまかなおうとする妻をケチンボウのように見ましたから、仏壇で「お母さん、綺麗でしょう」と話しかけたかったのでしょう。母は私とは逆で、庭を駆けずり回って作る花束よりもお金さえ出せば誰にでも買える花束の方が贅沢で心がこもっているように見ていました。

 火曜日は夕刻から妻と庭に出て草抜きから手をつけ、ブルーベリーの収穫で終えました。水曜日は最後の収穫となるミントを干し上げたり道の草抜きや部屋の掃除をしたりしました。毎年、14日の朝一番に棚経をあげてもらっていますが、それまでに少しは掃除をしておきたかったのです。私は住職が高校生の頃に家庭教師をしましたし、亡き父はその息子さんが子どもの頃によくカブトムシを届けています。そのお寺にあった老人の憩いの家に碁を打ちに出かけていましたが、夏になると父は前夜の内に庭に出てカブトムシを探していました。今回は息子さんが来てくれましたが、張りのある声の読経でした。お見送りした後から戻り梅雨のような雨となり、昼は天ぷらうどんを作ってもらって体を温め、夕刻は発収穫したトウモロコシを焼いて食べました。


日本製のキャンピングカーは私にとっては初体験でしたが、室内は見かけより随分広くて便利でした。2台の車で運転を交代するアイデアは功を奏したようで、渋滞に巻き込まれたのに運転で疲れた人はいなかったようです。渋滞の間、私は勧められるままに2段ベッドで横になりましたが、少し暑いなあと思う間もなく眠っていました。


森林文化アカデミーでは理念を優先して教え、その上で理念に則した技術を伝授しているとうかがい、塾生は痛く感心していました。わが国には「形から入る」というのでしょうか「見かけ主義」というのでしょうか、様式とか技術など目に見える部分を優先する人や学校が多いようですが、それが意識の転換を遅らせ、時代の変わり目ごとにいつも転換を遅らせ、閉塞感を漂わせてきたように思います。
 


食事は焼いたラム肉と新鮮なサラダから始まりましたが、次のカレーライスに皆はとりわけ感動しました。子だくさんの奥さんはいつものように大きな深い鍋で時間をかけて煮られたようですがとても美味しく、ご飯がすぐに底をつき、翌朝用のパンまでカレーで食べてしまうありさまでした。

講師は哲学が専門で、さまざまな宗教を歴史的に等間隔でとらえておられましたから説得力がありました。前回の合宿ではデカルトやベーコンではなくシェリング哲学の権威をお迎えしたと伝えますと、アイトワ塾の好みをより深くご理解いただけたようで、「是非また呼んでほしい」と言ってもらえました。

庭でとれた野菜が仏前を飾ります。お仏飯のお惣菜にも庭の収穫物がたっぷりと入っています。ご飯は知人が作った米、アイガモを放し飼いにした水田でとった米を炊きました。花だけは、虫食い一つない花屋さんの代物を母のために妻は選びました。きっと農薬や化学肥料を好き放題使って見かけや形だけよくしているのではないのでしょうか。

中国の少数民族が主食として作っていたトウモロコシだけに味は淡白です。毎日食べても飽きない味でしょう。スイートコーンに慣れた人には「味もしゃしゃりもない」といわれそうですが、もらった村人を思い出しながら味わいました。彼らは今でも作り続けているのでしょうか。それとも換金性の高い作物に転換したのでしょうか。
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