記念樹と旧交と嬉しい知らせ
04/05/09
ヒメリンゴと赤い縁取りのある白いガクブチアジサイの苗木が庭に加わり、退職の記念になる樹が5種になりました。これまでに植えたクロモジとサクランボ、そして赤花のヤマボウシは根付き、元気に若葉を芽吹いています。新たに、大垣市環境市民会議の皆さんがヒメリンゴの苗を、大垣市が緑の都市宣言を記念してガクブチアジサイの苗をくださったのです。
週の前半は商社時代と関わり深い日が続きました。日曜日は同期入社の友2人に呼び出され、東山を散策しました。翌日は、近著を「読んだ」といって、かつて商社で机を並べた女性が友だち連れで訪ねてくれました。40年ぶりです。火曜日は、取引関係から30年来の友となり、定期的に会する「三人会」まで設けた友と、恒例の場で一献傾けました。
同期入社の友とは、まず哲学の道で蕎麦屋に立ち寄り、吉田山を散策して円山公園に至り、そこで夕食をすませ、秀吉の正妻であった「ねね」が家康の支援を得て作らせた高台寺を訪ねました。ライトアップの効果かGWと日曜日が重なったせいか観光客でごったがえしていました。実は、朝のNHKテレビで、生物の向光性を夜間照明でつくイカ漁を見ていましたから少し変な気分になりました。境内には飲食や土産物屋が軒を連ね、押しかける客を呼び込んでいました。
40年ぶりの女性は「鶴之荘」に住んでいます。宝塚を開発した小林一三が、200坪ないしは400坪単位で売り出した日本初の分譲住宅地ですが、今や切り売りが進んで昔の面影はない、とか。かつて私は、わが家の土地を古都保存地区に組み込んで売却価値をなくし、緑地として維持し易くしたいと願いましたが、むだでした。それでは「税金(固定資産税や相続税)が取れなくなる」からです。これまでの社会は転売による不労所得を喜ぶ傾向にありましたが、それが景観の維持を難しくし、バブル問題まで生じさせたのかもしれません。いったい誰が得をしたのでしょうか。
3人会は、大覚寺(嵯峨御所)を東に行ったところにある「広沢の池」に面し、たった一軒建つ「澤之家」が会場でした。景観もご馳走です。今は建築規制があって建てられない物件でしょうが、その気にさえなれば誰でも入ることができるいわば公共物ですし、風情のある物件ですから、私は気に入っています。自然と人工を見事に調和させた経営だ、と見ています。
週の後半は、遠方から心温まる知らせが続きました。今年も秋田から「羽後町の友と採った」という山菜が送られて来ました。東京から2つの嬉しい便りがありましたが、これはいずれご紹介します。九州からは「今年も作りました」といって灰汁巻が届けられました。
庭仕事の方は、月曜日の朝一番から喫茶がオープンするまでの間を生かした生垣の刈り込みと、金曜日からミニ土木工事に手を着けました。生垣の刈り込みは、ドングリから育てた表通りの生垣の、伸びた小枝を手バサミで一本一本切り取る作業です。ミニ土木工事は次週に完成させます。畑では、インゲンマメの支柱やカボチャの蔓を登らせる棚の基礎を作りました。イワタバコの「葉刺し」やフウロソウや中国ホウセンカの種まきもしました。
旧交を温めたり庭仕事に熱中したりするだけでなく、二つの新聞から与えられたチャンスに応える原稿つくりや幾本かの手紙をしたためるGWでもありました。近著について、「環境問題はどのように的を絞って考えていけばいいのか、そこが難しい。その考え方の根本のところをうまくおさえているのが本書のすぐれた点」と、報われた気持ちにしていただく手紙などを次々といただくようになりました。幾人かの大学の先生から、講座やゼミの推薦図書や副読本に選びたい、と言っていただけたのもありがたいことです。若者に、胸を張って「未来は大丈夫」と断言し、納得してもらいたくて、私なりの想いや提案をしたためたようなものですから。
|