イノシシと知恵比べ 04/08/29

 カボチャが6つ採れました。その内の3つは義妹に頼まれて作ったものです。ハローウィンの日に結婚する予定の義妹の娘が、披露宴の小道具に用いるカボチャを、安全を期して2軒の畑で作ることを望んだのです。近く結婚するこの2人は、昨年暮にわが家の庭で大仕事をしています。3段スライド式のハシゴに登り、松の大木の高いところにあった太い枝を切り落す作業です。婚約者で大柄の彼がハシゴに上っている間、彼女の方は必死で足元を固めていました。

 イノシシに襲われて、大きな被害を受けました。対策に苦慮しています。まだ種イモしか入っていないようなヤムイモまで掘り返され、「このイノシシは (7月26日付け「メダカより賢くなりたい」の)メダカや金魚並みの知恵ではないか」と、卑しさを感じました。かつては、「明日、掘ろう」と語り合っていたサツマイモなどが襲われ、「どうして分かったのだろうか」とイノシシの知恵に感心したものですが、近頃は植えつけたばかりのサツマイモの苗まで掘り返す始末です。そこまでイノシシを卑しくしたのは、私たち人間のせいではないでしょうか。

 インゲンマメやトマトを作っていた畝を、冬野菜用の畝に耕しました。雨よけのフレームや支柱を解体し、収穫を終えたあとの蔓を抜いて堆肥の山に積んだ上で耕すわけですが、トマトの跡は、灰をたっぷり配合した肥料を鋤き込み、すでにネギ苗の植え付けを終えました。長年繰り返してきた作業ですが、この30年ほどの間に世間や社会は一つの方向に沿って変わって来たように思います。これまでの「豊かさ」や「幸せ」に疑問を感じる人を増やしてきたことです。

 これまでは、私たちが豊かで幸せになればなるほど環境問題や資源枯渇問題などを生じさせただけでなく、南北問題を深刻にしたりイノシシまで卑しくしたり、同朋の自殺を増やしたり家庭を崩壊させたりして来ました。だからこのたびの旅でも、最小の消費で最大の豊かさや幸せを手に入れるヒントを求め、ラオウイスキーと呼ばれる蒸留酒造りにさえ学ぶところを見出しました。でもそれは次回にまわし、ここではイノシシ問題と腱鞘炎について触れます。

 バックパッカーのような真似をしたせいか、庭仕事に精を出しすぎたためか、あるいはキーボードに長時間立ち向かったためでしょうか、左肘を腱鞘炎で傷めました。だから高校時代の先輩が院長を勤める町医者を訪ねました。あいにく父の死を看取った院長ではなく新顔の医者が診てくれましたので、「お仕事は」との質問に、農業と答えました。「肘が痛いぐらいでは休めない仕事だ」といいたかったのです。シップと週に1回の注射で直せそうです。妻も、私のゴツイ手と、今の日焼けした顔なら、胸を張ってお百姓さんで通せるでしょう、と言ってくれます。

 さてイノシシです。文明と触れ合うと非文明国の人間も人口爆発に悩まされるようですが、イノシシも同様かもしれません。人口爆発は教育問題で解消すべきでしょうが、イノシシはそうは行きません。防獣ネットを恐れなくなったとすれば、少し痛い目に合わさなければいけないでしょう。とはいえ、人間のように強欲や虚栄、ねたみや嫉妬や恨みなどで罪を犯したりするわけではなく、飢えを癒そうとするだけですから、学習効果のある手に留めたいと思います。

 やっと平常の日々に戻りました。実は、旅行中に3つの新聞社から声をかけてもらっていました。その一つは長期にわたりそうです。今週に入って、新旧2つの会社から助言を求める声もいただきました。旧とは、かつて顧問をしていた会社、という意味です。他に、大垣での環境関係の会議とか、ちゃ・CHA・茶の会の食事会にも出かけましたし、2つの小旅行にも誘われました。その一つには妻と、他の一つには同好の士と一緒に出かけよう、と考えています。今月のアイトワ塾は、楽しいわけがあって、場所を替えることになりました。


収穫したカボチャです。蔓が枯れたクリのように美味しいカボチャ(赤みをおびた橙色の方、カラスがつついた跡があります)を収穫したのですが、イノシシに庭を襲われましたので、いずれは狙われかねませんからハローウィンの方もとりました。アメリカのように太陽光線がさんさんとふりそそぐ畑ではありませんから小振りですが、妻は「あの娘(こ)も小振りだからちょうどいいのでは」と慰めてくれます。

イチリンソウやアマナが生えていたところもイノシシに襲われました。それらの根や球根が狙われたのかもしれません。アマナは、わが国のチューリップの原種、といってよいでしょう。その球根やイチリンソウの根を嗅覚で探り当てたのでしょうか。上の葉はとっくの昔に枯れていましたから取り除き、陰も形もなかったのです。
わが家では「四君子」と呼ぶ惣菜(生のオクラとハナオクラ、そして湯通ししたモロヘイヤを刻み、納豆とかき混ぜたもの)が朝の食卓を飾る季節です。農薬を避けるわが家の畑では、今ごろになると、厳しい暑さに耐えた野菜しか残っていません。モロヘイヤとオクラやハナオクラ(和紙を漉くときの糊材に用いるトロロアオイの花)の他は、 ゴーヤ、ツルムラサキ、伏見トウガラシ程度です。
左は、今年購入した種から育てた八列トウモロコシ(昔の日本で広く栽培されていた品種)です。右は、昨年収穫したトウモロコシです。後者は、中国奥地に少数民族を訪ねた時に、身振り手振りで手に入れた種から育てたものです。来年からは、もし右の1年古い種が発芽すれば、栽培し続けることにしました。味は左の方が上回るようですが、懐かしい想い出をともなった方が捨てがたく思われるのです。

ちゃ・CHA・茶の会の食事会は、山菜を上手に生かす小さな割烹が会場でした。さすがは京都らしく、都会人好みのとても繊細な調理でしたし、山菜にこと欠く季節ですから、苦労の跡がしのばれました。なぜか、秋田の知人にかつて案内してもらった店、山菜が豊富な時に野趣に富む山菜料理をたっぷりと食させる店、を思い出しました。

今年はゴーヤとハナオクラが豊作です。モロヘイヤもよくできています。いずれも暑さにとりわけ強いようです、今年は、昨年の韓国探検で知ったエゴマを初めて作りましたが、韓国では焼肉に巻いて食しましたが、妻は少し香りが強過ぎるようで好みません。調理のし方を研究する必要があるようです。いまではモロヘイヤを重宝していますが、作り始めた年はほとんど食べず終わっていました。

大垣の方々から、手作りの品や名産の果物などをときどきいただくのですが、この焼酎にはビックリしました。郷里の鹿児島に久しぶりで帰ったといって、お世話になった方が送り届けてくださったのです。またこれで、少し命を永らえなければならなくなりました。というのは、焼酎やブランディなどの銘酒は冷暗所で保管していますが、貯めた酒は死ぬまでに飲み切るように、と妻に言い聞かされているからです。