久しぶりの三十三間堂 03/10/18
年に二度は定期的に会う仲間と、楽しい2日間を過ごすことからこの週は始まりました。半数が東京から駆けつける関係で、いつも午後の1時頃にホテルのロビーで集合し,翌日の昼食まで行動をともにします。初日の夕刻、銭湯でくつろいだ上でカウンター割烹に席を移し、気勢をあげることを恒例にしています。専任の名コンダクターがいて、毎回見学先などに趣向をこらします。なぜか30回目のこのたびは月並みな三十三間堂と二条城が見学先でしたが、昼食に趣向が凝らされていました。
三十三間堂は20年ぶりでしたが,行ってよかったと思います。これまでのような感動はなかったのですが,その理由が分かったからです。かつては裏側の回廊に並べられていた阿修羅
(あしゅら)
王像などが、10年前から千体観音の前に並べられていたのです。だから、それまでのように千体観音に神経を集中し、その微妙な個性の違いに見とれながら歩む感動や、裏に回ると次から次と現れるいずれもが国宝の阿修羅など28部衆像の個性に魅せられる感動が減じていました。だから私は、回廊を出た後で江戸時代の通し矢に思いを馳せながらお堂を一巡りし、その余韻を楽しみながら銭湯まで歩きました。その道のりで、豊国神社ではギンナンを拾い、耳塚では韓国旅行を思い出し、麩の専門店では麩が好物だった父を偲びながら「すき焼き麩」を買いました。翌日は二条城見学の後、おしゃれなイタリアンレストランで昼食をとり、後はオプッションで壬生狂言を見学しました。
妻は火曜日に東京へ日帰り出張しました。来春の個展の細部打ち合わせです。留守番の私は樫の生垣の徒長枝を剪定したり枯れたユリやハスを切り取ったりして過ごしました。また、私が休みの日に妻は週に一度、NHKの文化センターで創作人形の講座を持つことになり、駅までの送り迎えや留守番を私は担当することになりました。
木曜日の夜は野小屋で初めて夕食をとりました。一度食事を共にしたかった青年がいましたので、お誘いしてすき焼きを振る舞ったのです。母亡き後は、あとの臭いが嫌なのですき焼きをあまりしないのですが、野小屋に電灯をともす配線工事をして実施しました。吹きさらしですから匂いがこもる心配がありません。少し寒かったのですが、期待にたがわぬ好青年で、時間を忘れて話し込みました。実は、先にここで一献傾けたい人がいましたので暖かくなってからお迎えすることにしました。天井が低いので心配していたのですが、結構それが面白みを感じさせてくれることが分かりました。
金曜日、夕刻にすてきな女性の訪問がありました。私たちは風呂の薪作りの最中でしたが、妻が庭を散歩している彼女に気付き、以前に一度私たちが留守をしていたときに広島から訪ねてくれた人だと即座に見抜きました。妻が喫茶と人形展示室に案内したあと、私も一緒にお茶を飲みましたが、繊細な感受性に恵まれた人で、今回は拙著をすべて読んだ上で訪ねてもらったようです。また訪ねたくなれば、今度は一緒に庭掃除をするつもりで朝早くから来てください、といって別れました。ご母堂は妻と同い年とか。
土曜日は岐阜テレビの生番組がありました。昨年の5月に岐阜で大きな山火事があったのですが、その翌月から植林活動が始まっており、4回目の今回も大勢のボランティアが集って実施されました。私はスタジオに駆けつけ、現場と中継しながら植林の意義や森林の大切さなどについて意見を述べさせていただいたわけです。もちろんこの一週間、庭仕事は薪割だけではなく、苗の植え替えや芋掘り、ムベの手入れなどもしました。
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