最小の消費と最大の豊かさ 04/09/05

 庭の渇水問題は、台風がもたらした雨で解消し、泉は満水になっています。次回、涸れた時に泉を改修する手はずを整えました。そのチャンスは向こう1年程の間に巡って来るでしょう。木陰のテラスに一工夫加えることにしました。次の夏は、もっと暑くなるかもしれませんから、いつでも昼寝ができるようにしておきたいのです。

 これまでは、より豊かになろうと思えばより多くの消費が伴ないそうに思われましたが、生き方や考え方を変えてみると、必ずしもそうとはいえないことに気づかされます。このたびの旅でも、最小の消費で最大の豊かさや幸せを得るヒントが随所で見出されました。どうやら、これまでの私たちは、「ご先祖様が蓄えた蔵を開け、散財すればするほど豊かで幸せになる」とでも錯覚していたのかもしれません。地球を一つの屋敷と考えれば、油田や炭田は蔵に当たるはずですが、その油田や炭田を空にするようなことをしていたのですから。問題は、屋敷の蔵は空にしても、「富は天下の回りもの」とうそぶけそうですが、油田や炭田を空にすることは、そうは行きません。地球の温暖化に結び付く炭酸ガスを放出させるだけでなく、大気汚染などの問題にも結び付けたりしかねないからです。

 ラオウイスキーは、元来は各戸が軒先などで、木の樽を用いて、近しい人や家族のために造っていたようです。そこには多様性に富んだ酒を自給する人間の器用さとか気概が見出せますし、個別の喜びが伴なっていたように思われます。また、斧や鉈などを造る家族労働の鍛冶場には二つとして同じ製品はなく、それらを用いる人が二人として同じ人がいないことに気づかされます。しかも、これらの製造工程は循環型生活の一環であり、持続性が期待できそうです。

 とはいえ、この多様性に富み、持続性が期待できそうな文化が崩れ始めているのも事実です。ラオウイスキーでいえば、米軍が残していったドラム缶を器用に活かし、幾本ものドラム缶を並べて蒸留に精をだし、観光客相手に販売する家族が現われているからです。いずれは効率や品質の安定などを求め、工業的な大量生産に乗り出すことでしょう。父の里では、叔父の代までは醤油や納豆も自給していたのですが、今ではペットボトルや発泡スチロールの容器に入った製品を購入する生活になっています。つまり、一部の人が画一的な製品を、お金を得る手段として大量生産し、残る大部分の人をその消費者にしてしまい、画一的な生き方に誘ってしまうのです。

 そのやり方は、さらなる効率を求めた競争に火をつけ、人間をホワイトカラーやブルーカラーなどに分断し、マニュアル化を進めて機械で代替できそうなレベルに人間を分解し、部分的な仕事のエキスパートにしてきました。それは、自活に求められる人間の器用さとか気概、あるいはバランス感覚などを見失わせ、自然破壊型の人間にしかねません。たとえば、象狩り。象の肉や皮などのすべてを生かして自活する人たちは、象を絶滅させるようなことは避けてきたはずです。だが、お金を得る手段として象を狩り、そのお金で消費財を手に入れて生活するようになると、市場が高価で求める牙などだけを狙った象狩りのエキスパートになりかねず、象の絶滅問題などどこ吹く風と言わんばかりの人にしてしまいます。

 ここらで生き方や仕事のあり方などを見直し、最小の消費で最大の豊かさを求める社会へと舵を切り直していものです。勤労を芸術家のように総合的で職人技のようなレベルにまで高め、感謝や尊敬や信頼、喜びや自信や誇りなどに結び付け、協調し合ったり驚嘆し合ったりする社会にしたいものです。皆が仲良く棲み分けるそうした社会を夢見ながら、庭仕事に精を出しました。カボチャの棚やキュウリの支柱などを解体し、冬野菜の畝にし、種まきをしました。


「おかえりなさい」とのメッセージをそえて、友がカステラを送ってくれました。日本の米と、和三盆糖蜜を用いて造った、といいます。「うれしい」「おいしい」。私はカステラが大好物ですから、その値打ちのほどは分かるつもりです。これまでにない新たな魅力を付加した逸品です。

ラオウイスキーと呼ばれる蒸留酒は、木の樽や大鍋を使ったり家族が育てた穀物を用いたりして軒先で生み出されていたようです。やがて樽は腐って次の樽を作る木の肥料となり、近しい人が打ち出した鍋も、やがては再生に回されることでしょう。それが今では米軍が残したドラム缶 (左) を器用に活かし、観光客相手のお金を得る労働になりつつあります。
手作りの鉈や斧は、目方やサイズや形状だけでなく、重心の位置や持ち手の太さなども異なり、二つとして同じものはありません。購入する人は、各人の体格や力量、利き腕とか腕の長さ、あるいは用いる森やその植生などから判断して選び、身体の一部のように使いなれた一生ものの道具にするのでしょう。
夫の生業を手助けしている妻は、子育てにも一工夫していました。寝付くまで、しばらく赤チャンの相手をした後は、ときどきこの揺りかごに目を投げかけ、たまに揺り動かしていました。この子はやがて成長し、次子の子守りをすることになるのでしょう。

ある集落では、子守りは男の子が担っていました。こうした役割を担って存在意義に気づいたり、生き物を慈しむ心を育んだりするのでしょう。私は、トカゲやカエルなどの生き物を遊び相手にしながら育ちましたが、生き物の弱さや強さ、あるいは生命の神秘やはかなさ、生命力の強弱や長短などにも気づかされました。

スコップやツルハシなどは、手を着けずに別々に売っています。それは当然でしょう。同時に磨り減ったり傷んだりすることなんてまずありませんから。まだ使える部分まで一緒に捨てるのは問題です。スクリューも壊れやすいのか、ばら売りでした。傷んだモーターも補修して使い続けるのでしょう。各種の銅線を売る店もあり、故障したモーターを持ち込んで、指導を受けながら銅線を巻き直している人もいました。

生ゆばと汲み上げゆばを届けてくださる方がありました。汲み上げゆばは山葵をそえて賞味しました。生ゆばには、内部にユリ根やキクラゲが包み込まれていましたが、妻が美味しく煮てくれました。素晴らしい食文化だと思います。職人さんの知恵と腕に感服です。ご馳走様でした。