赤いヤマボウシと宴の準備  04/03/29

 好天の日曜日は、夏野菜の準備を始めました。灰や苦土石灰、油粕や鶏糞などをまいて耕し、腐葉土の鋤き込みです。この1週間に、キュウリとインゲンマメの種をポットに蒔き、ヤーコンやコイモ、トマトやトウガラシなど第1グループの夏野菜の畝を耕します。続いてカボチャやトウモロコシの苗をポットで育てながら、それらの畝を用意し、最後に3グループの直播きするツルムラサキ、ゴーヤ、オクラなどに手をつけます。その間に、あまり嫌地をしないホウレンソウやベンリナなどを育てる畝や、今年新たに挑戦するエゴマやツルナの畝を用意しようと思っています。

 日曜の夜半から雨が振りはじめ、月曜日は屋内で過ごすことになりました。まず、階下の薪ストーブに火を入れてもらい、書斎を突き抜けている煙突の余熱で部屋を温め、溜まっていたデスクワークとなりました。実は、書斎は今、足の踏み場もありません。前著『「想い」を売る会社』のための主としてアメリカで取材した資料や、『次の生き方』に要した資料とか、短大から引き上げてきた書籍や資料などが重なってしまい、引き出しが10段ついたプラスディックケース6本とダンボール箱12杯分の資料が溜まっているのです。

 火曜日は晴天となり、久しぶりで妻と一緒に庭に出ました。まず三段式ハシゴを生かした松の枝落しです。20キロもあるアルミ製のハシゴを枝に立てかけ、7メートル近くまで登って鋸で切り落とすわけですが、お尻のあたりがムズムズしました。この作業が終わる頃に、赤い花が咲くヤマボウシの木を、小型トラックに載せて届けてくださる方がありました。植える場所を、門扉を入った真正面に定め、これを幸に一帯の手入れをしました。少し傾斜地ですから土が流れないように石囲いをしたり、ヤマボウシが大きくなった時のことを想像し、周囲の木の剪定をし直したりしたわけです。夕刻は、妻に腐葉土を畑まで一輪車で運んでもらってヤーコンやコイモなどの畝に鋤き込んだり、山のように溜まっていた剪定で出た木屑を燃やしたりしました。

 庭が次第に整ってきました。その中には、三段式ハシゴの収納場所を定めて細工をしたり、4月から5月にかけて増える庭でのパーティーの準備をしたりする作業も入ります。ケンの小屋周りのスズメノカタビラなど稲科植物の葉先をガスバーナーで焼く作業や、オドリコソウなど数少ない野草の引越す作業も含まれています。訪ねていただいた人たちに、貴重な草を踏みつけさせたりダニの被害に遭わせたりしたくないからです。この冬はイノシシに進入されましたから、ダニに卵を落されています。今ごろは芥子粒のような小さなダニの子が稲科植物の葉先に集まっていて、側を通る動物を今か今かと待ちうけ、忍者のように飛び移ろうとしています。

 ヤーコンとコイモの植え付け、ベンリナとコマツナの種蒔き、ホウレンソウを発芽させるための水に浸ける作業がすみました。タンポポが22日に、スモモの花が23日から、ソメイヨシノが24日から咲き始めています。ヒメコブシの花びらが、ヒヨにとってはご馳走であったことが分かりました。その隣にたくさん咲いている白いモクレンには目もくれず、数少ないヒメコブシの花びら集中的についばみ、ボンボロボンにしてしまいました。週末は、親戚づきあいしている長野の夫婦が所用で京都に来たといってひょっこり訪ねてくれたり、広島の女性に数日間の逗留を認めてあげたりしましたから、賑やかな夕食となりました。

 この間に、市に委嘱されて市内で開催された委員会に出かけました。一人の委員から、「京都から世界に発信できるものにしなくては」との発言がありましたが、私は密かに、それは「次の生き方」を提唱できるものにすることではないか、と考えています。


松の枝を落しました。太い枝が数本、枝垂れ桜の上に覆い被さっていました(左)ので、被さっていた部分を切り取った(右)わけです。落ちた枝が下の桜の枝を痛めては困りますから枝にロープをかけ、妻に操ってもらいました。落した1枝で3〜4回ほど風呂が沸かせそうですが、大部分は文字通り「松明」のような焚き火をして灰にしました。これ以上高い松の枝は、もはや私には手が出ません。

赤い花をつけるというヤマボウシです。かつて私は『ビズ』という雑誌にエッセーを連載していましたが、それがきっかけで、アイトワを訪ねていただくようになった愛読者が、今は妻の友なり、庭から運んできてくださいました。石囲いをして土が流れにくくしました。

いただいたヤマボウシを植え終わった時点の様子(左)です。ヤマボウシの後ろの木はモクセイで、左側に常緑樹の樫と楠(左端)があります。樫の手前の落葉樹はネムで、楠の奥の落葉樹はモクレンです。ヤマボウシの右側にクロモジの苗木が見えます。これで、先週植え込んだサクランボがなる桜の苗木を含め、短大を辞めた年の記念になる樹が3本になりました。右の写真は、現在の様子です。樫の背を切り詰めて人形展示室の窓がよく見通せるようにしました。ついでに、楠を小さく仕立てたり、ネムの枝をさばいたりしました。やがてヤマボウシが大きくなり、その葉が茂る時期は窓の右半分が見と通せなくなることでしょう。

植物に詳しい友が、親戚と知人の庭にあったという2種のスモモの枝を持って訪ね、わが家のスモモの枝と交換して帰りました。もらった2種の枝をスモモの幹にぶら下げました。スモモは自家受粉が嫌いですから、異なる花粉を蜂に交配してもらおうというアイデアです。花瓶にクッキングホイルを巻きけたのは、水が温まりにくくするためです。

三段式ハシゴの収納場所は、渡り廊下の軒先になりました。大部分はアルミですが、肝心要の部分が鉄で造られており、雨に打たれると錆びます。だからなるべく高いところに吊るしたいのですが、これが今の私の力で吊るせる限界です。

委員会に果実酒を持参した委員がありました。半年ほど前に予備調査で現場をたずねましたが、ガマズミの実がなっていました。その実で造った薬酒です。委員会終了後に、ソーダー水で割って乾杯をしましたが、さっぱりした味で美味しかった。市職員は「職務中ですから」と、断られましたが、なんだか残念でした。

ヒヨドリに食べられたヒメコブシの花です。下の方に一輪だけまともに花びらが残っていました(円内)が、他はことごとくついばまれています。山に食べ物が少ない冬にはブロッコリーの葉がよくついばまれますが、食料が豊かな今ごろ狙うのは美味しいからでしょう。