リンゴとクロモジ 04/01/18
この一週間は、祖祖父の写真と「赤いも」から始まり、「クロモジ」と「キシメジ」で終わりました。両親が残したガラス板の写真を、過日のパン屋さん訪問に同道した友がコンピューター処理をし、「血は争えませんね」といって紙焼き写真にして持ってきてくれたのです。曾じいさんは鉢植えの蘭を手に持って写真に収まっていました。赤いもは初対面の方からいただいた手土産で、クロモジは大垣の友人たちから贈られた記念樹です。キシメジは、友人が暮に持参してくれたものですが、解凍して食しました。
「遊空間」を作った「はとこ」も植物を大切にしていましたから、血は争えない、となったのでしょう。はとこの父は、私より2回りほど年長で無口な学者でしたから、従兄弟なのに打ち解けずじまいでした。でも、その奥さんはリンゴをむいてくれたことがあります。私はあんなリンゴを後にも先にも見たことがありません。皿に乗せて出された丸のままのリンゴは、ほんのりと皮の赤みが残っていました。小学生だった私はなぜかとても嬉しくなり、その時からリンゴや柿の皮をとても薄くむくクセを身につけています。
その従兄弟の両親は、子どもだからといって子ども扱いをしない人たちでした。いつも帰りがけに、玄関で靴をはいている私に、伯母は「お昼でも、どおえ」と声をかけてくれました。私は嬉しかったのに首を横に振って辞しています。恥ずかしかったのです。とても貧しい時代で、小学校にお昼の弁当を持って来られない子どもがいた頃です。そうしたことが何回か続いたある日、「次に来たときは食べて帰るのえ」と背中から声をかけてくれました。それを、嬉しく感じたのかどうかは、まったく記憶がありません。
その日が来ました。用事を済ませた後、座敷に一人で座らされ、お膳に乗せた料理がしずしずと運ばれました。その流儀は父の故郷で体験済みでしたから慌てませんでしたが、なぜか寂しかった。だから、ガラス越しにズッーと庭を眺めながら食しました。そのとても広く感じた庭には蝶やクワガタムシが棲んでいそうでした。今のわが家の庭と同じだし、庭を眺めながら食するところも似ています。しかし、食事のとり方は逆です。私は、一つのちゃぶ台を皆で囲み、皆で揃って同じモノを食する母の流儀が好みです。母は、家族の誰かが遅くなると一人で待ち、二人で一緒に食することにしていました。
私の庭は、野生生物が棲みやすいように苗や種から樹木を育てましたが、伯父さんの庭は、庭師が造った庭園が荒れるにまかされ、野生生物が棲み付いたわけです。こうした違いはありますが、共に小鳥などが持ちこんだ種から芽吹いた草や木も多そうだし、自生する力がある木や草がせめぎ合いながら生きているところも似ているはずです。もちろん、伯父さんの庭には人の作為が感じられる庭石がありますが、わが家の方には知人や義妹の作為が明確な焼き物が目立つ、などの違いもあります。
この週は、大垣市環境市民会議に望むために火曜日から移動し、大垣で2泊しました。最終講義の配布資料作りや来客とか荷物の整理などでばたばたしましたが、昼は学生におにぎりを、夜は友人たちにご馳走を振舞ってもらったりしました。帰宅は、木曜日の昼下がでしたが、道中の関が原あたりは一面の雪景色だったのに、わが家の一帯は春のようでした。ウグイスが昨年の早春から「ホーホケキョ」と鳴き続けづめになっています。この冬は、まだ薪ストーブを焚いていません。多分、妻は冬の創作休暇が開ける2月21日まで使わないことでしょう。こんなことはアイトワができてから初めてです。
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