野囲炉裏と緑の再生   04/03/07

 けたたましいコジュケイの鳴き声で目を覚ましますと、強い雨が広縁のガラス屋根を打っていました。その雨音をまどろみながら聞いていと、モンゴルを訪ねて遊牧民の住居ゲルで投宿した夜のことを思い出しました。移動式住居のフェルトの覆いを打つ雨音で目覚めたのですが、太鼓の中で眠っているような錯覚をし、自分は自然の一部なんだと実感したのです。きっと子宮の中の赤ちゃんもこのような心境なのだろうな、と感じたわけです。

また一週間が雨で始まったわけですが、先週末に引き続き、十数年ぶりに召集がかかっていた別の寄り合いに出かけました。市街地に出たついでに、まず本屋に立ちより、買い求めたかった本やファイルカードを手に入れ、その上でフグ料理屋を訪ねました。九州から参加した友は、ふぐ刺を口に放り込みながら「こんなもんじゃない」と、福岡県の糸島で食するサバの刺身を自慢しました。今は彼の地元となった糸島は、魏志倭人伝でいえば伊都国でしょう。今年は甘ナツが豊作とか。いちど糸島を訪ねたい、と思いました。帰宅しますと、タンカンが奄美から届いた、と妻から告げられました。田中一村の足跡を訪ねた折に知り合った奄美の人が毎年届けてくださいます。先週は高松からイヨカンをいただき、2週続けて美味しい柑橘類に恵まれました。

月曜日から庭に出る時間を作り、まず空になっていた風呂場の薪置き場を満たす作業から手をつけました。乾いた薪を備蓄小屋から取り出し、小割りにして積み上げる作業です。続いて、以前の剪定で出た枝や幹で作った薪を束ねて備蓄場に積み上げましたが、この二つの薪にかかわる作業で2日を費やしてしまいました。もちろんその間に、蕗の董を摘んだり、『次の生き方』の2度目の校正刷りに手を入れたり、先週取材があったミニコミ誌から届けられた原稿をチェックしたりする作業などをこなしています。

モンゴルを思い出したのは、別の理由もあったようです。モンゴル研究では第一人者の学者から、私たち夫婦のプロフィールなどを送るようにいわれていながら失念し、慌てて作業をする事態が生じていたのです。この学者は、一年余り前から素敵な活動を繰り広げておられますが、その集会にスピーカーとしてご招待いただいたのです。その活動に関わる会員に配布する小冊子で、私たちをご紹介いただく文案つくりにも追われていたからです。

水曜日から石の選別と移動に手をつけ、酷い目にあいました。泉を補修するための石や、焚き火場の囲炉裏(いろり)を囲む石を選別して現場に運んでいたのですが、途中で転んで膝や肩を打って痛い目に合いました。多分、ウォーミングアップのつもりでその前に少し畑の畝づくりをしましたが、それが身体にこたえたのでしょう。壬生菜とヤーコンのあとを耕し、腐葉土を鋤き込んだだけですが、歳のせいか、それが身体をなまらせていたようです。

囲炉裏の石囲いは2日にわたる作業になりましたが、完成しました。廃材の石の中からめぼしい石を選び出すことから手を着け、石の瑕を隠したりいびつな部分を小ぶりの石で補填したりしながら造ったわけですが、肩の痛さなどすっかり忘れてしまうほど没頭しました。

土曜日は朝から岐阜に出かけました。岐阜新聞・岐阜放送が主催する植林活動を報道する30分の生番組に出るためです。2年前に大きな山火事が久務原市境で生じましたが、その後に植林をする継続的な活動ですが、4回目の前回からゲストに呼んでいただき、「庭を森にした男」の目から見た植林の意義や効果を、岐阜テレビを通じて語らせてもらったわけです。まだ山火事の跡には小鳥や昆虫の姿が戻っていないとのことでしたが、わが家では、この1週間は毎朝のようにウグイスやコジュケイなどの鳴き声で目覚めています。

蕗の董がではじめました。さっそく「ふき味噌(円内)」を作ってもらいました。究極の美味は苦味だといいますが、実に美味しい。妻の個展が終われば、「蕗の董茶漬け」もつくってもらえることでしょう。食後に、ヤーコン茶を入れてもらいましたが、これも苦いお茶ですが、さっぱりしたよい味です。

野菜も薹を立て始めましたの。毎朝、自然生えする混血の野菜をはじめ、コウタイサイや白菜の花芽を楽しむ季節に入ったわけです。円内は先週の金曜日に収穫したもので雪が凍り付いています。雪や霜をかぶった野菜をサッと湯がいて食しますと、口の中でほんのりとした甘味が広がり、ほほが思わず緩んでしまうほどです。
奄美のタンカンです。私の知る限り、最もおいしい柑橘類の部類でしょう。折よく訪ねた友が、帰途に子沢山の友の家などに立ち寄ると言いましたからお裾分けしました。母が生きていたら、こうは行かなかったと思います。タンカンが大好きでしたから独り占めしたがったに違いありません。もちろん私たちは仏壇にお供えした上で味わいました。
水槽の底に沈んだシイタケのホダ木を引き上げたり、新たに3本を運んできて水槽に浸したりしましたが、何時の間にか新たに浸した3本の内の2本が沈んでいました。どうやら今回のホダ木つくりは失敗だったのかもしれません。原因は乾燥のし過ぎしか思い当たらないのですが、それにしても、なぜ水より比重が高くなってしまうのでしょうか。

風呂焚き場の薪置き場に積む薪を作りました。一輪車に山盛り積んで2はい半が必要ですが、坂道を運び上げる力が弱ってきましたから、4回に分けて運びました。もちろん、薪割りはコツを心得ていますから、若いときより力を要さずに上手に割れるように思っています。奥に見える薪は、以前につくった剪定で出た枝や幹を薪にしたものです。

完成した野囲炉裏です。これまでは土を掘った浅い穴に過ぎませんでしたが、恒久的なものにしました。廃材の石の山から、石を組み上げた完成図を想像しながら石を選んだり、石の瑕の具合を調べたり、上に持ってくる部分を選んだりすることから始めますが、現場で組みあげる過程で幾度も石の配置を入れ替えたりします。できあがってみると、偶然でしたが7つの石で火穴を囲んでいたことを知り、「ラッキーセブン」とご満悦になりました。

生番組で使われた岐阜テレビの小さなスタジオです。県民協働「緑の再生プロジェクト」第5回「みんなの力で緑を」という行事です。スタッフも加えると1050人の老若男女が参画しました。コナラ、アベマキ、ヤマザクラ、ミツバツツジ、ムラサキシキブなど小動物が好みそうな高木や低木の苗が選択されており、30〜40年もすれば小鳥が糞で運び込む種から芽生えた異なる植物も加わり、豊かな二次自然が望めるようになっていることでしょう。