日々好日の冬支度 03/10/06
この2週間で菜園はあらかた冬支度になりました。その間に、東京の友人と保津川縁まで足をのばして朝食をとったり、痛快な若い新聞記者の取材を受けたり、田舎暮らしを始めた知人から素敵な第一報をもらったり,環境調査で京都の秘境ともいえる大見に出かけたりしました。学校では相談ごとのある学生と昼食をとりながら話し合いもできましたし、アイトワ塾の幹事さんとは次の合宿や恒例の年末行事、「忘年会」や「しめ縄」作りについて打ち合わせました。
トウモロコシのあとに植えたカキチシャやキャベツはしっかり根づきました。トマトのあとにはホウレン草やターサイとか日の菜をまきました。キュウリやゴーヤのあとは水菜や壬生菜を本植えする予定です。今は畑に残っているモロヘイヤやツルムラサキ、オクラやハナオクラを主に食しています。これら背丈が高くなる最後の野菜がシーズンを終えると畑はすっかり冬景色となり、背丈の低い作物ばかりになってしまいます。
苗床にまきなおした壬生菜や水菜の苗は順調に育っていますが、思ったより早く朝夕の冷え込みが始まったので戸惑っています。今年は冷夏だと見て早めにまいたところ9月に厳しい残暑が始まって苗が腐り、早くまき過ぎたことに気づかされました。そこでもう大丈夫だろうと思ってからまき直したら、急に朝夕の冷え込みが始まり、遅過ぎたことが分かったわけです。私たちは温度の管理も簡単なハウス栽培などを普及させる社会にしてきましたが、それらに要するエネルギーの多消費などが気候不順を加速し、ハウス栽培などに頼らざるをえない社会にしていたのかもしれません。いずれにせよ露地栽培には難しい不順な気候になったように感じます。
腐葉土をつくる施設を作ったのは正解でした。すばらしい堆肥が沢山できました。もちろん大きなミミズも棲みついていましたしカブトムシも卵を産み付けていました。どうしてこの施設をもっと早く作っておかなかったのかと悔やまれます。これまでは竹も生えている林の中で、いわば野積み方式で作っていましたから、栄養を求めて張る竹の根が邪魔になり、掘り出すのが大変でした。その苦労がなくなり、ホイホイと腐葉土を掘り出して一輪車に積み込めます。その一輪車が通る坂道にも今年は御影石の踏み石を敷きましたから、堆肥の運び出し作業が格段に楽になりました。あと10年や15年はこの力仕事も難なく続けられそうです。
若い記者との対話を楽しみました。「これまでは歌手や俳優など知名度が高い人を取り上げるコラムでしたから森さんは不適切ですが」と切り出し、記事の切り口を変えたい様子を感じさせました。案の定、文字数にすれば1500字足らずの記事のために2度にわたって7時間も8時間もの質問攻めにあいました。だが、その矛盾や疑問をことごとく質そうとする姿勢には好感を抱きました。おかげで過去を振り返るよい機会を与えてもらえました。
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