クーヨンと小さな大人 04/06/05

 先週末は、曇天にハラハラしましたが、なんとか庭でパーティを開き、わが家自慢の焼き筍をだすことができました。最後は赤いマメご飯と緑色のウコギ飯のお握りでしたが、前者はツタンカーメンのエンドウご飯が赤飯のように発色するまで保温状態で一泊させた上で、後者は摘みたてのウコギの新芽を使った炊き立てを、握ります。この三品が同時に楽しめたのは初めてです。筍が例年より少し早く出始めたこととツタンカーメンのエンドウが少し遅くまで採れたおかげです。3日早くても、3日遅れていても実現していなかったことでしょう。

 とりわけ、焼き筍は掘り立てをまるごと焼かないと値打ちはありません。その焼き筍の追加を求められ、掘ったり焼いたりしながら、かつてお迎えしたパタゴニア社の当時の社長夫人を懐かしむことまでできました。翌朝の庭の散歩で、彼女は筍を見つけ、自ら採って生で噛りついたのです。後日、こうした初めて体験した一連の感動を、彼女は手作りの写真集にして送り届けてくださったのですが、その時からわが家では筍の刺身まで試みるようになりました。

 焼き筍を食し過ぎたのでしょうか、パーティーの後で犬と私が初体験を楽しみました。新鮮なイカの半数や焼いたイサギの片身などが残ったからです。愛犬たちは夕食で、ローズマリーを効かせたイサギのホイル焼きなどに、私は翌朝ですが、イカそうめんにありつけたのです。刺身があまり好きではない妻は、朝食に刺身を出したことなどないのですが、旅館業にたずさわる友人に届けてもらった活けイカだけに、刺身として生かしてみたかったのでしょう。

 この一週間は、心のこもった手紙から始まり、嬉しいことが続きました。この春に退職された人から庭で採れたという蜂蜜が送られてきたのですが、4年前の私の講演が小学校で策定した総合学習のテーマを方向づけていた、との礼状が添えられていたのです。その後、拙著が企業発展の一翼を担っていたとの知らせや、私たち夫婦が揃って出た雑誌が届けられたり、「次の研究会をアイトワで開きたい」との申し入れを受けたり、手作りのベーコンなどを友が届けてくれたり、アドバイスを求めて教え子が作品を送り届けてきたり、大勢の人の訪問を受けたりしたからです。すばらしい保育をしている園長さんが2人のお友だちと、四大の学部長さんが相談事を抱えて、別の教え子が友だち連れで、華道の権威者が新しい企画の相談で、他にも素敵な女性が単独で、あるいは仲間連れで、と続いたのです。

 クレヨンハウスの雑誌『クーヨン』は7月号で100号となり、「あなたに届けたい女性100人のメッセージ」というの特集を組んでいますが、妻がその一人に選ばれただけでなく、新刊紹介のコーナーで拙著が取り上げてもらえたのです。私たちには子どもがいませんが、世界中の子どものことが気になります。それだけに『クーヨン』に取り上げられたことが嬉しくて。

 庭で初めて体験することが多い一週間でもありました。名も知らぬ蛇を妻は見たといいます。首の周辺は緑色で身体は濃い緑色ですが、橙色の混じった柄がある70センチほどの顎の張っていない蛇だそうです。泉にはまりかけた動物がいます。泉には、カワセミに金魚を捕られないように金網をかぶせているのですが、その上に二晩続けて乗って網をつぶした動物がいるのです。妻がポッポを手なずける光景も見ました。掌にのせたトウモロコシをキジバトがついばむまでに手なずけたのです。菜園では、種をまいたためしがない虞美人草が咲き始めました。

 この間をぬって、火曜日は市の委員会に出かけましたし、もちろん庭仕事にも熱中しています。畝を立て、ポットで育てていたゴーヤとモロヘイヤの苗を本植えしました。ハナオクラは直に、2度目のインゲンマメはポットに、種をまき、泉には新しい網をかぶせる、など。

菜園で咲き始め虞美人草です。ケシはわが家の土質には合わないものと思っていたのですが、なぜか自然生えしました。この写真を撮っていた時に、「お店に飾って」といって、妻の友が花壇で咲いたという見事なケシの切花を届けてくださいました。その「一本だけ」を居間に飾った妻と「来年は、虞美人草の種をまこう」と話し合っています。

嬉しかった知らせの一つです。拙著が、「社会活動がスタートする発端」に関わった、と事業家が知らせてくださったのです。モノの良し悪しなどを競って消費者の取り合いをするよりも、企業自体の善し悪しを通じて社会と関わる方が、わが国でも大切になる時代が到来しつつある、と私は見ています。持続性を大切にする社会と会社が元気になるように、私も努力を重ねたいと考えました。
100号記念の『クーヨン』です。育児と育自、子どもにも大人にも心地よいオーガニックな育児マガジンで、拙著が新刊紹介欄に取り上げてもらえたのです。「一人ひとりが暮らし方を見つめ直せば世界すら変わるかも、とちょぴり希望がわいてくる」と、私の訴えたかった言葉で結んでもらえていました。妻も、子どもへの想いを、「100文字メッセージ」で寄せていました。


ある研究会の代表をお迎えしましたが、その人が持参された写真の一葉です。『次の生き方』で、私は「小さな大人」と「大きな子ども」という表現を用いましたが、その人はこの写真に「小さな大人になれた」と感じた子どもの喜びと、「生きる力を授けられた」と実感した大人の喜びが見出せそうだ、とおっしゃっていました。

高枝切りなどの道具の収納が可能になりました。それぞれの形状にあわせて、ぶら下げ方に凝りました。妻に、脚立が壁を痛めないように工夫してほしいと頼まれ、それがキッカケで収納方法が決まっていなかった道具の整理ができたのです。「願い事をする人」と「かなえる人」が同一であったから生まれたアイデアだろうし、没頭できたのだろうと思います。

友が手作りしたベーコンには調理の虎の巻などが添えられていました。かつて私はアメリカ出張の折に、さるレストランで、ホウレンソウとマッシュルームの上に「カリカリに炒めたベーコン」をふりかけたサラダを好んで賞味しましたが、それをわが家で再現できそうなベーコンです。

何ものかにつぶされた手作りの金網です。新しい金網と交換しましたが、その時に犯人が狙っていたものが分かりました。犯人はそう大きくないが歯が鋭い動物でしょう。腹をかき裂かれて死んだカエルが、つぶれた金網に引っかかっていました。十数匹はいたカエルが2〜3匹になっていますし、大きく育っていた金魚の姿が見えません。