花見とコミュニティ  04/04/12

 04年04月04日の日曜日は、週間予報では「晴」でしたが、前日とは打って変わって小鳥が声をひそめるほどの本降りで開けました。陳さんたち家族と土曜日の間にテラスで朝食をとっておいてよかった、と思いました。好天の下で、今が盛りのサクラを愛でたり、ウグイスの鳴き声を身近に聞いたりしながら歓談できたからです。その後、天気予報は、「日曜日は雨、午後から晴」と報じるようになり、前日夕刻、アイトワ塾で鳥鍋をつついた頃は雲行きが怪しげになっていましたから覚悟はしていたのですが、こうも降るとは思っていませんでした。

 雨は2時になっても上がりません。会場は、前日の間にアイトワ塾の皆さんに設営してもらったようなようなことになっていましたが、あと2〜3時間はほしいところです。妻と、会場を屋内に代えることを視野に入れたり、採り立てが美味しい山菜採りを、会場設営の前に回したりしました。ヌタや湯豆腐あるいは天ぷらなどに用いるコゴミ、イタドリ、アケビ、カンゾウ、ドクダミやミツバを求めて庭を巡ったわけです。ワラビやツクシなどアク抜きを要する山菜と、お花見弁当や花芽サラダなどに用いる各種野菜の花芽は妻が事前に摘んでいました。

 ほぼ雨が上がった4時に、お手伝いをしてもらう関西の仲間のご夫妻が到着。その助言やアイデアを得てぬかるんだ庭での強行を決め、4人で手分けをして会場の設営や、お酒や調理器などの運搬にとりかかりました。結局、晴れ間をみることはなく雨がぱらつくことさえありましたが、そんなことを気にかける暇はありませんでした。皆で料理を分配する妻の前に並ぶなど、子どもになったのです。15人分の椅子の配列に苦労をしましたが、座ってインテリジェンスの片鱗を覗かせる間合いなど、ついに生じませんでした。かろうじて全国区で活躍し始めた歌姫に美声を披露してもらった時と、私たち夫婦の名を織り込んだ替え歌を披露した人に唱和した一時だけが、皆が一つになったように思います。関東の二人の仲間に居残ってもらい、翌日の会場の後片付けも手伝ってもらいました。前日とは打って変わった好天でしたので花見の舟遊びをする時間もやりくりしました。かくして、30回を超えたという交換会は終了しました。

 取材も入っていました。老齢化社会に焦点を絞った機関誌が、循環型社会をテーマにしていました。そこで、教員時代に知った賢い若者の心境にも少し触れました。若者から「慕われ派」と「疎外され派」に高齢者が二分されつつあります。消費社会に酔い続け、若者に「どうして私たちに尻拭い役を押し付けるのですか」と環境破壊者と見られてしまうタイプと、子ども時代を思い起こし、循環型社会で体験した生き方を率先して見せ、慕われるタイプに二分されつつあるのです。工業社会型の欲望を解放する消費生活から、かつての文化を大切にした創造的な生き方に切り換え、人間の解放にこそ真の豊かさがあったことを実証して見せたいものです。

 4回に分けて市内まで足を運び、店頭に『次の生き方』を並べていただいている主要な本屋さんを訪ね、担当の人と言葉を交わしたりしました。畑仕事もはかどりました。キュウリやインゲンマメの芽が出始め、夏野菜を植え付ける畝を次々と耕さなければいけない季節だと教えてくれたからです。水曜日は、短大時代の教え子が訪ねてくれましたので、シイタケのホダ木の移動やイノシシ坂と呼ぶスロープの草抜きを手伝ってもらいました。

 金曜日も花見の舟遊びでした。別の仲間と、これも何十回目かの勉強会でしたが、琵琶湖湖畔を訪れ海津大崎の花見を楽しんだのです。地元のメンバーによれば、前日までは風が強くて肌寒かったとか。勉強会らしい歓談は、遠藤周作が名付け親の「湖里庵」でしましたが、私には湖畔を巡りながら交わした野草や魚など自然を愛でる雑談がむしろ魅力的でした。

庭のサクラの見ごろを狙った宴は、それは賑やかなものでした。巨木に育ったソメイヨシノと3本のヤマザクラが満開でしたし、若木とはいえ4本の八重の紅枝垂れが見ごろの五分咲きでしたが、サクラはついに話題に登りませんでした。庭の山菜が、文字通りのご馳走のイメージを与えたり、京豆腐に続いた鮮魚や精肉の料理が目をくぎ付けにしたりしたからでしょう。

宴の最後は屋内で締めくくりました。その部屋は、今は亡き友人の希望を聞き入れた天井になっています。フランス・クリダ(リスト全曲を弾きこなせる唯一の女性ピアニストといわれる)と一緒に遊びに来てくれたこともあるピアニストの彼女に、京都のピアノ教室として活かしてもらおうと思っていたのです。その白木の天井がよかったのか、歌姫の声も映えました。

宴の後片付けの一環です。料理に貝を用いた時は、貝殻を果樹の下などで砕き、ばら撒きます。雨の度に貝殻のカルシウムが溶け出し、肥料となります。もちろんコジュケイなど庭を根城にしている野鳥もついばんでいることでしょう。
初めて保津川下りを経験しました。1時間半の舟遊びでしたが、サクラやコブシなどが満開でしたし、ヤマツツジやユキヤナギが咲き始めていました。さまざまな落葉樹が競う新緑のグラデーションも見事なものでした。崖のくぼみには大きな蜂の巣も見えました。

今年も愛媛の知人からザボン?が届きました。すでに、愛媛の別の知人からイヨカン、奄美からタンカン、福岡の伊都国からアマナツ、大阪からナツミカンなどを送ってもらっており、柑橘類に恵まれています。拙著『次の生き方』では、コミュニティとは、「互いに」を意味する「COM」と「贈り物」を意味する「MUNUS」から生まれた造語「COMMUNITY」だと紹介しています。

筍のシーズンに入りました。孟宗竹の筍の旬になると、いつも届けてくださいます。横にあるワラビは、わが家の庭で2度目に収穫したもので、湯がいてあります。わが家の淡竹のシーズンは7月ですから、これからしばらくは筍三昧になります。

ある勉強会で、琵琶湖の北湖で遊覧船にも揺られました。ラインダンサーのように植樹されたソメイヨシノ一色でしたから、私には少しあわれに感じられました。保津川から見上げる嵐山では、小鳥など自然が増やした野生のヤマザクラやヨシノザクラも咲き誇っていますから、多様性だけでなく、桜が桜のために咲き誇っているかのように感じられます。