援
軍 遠 来 03/11/30
楽しい小包が九州から届けられたり長野と東京から友を迎えたりすることから一週間が始まりました。長野の友はアイトワがオープンした頃からの付き合いで、当初の2年ほどは遠方からみえる常連のカップルさんでしたが、今では親戚づきあいです。しばらくご無沙汰でしたが、久しぶりの再会です。東京からは、出版社の編集人に訪ねてもらえました。
小包には、わが家の畑に不足している微量金属が入っていましたが、その隙間に白いサツマイモ、カボチャ、カボスなどが詰め込まれていました。過日の来訪時、「サルノコシカケを砕き、煎じて飲んで」長生きしなさい、といわれたのですが、それも入っていました。彼女は私より年長なのにはるかにバイタリティに富んでいます。その秘訣は紅梅の実から造る梅肉エキスと、その古木にできるサルノコシカケだと聞かされました。
わが家では私の健康管理は妻がしていますから、サルノコシカケを何時から生かすことになるのか私には分かりません。梅肉エキスの方は、その助言通りに翌朝から蜂蜜で溶いて飲まされています。昔懐かしい味です。胃腸が弱かった私は、亡き母が青梅を摩り下ろしてユキヒラ(土鍋の一種)で煮詰めて造った梅肉エキスをよくなめさせられたものです。
長野からの援軍の到着が遅れ、編集の打ち合わせがちょうど終わった夕刻になりました。さっそく野小屋に食材や食器を皆で運んですき焼きをしました。少し寒くて、雪見酒をするならコタツがいるな、と話し合ったりしましたが、楽しい夕食になりました。すき焼きは、好物だった母が亡き後、3年ほど忘れていたメニューですが、野小屋のお陰か、せいで、この二ヶ月ほどの間に三度も続いたことになります。
翌日は、長野のご主人には庭仕事を、奥方には喫茶店を手伝ってもらいました。彼はものすごい力持ちだし、手早いのです。私には一日がかりだと思われていた腐葉土小屋の整理を彼は昼飯前に片付けました。半分ほど残っていた腐葉土をうごかして、これから出る落ち葉を積めるようにする作業ですが、カブトムシの幼虫がたくさんいたようです。昼食はお土産にもらった本場のそばをいただきました。美味しかった。
午後は彼に立ち枯れのクヌギを切り倒してもらいましたが、それも彼は2時間ほどで片付けました。その間に、私は焚き火場の手直しを済ませていましたので、あとは二人で夕刻まで立ち枯れの竹を整理しました。直径12センチ長さ18メートル近くもある竹も含めて30本近くを切り出し、枝を払い、積み上げる作業でしたが、汗だくになりました。カップルは夕食を済ませてから北に向かって去って行きました。
次の本が出せそうです。9年前に出した拙著『このままでいいんですか もうひとつの生き方を求めて』の、「もうひとつの生き方」をテーマにした内容です。世界中の人が私たちと同じように欲望を解放したら、あと2つほど地球が必要になる、といわれます。アメリカ並ならもっと多くの地球が必要です。要は、暮らしを変えて明るい未来を切り開かなければなりません。これまでの欲望を解放する生き方を改め、もっと豊かで幸せなうるわしき生き方、21世紀型の人間を解放する生き方に移行しよう、と呼びかけています。
週末は雨まじりの曇天でしたから、もう一人の予定していた来訪者を迎えられなくなり、庭仕事は落ち葉かき程度で終わり、もっぱら原稿の手直しに時間を割きました。予定していた干し柿作りは順延です。だが、ご近所から渋柿をいただきましたので、吊るし柿を作ったりカリンが豊作でしたから蜂蜜を買い込んで漬け込んだりしました。
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