燃やしてよいゴミ 03/10/27
マニフェストという言葉を目や耳にし始めた頃、妻は「どうして日本語にしないの」、と不満げでした。それは差別用語と似た問題を含んでいそうだ、と私は畑仕事をしながら考えました。選挙公約という既存の日本語が生かせそうなのに、それでは「その場限りの出任せ」との印象を与えてしまい、聞き流されかねないから用いないのでしょう。だから政権公約という新語を作ったのではないでしょうか。
この4年間、妻がNHK近畿の番組審議委員をさせていただいていた関係で、私もテレビをよく見たのですが、改めて日本語の乱れに驚かされました。省略語やカタカナ語が目に余るだけでなく、よい印象を与える言葉が台無しになる事態が多発しています。庭で焚き火をしながら、かつてこの問題を取り上げたことを思い出しました。
「野焼きが問題になっている。住民が監視しあい、通報までする地域がある。ここに私は日本人共有の問題を見る思いがする」と切りだし、野焼きという言葉をとりあげ、一つの風物詩であった言葉を台無しにしたことを嘆いています。「もちろん、それはダイオキシンを心配してのこと」でしょうが、なぜ「野焼き」という特定の意味をもつ言葉と、「危険な化学物質を発生させる行為」がごっちゃにされてしまったのか。 「こんな話もあった。大工が臭くて黒い煙を漂わせながら、『木を燃やしています』と言って合板まで火にくべていた。こうしたことが重なって、私たちは環境問題をより複雑で深刻なものにしていた恐れがある。それはともかく、ここらあたりで言葉を皆で正しく用いるようにしたいものだ。そして、解釈の仕方で誤魔化すようなことはなくそうではないか」、と結んでいます。エドワードW.サイードさんは「日本の平和憲法は世界の目標だ。改定されるなら悲劇だ」と語りましたが、改定せずに首相が軍隊と認める集団を日本は作ってしまっています。
焚き火が恋しい季節です。有機農法ではよい灰が大切ですから、わが家では「燃やすもの」と「燃やさないもの」を厳格に分別しています。問題は、その分別が困難なものが余りにも多く市場に出回っていることです。社会では「燃えるゴミ」と「燃えないゴミ」で分別していますが、これは大問題です。「燃えるゴミ」を燃やして、ここまでダイオキシンを撒き散らしてきたのでしょう。何を燃やして良いのか悪いのかが分からない人が増えたら大変です。大震災が生じたら電気やガスは止まりかねませんし火事もつきものです。臨時の炊事とか悪い煙にまかれないためにも、常日頃から「燃やしてよいもの」と「燃やしてはいけないもの」を厳格に分別する知識や癖を身につけておきたいものです。
畑では、知人や義妹からもらったパセリの苗と二回目の花菜の苗を植え付けました。サツマイモとサトイモの収穫もしました。鳴戸金時は芋があまり入らないようです。種芋を九州から手に入れたサトイモも小芋がほんの少ししか入ってはいませんでした。でも、このサトイモは親芋が美味しいだけでなく、ズイキも食べられます。わが家では、余ったズイキは干して保存し、適宜もどして食しています。
秋の知らせが各地から寄せられるようになりました。秋田のコイモに続いて埼玉のサツマイモ、宮崎からはコイモやサツマイモだけでなくそば粉やもち米あるいは椿油などが少しずつ入っていました。過日妻は母校から表彰を受けましたが、その副賞の第一弾が届きました。津軽の大きくて美味しそうなリンゴです。早速妻は「お母さんに」といって仏壇に供えていましたが、きっと父も一緒に喜んでいることでしょう。
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