三匹目のネコと退官 04/01/25
両親が生きていたら、喜んでくれたのかどうかと考えながら、週の初めは母屋の内庭から手をつけました。梅の木の手入れが目的でしたが、椿や楓が覆い被さるように茂っていましたから、まずその剪定から始め、風呂が1ヶ月ほど焚けそうなほど大量の幹や枝を切り詰めました。問題は、椿が再び咲き誇るまでに、2〜3年はかかりそうなことです。でも、数年後には椿と楓と梅がバランス良く妍を競いあうようになるでしょう。
剪定で出た幹や枝を焚き火場に運びながら、最終講義の予行演習をしました。演題は「パラダイムの転換、循環型社会に羽ばたく」です。ビデヲに収録してもらえそうなので、少し欲張った内容にしました。黒板を用いる時間をOHPの駆使で節約し、内容を凝縮させ、時系列に世の流れを追い、歴史観も感じとってもらいたいと思います。
それでなくとも、私の講義に対する学生の評価は二分されます。たとえば「言語が不明瞭で聞き取りにくい」「講義に対する情熱に欠ける」という人と、「言語は明瞭で聞き取りやすい」「講義に対する情熱を感じる」の二分で、中間がないのです。それにお構いなく、私は後者に焦点を絞って講義を進めます。なぜなら、前者はテキストを購入しないし、ノートも持って来ない。第一、講義の狙いや受講上の留意点などを記したシラバスさえ読まない人たちだからです。漫談に望むような態度で講義を受けたいのでしょう。
だから、三匹目のネコに学ぶ、という小話も挟みました。「魚をくれる人」や「魚の捕り方を教えてくれる人」を優しい人と見るネコに対して、社会で生じている資源枯渇や絶滅問題に学び、両者はむしろ怖い人だと睨むネコのことです。私は三匹目の「魚の生態を教えてくれる人」が優しい人だと気づくネコになりたいし、三匹目のネコに加勢したい。だからといって、先の2匹が悪いネコだとは即断しません。ぬるま湯社会の犠牲者でしょう。そこで、先の2匹が一刻も早く目覚めることを願った努力もしてきたつもりです。
大垣へは市の仕事がありましたので火曜日から移動しました。妻と一緒です。私が市の仕事をしている間に妻はアパートの大掃除をして帰って行きました。私は最後の仕上げの担当です。翌日の最終講義はスムースでした。願ったようにお手伝いをしてもらえたからです。社会人と一緒の公開講義でしたから、学生にはよい刺激になったとことでしょう。講義のあとの部屋はにぎやかでした。未花ちゃんも子ども連れで訪ねてくれました。
夜は、晩酌のハシゴでした。友人に小料理屋へ案内してもらい、10時過ぎからうまの合う先生と飲み直したからです。でも二日酔いせずに翌朝は6時前に目覚めて朝食をとり、急いで電子レンジや布団など最後の荷物を整理しました。8時にクロネコヤマトが来てくれることになっていたからです。無事に昼過ぎには京都に帰りつきました。さすがは大寒、「今朝は零下4度」だった、と教えられました。ウグイスも鳴き止んだようです。昼食は鍋焼きうどんで身体を温め、ハッピーを連れて庭に出ました。大きな肩の荷を下ろした心境で、すごく身体が軽く感じられました。だから、手斧を持ちだし、剪定で出た山のような木の整理に手をつけ、身体を中から温めました。
週末は、季刊誌『自休自足』や月刊の機関誌『嵯峨』の原稿を仕上げとか、来客との歓談や自治会の寄り合い、あるいは大阪での講演などに費やしました。妻の銀座松屋での個展が迫ってきましたので、風呂焚きは私が担当しています。コタツに寝転んで溜まっている本を読みながら、気づいたら昼寝をしていた、なんて気分に早くなりたいものです。
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