そうだったのか 03/10/12
京都の秘境ともいえる大見へ、昨年から定期的に弁当持参で出かけています。今回からは理想の公園造りのための実験を始めており、チマキササやススキを刈ったり次回の実験場を定めたりしました。これまでは市の関係者に引率されて委員だけで出掛けていましたが、今回からは委員の先生方のゼミ学生など若い人たちが加わるようになりました。学生がススキを刈ったりする姿を見ているうちに、「あの年頃から私も荒れ地に手をつけ、ススキの株を掘り出したりしたんだ」と過去を振り返ってしまいした。
岐阜県立森林文化アカデミーを訪ねました。今年入学した学生を対象に「森林文化を考える」という講座名の下に半日をかけた特講です。まず「森林と文化は、私の終生のキーワード」ですと切りだし、「これまでは都市文明の時代でしたが、これからは森林文化の時代」ではないでしょうかと語りかけ、「運動を起こしましょう」と訴えました。『ビブギオールカラー(虹の襟)』という処女作を書いた頃を私は思い出しながら、これまでの林業はブルーカラーをイメージさせましたが、「ホワイトカラー的な要素を加味するだけでなく、すべての人が真似たら次第に地球環境が復元するような生き方を実践するアクティヴィスト」になってはどうか、と提案したわけです。
朝日新聞の取材は、「あのころ京都」というコラムで、「環境の悪化 目の当たりに」という見出しの記事にしてもらえました。泳いだり魚を捕って食べたりしていた保津川が高度経済成長と共に汚れてゆくのを気にしながらファッションの仕事に携わっていた頃の心境に焦点が絞られていました。この取材のお蔭で、「そうだったのか」と気付かされたことがありました。私はまだ結核の特効薬がなかった中学生の頃に肺浸潤におかされましたが、未来世代や野生生物のことを気にする今の性格はその体験が大きく作用していたことに気づかされたのです。不思議なことに、死に直面し、死を受入れて覚悟をすると、やけくそになるのではなく、むしろ何もかもがいとおしくなった思い出です。
庭のスモモが狂い咲きました。花をつけはじめてから40年来のことです。冷夏の下に、葉を毛虫にすっかり食べられ、その後で残暑が始まったからだと思います。こうした異常現象が生じるたびに、自然と接する機会に恵まれない人たちに異常を伝えたくなります。こうした異常に気付いていない人が選挙に出たり、投票をしたりして、多数決でことを決しはじめると、次々と後手になる事態を生じさせかねないと思われるからです。
『自休自足』で「庭を森にした人」という記事を見た、と大見で話していた女子学生が友達と自転車で訪ねてくれました。卒業すれば土や汗にまみれる庭仕事につきたいとのことでしたが、私が同じ年頃であった頃では考えられなかったことです。木漏れ日の下に妻が運んでくれたコーヒーとケーキを味わいながら、夢を語らいました。
イノシシが庭で大暴れしました。寝室の裏手にある泉やイトトンボの繁殖地も目茶苦茶にされました。ミミズやサワガニを狙ったのでしょう。花をつけていた藍や雨だれが撥ねるのを防ぐために植えたジャノヒゲもグチャグチャでした。泉に落ち込んだのか赤土が剥き出しになっていました。侵入箇所が分かりましたので「入れないように杭を打つか、罠を仕掛けるか」を妻と相談しましたら、「罠!」との意外な返事でした。妻は惨状を目の当たりにして「もう許せない」との心境になったのでしょう。でも本当にイノシシが罠に掛かったら、「やっぱり放して」というに違いありません。
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