菜園家族と土木工事に熱中 04/05/22

 雨だったのに楽しい週の初めとなりました。前日は小貫教授主催の「菜園家族」の集会では、120人もの人々からスピーチに喝采をいただき、学生を交えた打ち上げの夕餉は賑やかでしたし、2次会のカウンターでは「三寸あやめ」と出合えました。さらに、夜はよく眠れたし、翌日曜日のホテルでの朝食は、遠方からの参加者も交えて会話に花が咲き、別れ際には岡山の青年から「社長が、これを読みなさい」といって何百人もの社員に拙著を配った、と告げられたのです。モノの良し悪しではなく企業自体の良し悪しを競うように訴えた『「想い」を売る会社』を配った経営者を社員が自慢げに語り、その会社が好業績であった事に私はとても気をよくしました。

 それもこれも、集会がチャップリンの『モダン・タイムス』の観賞から始まり、工業社会を風刺したこの偉大な作品が、私のスピーチの前座のようになったからでしょう。映画は、主人公と恋人が手をつないでどこまでも続く道を去って行く場面で終わりますが、「私はあの2人が目指した道、その先にある『次の生き方』を追い求めた人生になりました」と切り出せたからです。スピーチのあと、著者サインを求める人たちに行列をつくっていただきました。帰途は、集いで出合った農業に詳しい人と京都まで行動を共にしましたが、トマトのクセや枝豆のムラサキズキンが誕生した背景とかお茶の話をうかがいました。一番美味しい枝豆は山形県鶴岡市のダダチャマメだとか、妻が陳さんに所望した台湾の高山茶が茶の逸品であったことを知りました。

 月曜日は午後から大垣に出かけましたが、午前中は妻と風呂のエントツ掃除や雨の重みで垂れ下がったモミジの枝さばきをしました。そのあと、火曜日にかけて大垣に出かけ、環境市民会議と翌日はある環境財団の評議会に出ました。2ヶ月ぶりの大垣泊まりでしたが、楽しい夕べでした。環境市民会議の仲間と11時過ぎまで居酒屋で気勢をあげたのです。でも翌日は、帰宅してから少しバタつきました。次の日曜日の講演のためのプロフィールが求められたり、近く新聞に掲載される原稿の修正を求められたりしたからです。それらの作業を済ませてから妻と弁慶の餌を買いに出かけ、風呂の後で、弁慶のための一切れをとったあとの刺身で気分よく一献傾けました。

 水曜日は、広島から夜行バスでやって来た女性が朝一番に到着し、朝食を3人でとりました。台風が近づいており、午後は雨と報じましたから、午前中のうちに彼女にはお茶摘みをしてもらい、私は石をふんだんに使って土手の土止めと同時に配水管を隠す工事を仕上げ、ミニ土木工事を完成させました。昼食の後は予報通り雨になり、彼女は屋内で妻に教えられながら煎茶と焙じ茶を造っていました。私は寝椅子で読書をしましたが、一時間ほどうたた寝ました。

 台風が近づいたのに、木曜の朝は雨が降っていませんでした。これを幸に、一人ではきつい大仕事に手をつけました。庭の西面にある水路の泥上げです。狭くて深い水路に入り、溜まった泥を掬い上げる作業ですが、笹や藤が根を張っていましたから難作業でした。いつもは妻の手助けを得ていましたが、彼女は妻に劣らぬ頑張りを示し、昼飯前に片付けることができました。午後からは雨となり、私は読書、彼女は妻の教室で針仕事を学び、炎天下での庭仕事に用いる被り物を作っていました。その夜は、妻が誕生日に友からいただいたワインで乾杯しました。

 週末は、彼女は亀岡に引っ越す家定めに出掛けました。私は草抜きなど軽い庭仕事で済ませましたが、それは前夜、夜更かしをしたせいです。アイトワ塾で遅くなった上に夫婦で対話を始め、3時近くまで熱中してしまったからです。テーマは「やさしさ」とか「怖さ」でした。今の世の中には、やさしそうに見える怖さで満ち満ちているように思われるからです。今年の、わが家のお茶は、少し収穫が遅れましたが、上々の出来となりました。

「三寸あやめ」です。彦根での2次会は、袋町にある小貫先生ご推奨のカウンター「小じま」でしたが、そこにあった鉢植えの株を、半分もらいました。「菜園家族」の会場は辺鄙(?)な所ですし、数ヶ月の空白をおいた再開でしたが、遠方からも大勢の人が駆けつけていました。岡山の青年は、社長は「小貫先生の『菜園家族レボリューション』も全員に配った」と話していました。「菜園家族」の一端にご興味のある方は、クリックしてください。

スス掃除は、ススが散らからないように、妻と2人で掻き役とススの受け止め役を分担しましたが、それでも周辺は真っ黒になりました。でも、木と竹とモノクロ印刷の紙などしか焚きませんから、掃除を担当した妻によれば、あとの掃除は比較的簡単に済むそうです。ススがバケツに半杯ほどとれました。エントツや釜の掃除をしたおかげで、風呂がとても早く沸くようになりました。
ラディッシュ(二十日大根)の収穫が始まっています。もうすぐレタスが採れそうです。今は、カキチシャとパセリの他は、ツタンカーメンのエンドウマメと末期のニンジンや、自生種のミツバ、フキ、ツワブキ、コンフリーなどしか採れない菜園の端境期です。

ミニ土木工事が完成です。土手の土が雨で流れないようにする工事でしたが、既製のコンクリート桝とプラスチックパイプを使った排水工事もしました。コンクリートや石を切る道具を工務店の社長さんから借りて使いましたが、広島から来た女性にも茶摘を中断して経験させてあげました。廃材の自然石のクセや形を生かして崩れ落ちないように積みましたが、吾ながら上々のできです。

土手の土が雨で流れ込まないようにした所に、頑丈な棚を作りました。一方の壁際には通気パイプや展示室の冷房器の水抜きパイプなどがありますから、特殊な細工を要しました。ここに落ち葉掃除のブロワーや高枝切りとか脚立などを収納します。この一連の仕事は、石工だけでなく、左官、大工、庭師など一人で何役もこなす作業でしたが、それだけにとても充実した心境になりました。

泥上げが終わった水路です。過去4年ほど泥上げができていませんでしたから、ひときわ苦労が伴ないました。振り返れば、短大の一部校への転換や、全学科を定員オーバーにする仕事は、私にはきつい仕事であったのかもしれません。少なくとも、泥上げをする心のゆとりをなくしていたようです。

今年も我が家流の煎茶とほうじ茶が、例年より収穫が10日ほどおくれましたが、無事にできました。手前味噌となりますが、手もみしてできあがったところで、あるいは焙じたてのお茶をいただきますと、なんとも味わい深いものです。農薬などの心配がまったくないのもありがたいことです。