柿の豊作と創造の体系 03/11/24

 庭には6本の柿の木がありますが、いずれも大豊作です。その内の3本は私が苗から育てたもので、残りは実生です。苗から育てた3本の内の2本は、この庭では最も年老いた木で、樹齢45年です。「二十歳まで生きていた証」として、受験を終えるとすぐに柿と栗の苗木を各10本、計20本を弟に傘をかざしてもらいながら植えました。当時、肺浸潤が好転せず、感傷的になっていたのでしょう。その間なしに入学し、デザイン論の講義ではイギリスが生んだウィリアム・モリスのことを学び、心を打たれています。

 栗の木は1本も残ってはいません。幾本かは立派に育ちましたが、多くは虫害で枯らしています。当時はススキが茂る荒地になっていましたから、テッポウムシと呼ぶ大きなカミキリムシの幼虫が幹を好きなように食い荒らし、枯らしたり弱らせたりしたので切り取ったのです。大きく育った2本も、花粉症のようになった母になくしてほしいといわれたりアメリカシロヒトリがわいたりしましたので20年余り前に切り捨てました。

 樹齢45年の柿は、1本が富有柿でもう1本は次郎柿です。次郎柿は古木の観を呈していますが、富有柿の方は成長が遅れており、15年ほど前に植えた残る1本の苗から育てた富有柿に追い抜かれています。しかし、その幹には雨や夜露をたよりに生きるフウランなど数種類のランを活着させており、毎年かわいい花を咲かせます。

 自然生えした3本の実生の柿の2本は渋柿です。その実は、今月の28日にお正月の三宝飾りにも用いる吊し柿にするつもりです。残る1本は野生の甘柿で、この春にオス花が咲く木としてご紹介したことがあるクボガキ(窪柿)です。ながながと柿の話をしましたが、今年はこれら6本の柿が、そろって成り年だったからです。

過日名古屋方面に講演で出かけたのですが、車窓から見る野山の柿ノ木はいずれも鈴なりでした。ひょっとしたら今年は実を落とさせるヘタ虫など柿の害虫が発生しにくい気象だったのかもしれません。11月下旬なのに、今もウグイスがしきりに鳴いていますし、まだ紅葉が本格化していません。そのお陰でしょうか、せいでしょうか、冬野菜が順調に育ちすぎてブロッコリーに花を咲かせてしまったわけです。

このところ講演で出かけることが続いたのですが、晴れ晴れとした気分になることが多々ありました。大府市のすばらしい職人集団の勉強会に呼んでもらえた時もその一つです。そのリーダーとチームメンバーのありようは偉大なるモデル集団のように感じられました。もし1世紀以上も前に死んだウイリアム・モリスが生きていたら、心打たれたに違いありません。昨今の組織は、人事権とか給与査定権などを振りかざす管理の体系で縛るのが常ですが、そこでは皆さんが創造の体系によって結ばれていたのです。モリスは、職人の労働にはデザインという創造的な付加価値が含まれていたことに気付いた世界で最初の人ですが、職人の仕事は機械などに取って代われるものではないと考えています。

 そんなわけで、週末の畑仕事にも晴れ晴れした気分で当たりました。エンドウマメの苗を畑に下ろすだけでなく、来春オープンカフェで飾る鉢植えも用意しました。ツルムラサキの支柱を取り払いましたから、畑に残っている背が高い作物は2株のヤーコンだけになりました。これは来年用の無性芽を収穫するために残しています。自然生えの混血野菜がすでにお化け野菜のように大きく育っています。葉を4〜5枚もかけば煮物ができそうな感じです。おあげと炊いて欲しいなあ、と考えています。

   

次郎柿も鈴なりです。例年この程度は実をつけるのですが、農薬をかけませんからヘタ虫にやられて青い間に落ちてしまいます。20や30しか熟れるまで育たない時は小鳥の餌に残し、私たちはとりません。だから私たちが収穫するのは4〜5年に一度の豊作の年となりますが、その時は無農薬ゆえに皮ごとかぶりつく醍醐味を味わえます。
3種類の甘柿です。左側の四角っぽいのが次郎柿で、中央が富有柿です。右の丸っこいのは実生の甘柿・クボガキで、オス花もつける柿だけに種がたくさん入っています。次郎や富有と違ってクボガキの果肉には星が入り、甘い実ほど黒くなり、野趣豊かな濃い味となります。
枝についたクボガキです。同じ木に成っているからといって安心してかぶりつくと、渋柿であることがあります。渋いのは外観でだいたい分かります。小柄で細身の右手前と奥の左の実は確実に渋です。渋柿には黒い星が入りませんから、噛み口を見れば分かりますが、その前に「渋だ!」と舌が教えてくれます。
このたび開墾したところは短い畝ですので3列ともエンドウマメの苗を植え付けました。腐葉土と灰をたっぷり入れましたが、他の肥料は入れていません。長年放置していましたから、多分地力がついていると思うのです。でも,後学のために、中央の畝には鶏糞を入れるかもしれません。
ツルムラサキの支柱も取り払いましたから、畑はすっかり冬景色です。12月に最後の背が高い作物、ヤーコン(左の方に見えるキウイフルーツの棚の右側に見える)を取り去ると、背の高い作物はすべてなくなってしまいます。ヤーコンは霜が降る頃まで置いておけば大きな無性芽を育てます。でも、えも霜が降ると葉は萎れてしまい、ヤーコン茶に使うわけにはいきません。円内は、ヤーコンの無性芽です。

モリスが友人の加勢を得て建てた新居・レッドハウスの一角です。当時のイギリスでは石材が枯渇しており、骨組みをレンガで作った上に化粧石を張るなどして誤魔化していましたが、モリスはレンガを剥き出しにした建物を創ってみせ、既成概念を打破しています。次週、

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モリスは、工業社会は人々の欲望を解放しますが、それは人々を管理の体系に陥れかねないと睨んだのでしょう。その危惧をフト思い出させるような記事、「マックジョブ」に関する記事を見つけました。実は、1988に出すことができた処女作ではモリスにも触れましたので、出版直後の6月に編集人と訪英し、モリスの足跡をたどっています。

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