遊空間と不易 04/01/10
5日の午後、庭での初仕事にスモモの剪定を選んだのですが、小雨が降りだしたので切り上げ、年賀状や新聞の整理に当たりました。夜は、残っていたドイツパンを薄く切ってストーブで焼き、チーズを塗り、ワインを開け、ほろ酔い気分でやすみました。
年末に、ドイツパンに心引かれてベーカリーを訪ねましたが、不思議な心境になっています。脳裏のどこかに荒れた庭園が記憶に残っていたのでしょうか、「それは、昭和館という映画館の裏手にあった」と、友に昔話を始めたのです。わが家の庭を発想する原点になった庭園の話です。すると、「それは、ここと違いますか」と友が応じ、話が急展開しました。たまたまカナダの彫刻家を喫茶に案内してきた人を、パン屋さんが紹介してくれました。「はとこ」でした。その後、はとこの母親とも会いました。私にとっては従兄弟の奥さんにあたる人ですが、距離にすればわが家から20キロ足らずなのに、50年ぶりです。
実は、そこは、父の姉の一人が嫁いだ旧家で、元は藩邸であったために勝手な補修ができず、さりとて敗戦で復元補修する経済的なゆとりを失い、60年近く前から荒れるにまかされていました。小学生の私は、毎月一度、父の遣いでその旧家を訪ねていましたが、色んなことを学びました。その第一は、今にして思えば、「清貧」の美しさです。
遣いの帰り道、郊外に住んでいたもう一人の伯母の家までの帰途、郊外電車の中でいつも土産にもらった科学の小冊子を開き、心を躍らせました。疎開してお世話になっていたもう一人の伯母は、秦氏の末裔と聞く旧家に嫁ぎ、「仏母堂」という石碑がある家に住んでいました。この伯母からも、私は多くを学びました。その第一は、自然の摂理です。
市中に住む伯母夫妻からは、心ときめく話とか科学の本を授けられ、郊外に住む伯母からは、山菜採りなどを通して自然の摂理を体で学ぶ。これを繰り返している間に、私は自然に対する畏敬の念を深め、「不易」の大切さに気付かされています。それが今の性格、出自や貴賎、貧富や肩書き、性や年齢、国籍や肌の色などに無頓着な性格にしたのではないでしょうか。血縁や地縁にも興味がありません。人間には、もっと大切にすべきものがあるように思いますし、それをないがしろにさせかねないものには縛られたくないと思います。とはいえ、その大切な何かが未だによくわかっていないのが問題です。
それはともかく、はとこは素敵な活動をしていました。案内してもらった友に、「パン屋さんは、おばあちゃんが死ぬまで家を借りられる」と妙な話を聞いていましたが、その意味が分かりました。おばあちゃんとは、私の従兄弟の奥さんのことですが、彼女が死ねば相続できそうにないから貸せなくなる、ということだったようです。だからでしょうか、300坪の屋敷と点在する別館や離れを一般に開放していたのです。切り売りでもすれば、豪勢な暮らしができそうなのに、つましい生活をして守ってきたのでしょうか。
水曜日は学校に出て、講義や荷物の整理をし、夜は友と一献傾けました。木曜は午後から帰宅し、スモモの剪定の続きに手をつけたのですが完了に至らず、結局足掛け3日を要しました。その途中で幹にできたウロを見つけました。春を待ってセメントで埋めたいと思います。他に、シュロの葉をさばいたり、立ち枯れの竹を風呂の焚き付けにしたり、夜は21日に行う公開の最終講義や24日の大阪での講演の準備をしたりしました。
土曜日に、猿の群れが庭の柿の実を襲いましたが、追い払いました。妻の生徒さんによると、片足がなくて木に登れない猿が、仲間に実を落としてもらって食べるそうです。
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