ポッポの悲劇とゴミ捨て場 04/06/20

「なんと爽やかな一日だったことでしょう」と、夕刻に帰宅した私は妻から聞かされました。日曜日は日帰りで大垣市環境市民会議の総会に出かけ、ドイツのゴミ問題では第一人者の松田美夜子先生にお目にかかりました。その間に妻は、人形教室の班長さん会議を仮称月見台で開き、その正式名称を決めてくれていました。「木陰のテラス」です。

 翌月曜日は朝一番に妻に檜林へ誘われることから始まりました。ノバトが襲われたというのです。今春、ポッポの夫婦がもうけた子どもが狙われたのだろうと妻はいいます。だとすると、今年も、ポッポの家族は増えなかったことになります。残っていたまだ頼りなげな一羽のコバトがネコかイタチにでも襲われたのでしょう。3時ごろまで私は留守番をかねて畑仕事をしましたがノバトには出合っていません。妻は、人形教室の仲間と住吉大社の「お田植神事」というお祭り見物に出かけました。来春の教室展は「祭」がテーマだそうです。妻と入れ違いで、私は夕刻から市中に出かけ、20年ぶりの知人と会って一献傾けました。アメリカの法律事情にくわしい弁護士ですが、京都の母校で後進育成の講師を引き受けたといいます。

 この弁護士は、商社時代の私には相手側の手怖い法律顧問でしたが、その後アパレル会社に転進した私は、その人を法律顧問として迎え、時代の変わり目を象徴するような事件を勝利に導いています。商標の使用権について、先に登録しただけで使っていない者か、それが登録されていることを知らずに先に使用して有名にした者か、いずれが優先されるべきかを争ったのです。わが国の法律は、先に政府期間に出願登録した事実を優先していますが、私は先に消費者の間で広く認知されるようにした事実を優先すべきだと考え、最高裁まで争う覚悟で挑んだのです。

 この弁護士は先願主義の問題点を即座に理解してくれました。ちなみにアメリカは先使用主義です。私は時間の経過が先願主義的な社会から次第に消費者を優先する先使用主義の風潮が支配する社会に移行させるに違いない、と読んだのです。消費者の不利益を訴えてねばった結果、ついにわが方の主張を全面的に汲み入れた和解案が示され、実質勝訴となったのです。この度の、自動車のリコール問題も、わが国の法体系が消費者不在になっていたから生じたと見てよいのではないでしょうか。事業者優先の法体系を改めないと、日本企業を守るようで逆に弱体化させ、ひいては日本の消費者まで愚かにする、と私は見てきました。この考え方は『ブランドを創る』 (講談社1992年)で述べており、この弁護士と組んで争った事件にも多くの行を割いています。

 松田先生は、「近頃店頭で、缶ビールや使い捨て容器の安い輸入品が増えたと思いませんか」と問い掛けられました。EUがそれらに懲罰的な税をかけるようになったため、その税を逃れた製品が日本に流れ込み、日本をゴミ捨て場のようにしている、との指摘です。日本がゴミ捨て場になる恐れを、私は『「想い」を売る会社』(日本経済新聞社1998年)で警告しています。

 梅雨期だというのに好天が続いた1週間でした。だから書斎などの整理は中断し、庭仕事に集中しました。エンドウマメの蔓を抜き去り、青シソやエゴマを育てる畝に仕立て直しました。中国ホウセンカの苗の定植や、2度目のキュウリの種まきもしました。ヤムイモの蔓がのぼる支柱やヤーコンが倒れないようにする支柱も立て、ウメも収穫しました。10キロも採れました。こうした作業の間をぬって、華道のこれからを考える会合に出かけたり、地元紙の記者と木陰のテラスで歓談したり、2年も前に連載を止めた雑誌『ビズ』でアイトワを知ったというご夫婦を迎えたりしています。インゲンマメは旬に入り、キュウリの収穫が始まり、カボチャが棚に登りはじめています。週末に、妻からポッポと頼りなげの子どもはいた、と聞かされました。


アイトワ塾の仲間を迎えて木陰のテラスで開いた先週末の宴です。今週は、木陰のテラスを妻が班長さん会議で生かすことから始まったようなものです。ゴルフなどに興じるフローの喜びよりも、木陰のテラスなどにお金を投じるストックの喜びを私は好みます。テラスは谷あいのような地形に張り出していますが、妻によれば、空気の流れが時の経過とともに大きく変わるそうです。

俗名パイプカズラ(アリストローキア・リットラリス)が唖然とする花を咲かせました。蕾が風船のように大きく膨らんだかと思うと、ポンと縦に割れて開花します。この咲き方なら、昆虫も惑わずに媒介のお手伝いができそうです。動物は体臭で開花期を教えますが、人間は体臭を消す努力をしながら口紅を塗るなど、複雑なことをしています。それを賢いと見るか、憐れと思うか、意見の分かれるところです

ポッポの家族が襲われた跡です。自然界では、たとえ体力的には合格しても、不注意な性格などであったりしたら消え去る運命にあるのでしょうか。でも、他の動物の命をつなぐために役立ったわけです。羽根を残して、食べ尽くしていました。かくして野生動物は肥満にならず、心のケアーもしてもらえず、医者もいない世界で生を営み、環境破壊や資源枯渇や南北問題などに関わらずに生き、失業者や孤独な自殺者も出さずに生きています。

初物のキュウリがサラダになりました。インゲンマメも蔓毎でいえば初物です。3日ほど前に初めて収穫した時は、妻は湯がいただけで私に試食させ、インゲンマメ本来の味を確かめさせました。アイトワ塾の皆さんにも別の蔓の初物を、妻はドレッシングをかけずに食してもらっていました。サラダ菜は薹(とう)が立ちましたから苦味が出ており、美味しい。

妻流のサラダ菜の収穫方法です。大きくて元気な葉を株に残すようにして立った薹を収穫し、その葉をちぎって食します。残した株はやがて新芽を出します。今のサラダ菜の畝には、薹立ちした分からすでに新芽を再生した分までが混在しています。それぞれの段階毎に、苦味や香り、歯切れや舌触りなどが微妙に異なります。

妻の友のご母堂が草津から送ってくださった野菜です。開梱すると、まずニンジンの香りが漂ってきました。私たち共通の友に、山形からサクランボを送ってもらいましたが、亡き母の好物でしたからまず仏壇にそなえました。

木陰のテラスはまだ、靴を脱ぐ踏み石を並べ、灯篭を移動させた段階です。踏み石は、ホビーショップで一つ670円の石を5つ買って半日かけて据え付けました。石灯籠は、父が西宮に新居を構えた時に、祖父が来訪記念に買ったと聞いています。とすると、西宮から数えて5度も居場所を変えたことになります。工事にかかる前の状態です。