子どもの未来、自然に学ぶ 03/12/22
ウグイスが鳴きやんだと思ったら、月曜の朝は初霜でした。薪割りで体を温め、終日庭仕事をしました。レモングラスの刈り取りや、残っていたサトイモとヤーコンの掘り上げ作業などです。数日間、原稿仕事で屋内に引きこもっていましたから爽快でした。
寒そうにしている金太が、未花ちゃん一家を思い出させました。子どもが金太と楽しそうに戯れていたからでしょう。その子の成長に想いを馳せていると、過日岐阜新聞が開催した座談会を思い出しました。幼児教育の専門家が相手でしたから、私には少し荷が重かったのですが、興味のある問題でしたので引き受けました。そして、「こうした保育が、未花ちゃんの身近なところで行われている」と知って、安堵しています。
1968年開園の保育園から、創業者のご子息が参加されていましたが、一つの哲学をお持ちでした。自然を疎外しない考え方です。園児に、「時々刻々と変化する自然」から五感で学びとらせる保育の採用です。キビの収穫とか、外遊びの一貫としてイチゴを栽培してジャムを作ることから始まっており、今では学齢別に年間計画を組むまでになっています。4月最初のプログラムは夏野菜の種まきで、初夏のサツマイモの苗植え、キビの種まき、前年の秋に植え付けたイチゴの収穫、1月に麦踏みをした小麦の収穫などへと続きます。もちろん焼き芋も作る収穫祭や、収穫物を用いた昼食作りなどもあります。
種を蒔いた子は発芽が気になります。芽がでると、手を差し伸べたくなり、やがては収穫に夢を馳せ、その夢が実現するように努めたくなるものです。それは、自然の摂理を学んだり、未来に対する確かな夢の描き方を身につけたり、言葉や文字による教育と現実を上手に結び付ける考え方を会得したりするようです。これはレイチェル・カーソンが『ザ・センス・オブ・ワンダー』で訴えようとしたことではないでしょうか。
かつて私は農業体験学習のプログラムに参加したことがあるのですが、その作文や図画から、一つの明確な傾向が読み取れました。これまでの私たちは、既存のレールに乗りよくする教育を押し付けがちでしたが、それは間違いを犯しかねません。少なくとも、未来はこれまでの延長線上にないと分かった以上は、問題です。むしろどのような時代になっても、たくましく生きられる力を授けようとすべきでしょう。
アメリカにはパタゴニア社というスポーツ用衣料の会社がありますが、幼児教育でも大成功していることで有名です。女子従業員が安心して働ける会社にしたいと考えた創業者は、社内に託児所を設けました。4歳になるまで読み書きそろばんなどアカデミックな教育を押し付けず、自然と個性を尊重するその保育は、すでに素晴らしさが証明されました。向学心や探求心の強い子どもに育ち、修学意欲が強く、小、中、高とどんどんよい学校に進んで好成績を収めているからです。その様子は、拙著『このままでいいんですか もうひとつの生き方を求めて』に収録しています。
水と木の午前中は今年最後の講義で学校に割きましたが、火と木の午後は庭に出ました。木曜日の夕刻、ベンジャミンゴムなど鉢植え観葉植物を、寝室の南側にある広縁や北側にある風除室などに取り入れましたが、その途中で、裏山に鹿を見かけました。金曜日は知人のお宅を訪ね、「ワラビ道」のための鉄製品を、生まれて初めて経験する溶接作業で作りました。帰途、ミゾレが降りましたが、土曜日の朝は目覚めると一面が雪景色でした。土・日にかけて、アイトワ塾は生物学の若手学者をお招きして合宿をします。
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