別の合宿や四国旅行 03/08/31
このところ快晴が続けば沐浴剤を天火で干しあげたりキュウリやインゲンマメのあとを耕して白菜や大根の種をまいたりしました。近頃は皮膚が弱くなったのか汗疹(アセモ)が出やすくなりましたので、畑に出るときは首に濡れタオルを巻き、長袖のメリヤス肌着をまとっています。暑くても肌にはこの方がよさそうです。仕事を終える頃には肌着はビショビショになっていますから早速風呂の残り湯で汗を流します。ある日、髪を洗おうとしたら見慣れぬ洗髪剤しかなかったのです。バスタオルを持ってきた妻に、「よいシャンプーだね。香りもいいし」といいますと、「そうでしょうハッピーのです」と応え、「ご主人が獣医さんの生徒さんからいただいたの」とすました顔です。1900円もする代物だそうで、「私たちのは500円程度のものを使ってますから」とのことでした。風呂から出て、私はトウモロコシを肴に発泡酒で幸せな気分になりました。
この2週間は外出がちでした。友人のお嬢さんの演奏会に出かけたり、大垣で5年来の付き合いとなる仲間と林間の施設で合宿をしたり、商社時代に世話になった今は亡き先輩の奥さんに甘えて四国を訪れたり、ある幼稚園に招かれたりしたからです。招かれた幼稚園はとても大切なことに気づいていました。アリストテレスは2300年も前に、教育によって習得できる知性的な徳とは別の、机の上では習得出来ないもっと大切な倫理的な徳について触れていますが、その徳の習得に力を入れているからです。それは、各人の持って生まれた素養が触発の機会をえて覚醒するものですが、その幼稚園では自然と芸術を重視し、その徳の触発に力を注いでいるのです。四国旅行は、妻と揃っての久しぶりの外泊でした。わが家は犬や鉢植え植物など多くの生き物を養っていますしイノシシ対策が必要な庭ですから空けにくいのです。でも直行バスのおかげで強行できました。
「太陽炭」という焼き肉屋などのプロに愛用されているオガ屑から作った人工炭がありますが、今は亡きこの先輩が脱サラをしてインドネシアで開発したものです。その頃私も辞めていたので一緒にやろうと誘われましたが、再就職を決めていたので諦めました。奥さんは急逝した夫の跡を継いで苦労されながら近年見事にご子息に引き継がれました。この人工炭は火力や火持ちもよく、今後は韓国同様に一般にも多用されそうです。これまで中国から備長炭として輸入していた安い中国炭が、木材資源保護の観点から入らなくなるからです。中国も韓国に見習って山に緑を取り戻すべきです。本来は毛沢東時代に国をあげて植林し、砂漠化防止に努めておくべきでした。目先の物的豊かさに躍起となってしまった今の中国では、伐採はしても植林に当たる国民がいるかどうか心配です。
外出がちの2週間でしたが、晴れ間を狙って庭仕事にも精を出しました。妻はすでに庭仕事の途中でエンマコウロギやアメリカザリガニを見たといいます。かつては共に多過ぎるほどいて困っていましたが、カエルの激減に先行して減っています。日が落ちるのが早くなりました。アブラゼミやニイニイゼミの声に混じってツクツクボウシの声が聞かれる季節です。秋の訪れでしょう。
この水曜日、偶然の一致で、3ヵ所から海の幸が届きました。3日ほどずれておればもっと多くの人と喜びを分かち合えたのに、と残念です。日曜日の夜にガーデンパーティーを開くのです。商社時代の取引から付き合いが始まった友人と「3人会」という集いを続けてきたのですが、久しぶりで夫婦連れで会することになっています。
友人のお嬢さんは今春、あこがれの吹奏楽団がある高校に入りましたが、その演奏会がわが家から歩いて行ける大覚寺で開かれました。初々しい演奏に耳を傾けたあと、友人夫妻と4人で大沢の池のほとりに移動し、妻が朝から下準備をして巻いた海苔巻きで夕食としました。そこは時代劇の舞台としてよく使われるところでした。
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演奏会に出た友人のお嬢さんです。先週、一緒に撮りました。アイトワにはズーッと以前からお父さんに連れられてしばしば来ていますし、昨年はトランペットの練習でも来ています。円内は、この庭に連れて来てもらい始めた頃の姿で、忘年会でのスナップです。
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妻は妻で忙しい二週間でした。「地蔵盆のお供え」も作って届けています。この地に嫁いできた年から毎年この時期になると庭の幸を使って供えてきました。この籠はズーッと同じですから、年に一度とはいえ30回近くのお出ましです。大勢の子どもがこのお供えの前で地蔵盆を迎え、初期の頃の子はすでに子の親となっています。
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私は「暮らしを変えて、明るい未来を」というテーマを掲げる大垣市環境市民という団体の設立準備会から係わってきました。その有志と一緒に岐阜県揖斐郡にある「ふれあいの森」で合宿をしました。バーベキューパーティーのあとも夜遅くまで歓談し、翌日は久瀬温泉の露天風呂・白龍の湯につかってから帰ってきました。
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その翌日から出かけた四国では、「鳴門市ドイツ館」も訪れました。亡き母は徳島の出身ですが、母が小学生のときにわが国で初めてベートーベンの「第九」が演奏されています。それは1918年6月1日のことでしたが、俘虜として3年間を板東で過ごしたドイツ人が手作りの楽器などで演じ、母も耳を傾けたわけです。妻は一度足を痛めてからの母をこのドイツ館にも案内していますが、その時は「この階段がどれだけ高く感じたことか」とつぶやいていました。
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青森からのホタテ貝やヒラマサとか見事なホッケの開きです。ヒラマサは休会中の塾生の岳父が釣り上げられたもので、片身は刺し身に、残る片身は焼き魚に、粗は煮つけに、となりました。ホッケは朝食で味わうことでしょうし、沢山あったホタテ貝はお裾分けをし、友人たちは刺し身にしたようですが、わが家ではフライになることでしょう。
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沐浴剤に使う薬草や香草は刈り取ったときに枯れ葉などの掃除をしたうえで干し上げますが、こうして刻んだ後に炎天下でカラッと干し上げ、密閉容器に移して保存します。ハーブティー作りでは、香りが飛ばないうちに手早く始末すべきでしょうが、わが家の沐浴剤作りでは今頃まで室内に放置し、芳香剤・ポプリとしても生かしています。
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