ホームベースとシャモ 04/02/01

 日曜日の朝、友から「ホームベース」と名づけた大きなパンを贈ってもらい、新しい週が優雅な気分で始まりました。前日の土曜日までは、講演予定が入っていたからでしょうか、なぜか気ぜわしい心境でした。パンのホームベースは、「すべての時間が、自分のものになった」との自覚を呼び覚ましたようで、ゆったりした気持ちになりました。お陰さまで、夜ものんどりと湯に浸かり、ほろ酔い気分でやすみました。

前日の講演はとても楽しいものでした。まず、講演の前に、思わぬ人に会えたからです。アイトワの冬の休暇が開けるまで来訪を控えていただいている人が、チラシに私の名を見つけて駆けつけてくださったのです。講演の後も、最初の質問に立った女はさわやかな人で、会場をなごやかにしてくださいました。持参した拙著も完売しましたし、この講演の幹事をしてもらった人と、魅力的な野菜の苗をいただく約束もしました。

最初の質問は、「森さんのように土地に恵まれていない者はどうすればよいのでしょうか」といったものでした。私は「そういう質問をする人は」と切り出し、「たいがいは、私には土地がないからできない、と言い訳をしたい人が多いのですが」とつなげたのですが、その人は苦笑で受け止め、会場の爆笑を誘ってくださったのです。そこで持論の「三分割法」を開陳しました。その気になるなら、今こそ広い土地を手に入れ、悠悠自適の人生を目指す好機であることを説明し、納得していただいたのです。4月上旬に出る予定の拙著『エコから始まる仕事と暮らし(仮題)』でも三分割法を強調しています。

水曜日は、思わぬ喜びに恵まれました。ある機関誌から取材依頼が入っていたのですが、取材が終わり、お茶を飲んでいたときに、編集長の口から意外な人の名前が飛び出したのです。かつて私は、清貧の画家、田中一村の足跡を訪ねて奄美などに出かけていますが、編集長の祖父は一時期一村のスポンサーのような存在だったのです。一村は千葉で暮らしていた頃に、有名なシャモ(闘鶏用の鶏)の絵を残こしていますが、闘鶏に情熱を燃やしていた編集長の母方の祖父が、一連のシャモの絵を描く機会を一村に与えていたのです。編集長によれば、子どもの頃におじいさんの家で怖い体験をしておられます。「一人寝をさされた広い部屋は、一村が描いた闘鶏」の襖絵で囲まれていた、とのことでした。一村が描いたシャモは眼光鋭く、いまにも襲いかかってきそうな気迫に満ちています。

金曜日の朝、ウグイスが本格的に鳴き始め、来客をお迎えするのに絶好の好天となりました。拙著に触れてお訪ねいただいた女性経営者と歓談し、意気投合しました。とても明るい雰囲気と威厳に満ちた人ですから、きっと会社を素晴らしい方向に導かれることでしょう。土曜日は、夕刻から今年初のアイトワ塾の合宿です。ゲストはオランダに留学していたことがある若手の学者です。会場はこれまでに幾度か使ったことがあるシャモのすき焼きで名物な民宿で、これからの二食はシャモづくしとなります。

この一週間の庭仕事は、剪定で出た枝や幹を薪にしたり、落ち葉を秋からそのまま残していた部分の掃除をしたり、ニセアカシアなど背が高くなりすぎた木の頭を切り落としたり、枯れたジンジャーや菖蒲などを刈り取ったりすることでした。庭の茂みがすっかりなくなりましたのでコジュケイがうろうろしているのがよくわかります。今年は4羽育ったようで、好きなように餌をついばんでいます。私にとってもこの空間は、好きなように羽根をのばし、想うところを思うがままに成せるところです。

わが家が「ホームベース」だと実感する贈り物をもらうことから、この一週間は始まりました。ドイツパンのベーカリーを教えてくれた友が、同道した友と一緒に、そのパン屋さんで焼いてもらって届けてくれたのです。「ドイツパンの生地ではできない細工なので、先に食べてください」とのことで、日保ちがするドイツパンが一つ添えられていました。

アイトワのシンボルマークをつけたパンを発注しておいたら、「パン屋さんがシンボルマークをパンにしてしまいました」とのことでした。そのパン屋さんが、「ホームベースのようだ」とつぶやかれたそうで、友人たちは今の私に「ぴったり」だと気づいたわけです。近く三人でパン屋さんを訪ねることにています。
2日間続けて朝食は洋食になり、気分をリフレッシュしました。妻はパンをすこし軟くしたくて焼きましたが、私は食間におやつ代わりにかじりつき、焼かずにそのまま食する方が美味しいことに気づきました。素朴な味なのに、そのまま噛み締めていたら美味しいのです。つい、次の一口を運んでいます。妻も真似てかじりついていました。
 
田中一村展が近く大阪の百貨店で開催されます。その矢先に、一村ゆかりの人が話題に登ったものですから、とても嬉しくなりました。わが家の庭で自生するようになったゴーヤは、一村を慕って奄美を訪れた折に、一村が愛好したという品種と同じだと思われる種を手に入れ、持ちかえってきたものです。
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田中一村の絵画

庭ではモグラものびやかに生きています。妻は、モグラが土を押し上げている瞬間に立会い、大喜びでした。夜分に地上に出て移動するのでしょうか、トンネルを掘り進んだとは思えないところに土を盛り上げています。

さくらそうがきれいに咲き始めています。今や自生するまでになりましたが、こうなるまでに10年近い苦労を重ねています。幾度も苗を手に入れて植えたのですが定着しなかったのです。数年前に、友と義妹から同時期に苗をもらいましたが、その折から自生種のようになって随所で芽生えるようになりました。

わが家では、剪定で出た幹や枝をゴミにはしません。風呂やストーブに焚く燃料として生かした後で灰を肥料にしたり、そのまま腐らせて肥料にしたり、このように室内に生けて、一足早く春迎えようとしたりします。この生かし方が、テレビ番組を作る気持ちにさせたキッカケになったことがあります。その心境は一文になり『庭宇宙』に収録しました。

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