環境問題と子どもの未来   04/03/21

  想い出多い一日から一週間が始まりました。大垣市環境市民会議が土曜から2日間開催した市民環境フェスティバルに出かけたのですが、昨年のフェスティバルで「わび助」という椿の鉢植えをくださった知人に、お宅や、少し離れたところにあった畑や池などに案内され、両手に一杯のお土産をもらったのです。ご母堂が取り木をされた美味しい実をつける桜の苗木、わび助や数種のボケの切り枝、天然のメダカなどですが、奥さんに手伝ってもらって包装しました。その人は、庭の一角にある自分専用の工場で、プラスチックを成形する型わくなどを造っています。『次の生き方』で大切にしている「創る喜びに満ちあふれた人生」だ、と見ました。

 フェスティバルは第4回目でしたが大成功でした。多くの子ども連れの家族に詰め掛けていただけたからです。感受性に富み、直感が鋭い子どもに、こうした催しに出かけてもらいたいと願っていましたが、子どもたちは目の色を輝かせ、片時もじっとしておれないようすでした。環境問題とは、子どもたちや弱い立場の生き物、あるいは自分の未来のことを忘れ、今の自分のことで精一杯になっていた問題、でもあったわけです。帰宅すると日はすっかり落ちていましたが、ケンをはじめ犬たちは大喜びでした。伊都国の友が「甘夏」を届けてくれていました。衣服を着替えている最中に、最寄の友の奥さんから電話があり、友の運転で夕食を運んでもらいました。この夜は味噌煮込みうどんを作る予定でしたが、カレーライスを賞味しました。

 火曜日は、「あとがき」の再校に手を入れて出版社にファックスをしたあとは、終日庭に出ました。アイトワの定休日であることを生かし、崩れたパーキングの肩を直しました。夜はアイトワ塾がありましたが、処女作の検証をテーマにしてもらってよかったと思いました。バブルの最中、1988年の初夏にポスト消費社会の到来を予告し、その姿を著しましたが、見通しが中途半端に終わっていた部分があったのです。雑談に花を咲かせていた11時過ぎに、妻は帰宅し、コーヒーを入れてくれました。個展の会期中、和服で通した妻ですが、東京では和服姿の女性をよく見かけた、とか。このたびも多くの人形が嫁いでしまいましたが、最後に決まった嫁ぎ先も印象的であったようです。出張をかねて大阪から駆けつけてもらえた女性に、「あなたにそっくりの子がいるの」とのヒントを告げると、見事に見つけ出してもらえたようです。

 庭仕事がはかどっています。すっかり遅れていたゼラニウムの刺し芽をしたり、キュウリやインゲン豆の種をポットにまいたり、剪定屑を切って束ねたり、夏野菜の畝を耕したりと、仕事が溜まっていたからです。木曜日は大工仕事をしました。水曜日の夜に大雨が降り、土が濡れて重くなっていたからです。野小屋に、簡易ベンチをぶら下げるフックを取り付けました。

 この1週間で、庭はすっかり春になりました。大きな花びらを開き始めたハクモクレンやピンク色のヒメコブシが、残っている白梅や枝垂れの紅梅、黄色い花をつけるサンシュユやミツマタ、澄んだ赤紫色のエゾヤマツツジなどと妬を競っているからです。今年は父が死んだ年、平成5年より10日は早く春が始まったようです。その年は、25日にエゾヤマツツジが満開でした。

 週末は岐阜県の瑞穂に出かけました。新しい幼稚園の竣工披露宴に参加するためです。かつて岐阜新聞の座談会でご一緒した人が初代園長を勤められることになったからです。屋内に一歩足を踏み入れると、木の香りがプーンと漂ってきました。床はフシの多い檜のムクの白木でしたが、私の目にもフシがタヌキやフクロウの目のように見えてきました。きっと子どもたちにもさまざまな夢を描かせることでしょう。この幼稚園は、知的関心や思考力を深めたりすることで世界的に高く評価されているルドルフ・シュタイナーの教育思想を採用しています。



今の庭の様子です。右手奥の黄色い花はサンシュユで、左手前の白い花はハクモクレンです。ピンク色の枝垂れ梅も見えています。右端の常緑樹は花が終わったサザンカで、中央の葉の出ていない木は、富有柿です。

今回の市民環境フェスティバルでは、小学校の児童や中学校の生徒が環境問題に取り組んだ成果を発表しました。この年頃の子どもたちは、時々刻々と知識などを吸収するようで、一年間の差は大きいようです。会場には、参加型体験コーナーも充実していました。さまざまな種や花殻などを用いる工作コーナーや、小石を用いてブローチやペンダントを作るコーナーなどもあり、大勢の親子連れが没頭していました。
自然に環えるグリーンポットも展示されていました。剪定枝、おがくず、トウモロコシの残滓などを生分解性プラスチック樹脂として生かした製品です。このポットを、植え替えが難しいキンレンカ(ナスタチウム)や、真根が長く伸びて替え時に根を痛めやすい樫などの育苗に生かせば、根鉢の土を崩さずに定植できて有効だろう、と考えました。
一台の機械からはじめた仕事場は、いまや工作機械で埋まっています。自動車の部品から洗濯物を干す道具まで、さまざまなプラスチック成形品の型枠がここから生み出されます。その仕事振りは、家族や仲間との付き合いや自分の体調とか趣味に気配りをしながら、きっと主体的に進められていることでしょう。定年も自分で決めます。

友人夫妻に差し入れてもらったラカレーライスです。美味しかった。子沢山の家庭ですから、大きな鍋で煮こんだのでしょう。少し甘口でしたので助かりました。私は、辛いものを食べると頭の剥げた部分に大汗をかく性質ですから、風呂を立てない日はつらいのです。一人住まいでは、薪で風呂を沸かす気にならず、汗を流せなかったところです。

補修したパーキングの肩です。少し高台になっていますから、敷いてある砕石がこぼれないように「止め石」を肩に並べていたのですが、それが落ちたり沈んだりしていたのです。石を選んだり、運んだり、並べたりする作業で、定休日のあらかたの時間を費やしました。

新しい幼稚園の誕生です。新しい園長さんの夢と構想に賛同し、祝福です。ルドルフ・シュタイナーの思想については、私は実践者の経験談や書籍などを通して知っているだけのですが、分析的部分として対象をとらえず、総合的全体としてとらえるなど、次代に羽ばたく人材を育むに違いない、と見ています。『モモ』を書いたミヒャエル・エンデも学んでいます。この思想を汲んだ経営で成功した事業家を、拙著『「想い」を売る会社』でも触れています。