オランダと陳さん  04/02/08

この一週間は、二人の若い人からエネルギーをたくさんもらいました。まずアイトワ塾の合宿では、オランダから帰国したばかり若手の学者をゲストに迎え、オランダについて学びました。火曜日から土曜日にかけて、環境政策に力を入れている台湾から、外交官として東京の大学で研修中の陳さんが、春休みを生かして遊びに来てくれました。彼は、のぞみの切符を買いながらこだまに乗ってしまったようです。

オランダは、ジャガイモを主食とし、ガス以外に資源のない国ですが、第三国から留学生を積極的に受け入れて学位を与え、その人たちと築くネットワークを資源にしようとしています。中庸の思想と寛容の精神(トーレランス)、そして多様性を大切にする国民は、上下関係を作ることを好まず、きちんと意見を述べ合うことで無用の衝突を避けようとしています。とても自己責任意識に富んでおり、尊厳死や大麻や売春まで合法化するなど、裏の社会を作らないようにしており、外国人も公務員にします。世界恐慌の時に、ドイツはアウトバーンを造りましたが、オランダは自転車道を造っています。

オランダは小さな国土なのに、バブル期の日本のように世界の富を一手にしたような一時期があり、その時に今の国の形を造ったといってよいでしょう。わが国も、経済的にゆとりがある間に、末裔たちが心豊かに暮らせる資産や国の形を創出しておきたいものだ、と次の本,『エコから始まる仕事と暮らし』(仮題)で私は訴えていますが、むしろ個人が今の間にしておくべきことが沢山あることを指摘しています。

合宿では、青色発光ダイオードにからむ200億円問題も話題になり、賛否が分かれました。終身雇用などを自慢にしていた時代なら、私は企業に同情したい。リストラを首切りと同義語にした今では、当研究者の警鐘に耳を傾けます。強い企業が、終身雇用を標榜したり勝手に反故にしたりする企業社会のあり方が、20億が200億に、次は604億にと警鐘の音色を大きくさせるのではないでしょうか。この人の意見を企業家や施政者が深く理解しようとしない限り、日本は坂を転げ落ちるように衰退してしまいそうで心配です。

陳さんが来た日は節分でしたから夕食は手巻き寿司になりました。妻は陳さんに買い物について行ってもらったり、東京での個展の飾り付けを手伝ってもらう約束をしたりしていました。陳さんは妻を「お母さん」と呼びますし、同い年のご母堂も遊びに来られたことがありますから、妻は彼を息子のように扱うのでしょう。人類共通の利益を前提に物事を考える若者ですから、おのずと弱者や環境問題への配慮がにじみ出ます。真の正義感に富んだ若者と見て、妻も世話を焼きたくなるのでしょう。

水曜日の夜は環境関連の会議で大垣に出かけ、木曜日は逆に大垣の友に訪ねてもらいました。妻が東京の個展会場で流すビデオ作成するためです。妻のビデオ収録の間、陳さんと私は庭掃除をしました。金曜日は、彼と一緒に車で市内に出かけ、知人にコールタールをいただいた後、友だちと落ち合ってドイツパンのベーカリーを訪ね、昼食をとりました。2時ごろに帰宅し、二人でコールタールを用いて薪ストーブの錆止め塗装をしました。翌土曜日、彼は高速バスで帰って行きました。次回は桜の頃に来るでしょう。

この一週間、私は小刻みの合間を生かして、校閲されてきた次の本の原稿を手直ししたり、学生から送られてきたレポートを読んで評価をしたり、ある団体が愛をテーマにして募集したエッセーの審査をしたりしました。もちろん風呂焚きは私が担当しています。

 

オランダは、正社員の給与を抑制するワークセアリング方式で有名ですが、正社員を解雇するときは、企業が一年間給与の70%を支払わなければいけないルールもあり、強い立場を制御する姿勢がうかがえます。また、20年だったか、長期にわたって車を使用するとナンバープレートの色を変えて自動車税をタダにしてくれるなど、ものの資産化を優遇しているようです。

ゲストの若き学者は、オランダで船に乗せてもらった時に、「風と潮目と周りの船を見て、目標に向かって舵を切れ」、と操舵を学んだといいます。目標にたどり着かなければいけないが、その途中にはさまざまな難問が待ち構えているものです。この助言の説明を聞いた折に、私は企業や学校の経営に携わった時のことを思い起こしました。
会場となった大原の民宿は、山懐に抱かれた村落の一角にあり、早朝の散歩にでかけますと、山間地らしく田畑が凍て付いていました。野菜をビニールハウスで作る農家はいないようで、まだ景観は捨てたものではありません。今は2〜3の寺院で観光客を引きつけていますが、ひと頑張りすれば、景観で観光客を呼び寄せられるようになるでしょう。
 
民宿の近くには、「乙が森」の塚という遺跡があり、立ちよりました。その昔、村を通りかかったお殿様の目にとまった美しい村娘が、いわば使い捨てられ、大蛇になって恨みを晴らそうとした伝説のようです。

左の写真をクリックすると「乙が森」の伝説の説明が出ます。

妻のビデオ収録中の光景です。その間、陳さんと私は庭掃除をしたのですが、替えズボンしか持ってきていなかった彼に靴を貸してあげようとして、28センチもある大きな足の持ち主であることを知りました。

ドイツパンのベーカリーで採った昼食です。前回連れて行ってもらった友人の車に先導してもらって訪ね、4人でホーム炬燵の席に陣取って2時間余り過ごしました。スープはミネストローネでしょうか、マメがたくさん入っていました。

ストーブの錆止め塗装を、煙突や高い部分は陳さんに分担してもらって終えました。サンドペーパーで錆を落とし、コールタールを塗ったわけです。しばらく自然乾燥させた後で、薪を燃やして焼きつけます。2月20日までの冬休み中に匂いが抜けるとよいのですが、どうでしょうか。これで私が死ぬまでもつことを期待しています。