ドイツパンと身勝手 03/12/28
アイトワ塾の合宿では、人間の身勝手が淡水魚に与えてきた災難も紹介されました。たとえば、わが国には河川が2万数千から3万もあり、そこに1万箇所もの魚道を作っていながら、その多くは魚類の生態に詳しい学者の意見を取り入れておらず、魚にさまざまな悲劇を生じさせていた、など。思わず私は、わが身を振り返りました。きっと私も、野生生物に対して気の毒なことをしていたに違いありませんから。
合宿の帰途、休塾中の友人夫妻を訪ねましたが、ドイツパンのベーカリーが話題になりました。私は商社時代に、ドイツを毎年1〜2度は訪ねていたのですが、その時に覚えた味を思い出し、開店時間の10時を待って、案内してもらうことにしました。パン屋さんは荒れた庭園の一角にある和風の古びた木造家屋でしたが、そこで日に数十個のパンを焼いて売るだけでなく、茶房として営業もしていました。京都市内の中心部に、「こんな空間があったのか」と不思議な心境になりましたが、それもそのはず、その荒れ果てた庭は、なんと私にとって、一つの原風景であったことがわかったのです。
感激覚めやらぬ心境で帰宅しますと、初雪の重みでひしゃげている植え込みが目に飛び込んできました。昼食や来客との年末の挨拶などを済ませ、早速雪降ろしです。放っておけば、雪の重みで歪んだ枝をそのまま固定させかねません。だから、サラエで雪を掻き落とし、元の樹形に整えたわけですが、その途中でふと雪椿や這松(はいまつ)などに思いを馳せました。それらの木々は雪が造らせた樹形が個性的だから、多くの人を引き付けているのに、私は自分の勝手で樹木を不自然な形に仕立ててしまい、雪降ろしという余計な仕事まで抱え込み、あたふたしているのだと気づかされたわけです。
だからでしょうか、あるいは前日の朝刊でみた「藤田氏親族企業とマクド 年末で解約」の記事も関係したのでしょうか、かつてフジタ未来研究所で行ったアドリブのスピーチまで思い出しました。3年ほど前に、同研究所からスピーチを求められ、訪ねてみると受付の壁面に、「勝てば官軍」という創立者直筆の色紙が掲げられていたのです。なぜか私は言い知れぬ不安を感じてしまい、用意していた原稿そっちのけで、何かを必死で伝え始めてしまいました。今にして思えば、急いで考え方を改めないと、いずれはあたふたせざるをえない時代になりますよ、と訴えたかったのでしょう。
それにしてもパン屋さんは不思議な空間にありました。私は、剪定鋏を購入してから40年以上になりますし、剪定を苦痛に思ったことはありません。にもかかわらず、なぜか剪定を要する木の数を極端に減らそうとしてきましたが、荒れた庭園を見て、その謎が少しは解けたような気分になりました。だから逆に、雪降ろしが急に余計な作業に感じられるようになったのでしょう。でも、この話題は後日に回します。
初氷が張る寒い日曜日からこの1週間は始まりましたが、木曜日は温かくなり、またウグイスが鳴きました。おかしな気象ですが、わが家は暦通りに、鉢植えの観葉植物の取り入れや、かんきつ類への寒冷紗掛けなどをしました。年末恒例のアイトワ塾の忘年会は終わり、後は30日のしめ縄作りを残すのみです。先週の溶接作業で作った鉄柵も、セメントを練ってワラビ道に立てました。次は塗装です。これから年末にかけて、落ち葉掃除や温室のガラス磨きなどをします。今、妻のアトリエはテレビドラマの一場面になっており、来年五月ごろ放映の『京都祇園入り婿刑事事件簿11』の撮影隊が入っています。
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