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一村と国の姿勢 04/10/17
秋の気配でしょうか、3連休の中日だったからでしょうか、観光客で混みあい始めた道を友の車に乗せてもらって妻と映画を見に行きました。過日、朝一番の客が12枚こはぜの地下足袋をはいた素敵な女性庭師であったことに触れましたが、その若い女性が中心になって開催した自主上映映画です。そのポスターを妻はアイトワの店頭に張り出させてあげていましたが、陶芸家板谷波山を取り上げた作品で、第12回ヴァルナ国際映画祭で最高賞を取った『HAZAN』でした。監督の挨拶があり、当10月10日は41年前(1963年)に死んだ波山の命日であったことや、この監督が次は奄美で死んだ孤高の画家田中一村を取り上げていることを知りました。
一村を訪ねた奄美旅行を思い出しました。妻と妻の人形を介して知り合った九州の女性と3人で、一村が乗船した鹿児島から一村が寝転んだといわれる3等船室に陣取って渡りました。船中で初めてゴーヤを口にしたのですが、奄美では一村が毎年ゴーヤを育てた庭に立ち、一村の食し方を聞き取りました。その時にゴーヤの種を持ち帰り、わが家で育て始めています。
実は、私は一村を一書にしたくて取材に出かけ、その絵を買った人の居宅を訪ねたりしたのですが、その後も一村の葬儀や身辺整理をした人たちを探し当てるなど西に東にと走ったりしています。しかし、少し知り過ぎたようなところがあり、今も心の奥底に押し留めるに終わっています。『HAZAN』は文化功労賞を受けた人のいわば成功物語ですが、一村はその逆ですから、どのように描けばよいのでしょうか。日本の画壇に対する一村の憤りや日本の芸術に対する疑問、あるいは一村の自尊心や合理的精神、はたまた社会に対する用心深やさとか無念さとか屈折した心境などはどこまで描き出せばよいのでしょうか、私は困りはててしまいました。
翌日は振替休日でしたが、肌寒かったので朝一番から外に出る気になれず、10時ごろから出ました。オクラの跡を冬野菜の畝に仕立て直したのでうが、陽が射していたのに汗ばむ程度ですみました。だから「本日を持って夏時間を返上し、大気がぬるんでから庭に出ることにしよう」、と決めています。午後は、イノシシ坂を整備するために買ってあった切り石に手を着けました。20枚の重い石を一輪車で移動させ、敷きこめる位置を定めて仮置きしたわけです。
翌火曜日は、久しぶりに妻と揃って庭に出ました。まず私は鉢植えの六甲サクラソウを植え替えでした。土を新しくして根わけをしたわけです。続いて切り石を敷く作業に手をつけましたが腰が曲がったので打ち切り、背を伸ばす剪定作業に切り替えました。妻は私が前日に耕したオクラの跡に白菜の苗を移植したり大根や日の菜を間引いたりしていました。午後は二人でムカゴをとった後、バトンタッチをしながら円形花壇を模様替えすることになりました。ということは、この間に私には2人の、妻にも1人の来客がありましたから、どちらかが来客との歓談で体を休めている間に他の一人が作業につき、一つのスコップを引き継ぎながら仕事をはかどらせたわけです。夕刻は、別注のテントを作ってもらう業者やスーパーに出かけています。
週の後半は、辛いことが続きました。国民は低い順位付けしかしていない郵政の民営化に小泉さんはこだわったり、複数のアンケートで民意はケリーがアメリカ大統領になることを願っているのに小泉さんや武部幹事長がブッシュにエールを送るようなことをしたり、「民にできることは民に」といいながら小泉さんはダイエー問題では国税を投入する方向に誘ったり、関西水俣病訴訟では最高裁が行政責任を認定したのに国(環境省)は水俣病認定基準を変えないと表明したりしたからです。本来は、国は民意を汲んで、国民が国旗や国歌に対して熱い気持ちになれるようにすべきではないでしょうか。その間に、私は金太の小屋を綺麗にしています。
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とび職が用いる12枚こはぜの地下足袋を妻も用いるようになりました。特に夏は快適です。ゴムの長靴では蒸れますし、かといってズック靴では土が足に入るからです。その2点を補いながら、地下足袋は足で土をつかむような感じにさせてくれます。どうして今まで用いなかったのか、と悔やまれます。
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田中一村が奄美で用いていた絵筆の一部です。本来はすべて焼却されてこの世にないはずですが、心ある(?)人のおかげでしょうか、こうしてこの世に残りました。一村が洗ったままの状態で保存しています。なぜか、一村の心境が伝わってきそうな気がします。
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妻がかしこまった代金の支払いに、母が残して逝った手作り封筒を引っ張り出して用いていました。母は私たちが捨てる包装紙を生かしていました。わが家では、色着きの印刷物やコーティングンした包装紙は焚きつけにしませんし、窓付きの封筒は窓を外して燃料にしていることはすでに触れました。
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今年もシホウチクの筍がとれました。一部はキンピラと煮物になりましたが、あとは佃煮です。35年ほど前にお隣の庭師が風情を求めて植えた細い(径1cm程度の)竹でしたが、5年ほど前に1mほどの落差があるコンクリートの擁壁をもぐってわが家に進入したのです。わが家の肥えた土に接して太い(径4〜5cmの)筍を出すようになり、困っていましたが、昨年美味だと知り、今年も収穫したわけです。
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火曜日の昼食です。心地よい天気だから外で昼食を、といって妻はサンドイッチを作りました。イノシシ坂に仮置きした切り石をテーブル代わりにしました。この中国から運んできた切石は1枚680円です。中国はこのたび樹木(うまくすれば持続的に生かせる)の乱伐を防ぐために木炭を全面輸出禁止にしましたが、いずれはこうした切り石(有限)も輸出禁止にせざるを得ないことでしょう。
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左は収穫した自然薯やツクネイモなど3種のムカゴです。こうしたムカゴが勝手に落ちて庭のあちらこちらでヤマイモが育っています。山の食料が不足した今年はイノシシにすっかり食べられてしまいました。右は水曜日の朝食です。ムカゴ飯、シホウチクの筍と伏見トウガラシのキンピラ風炒め、青菜の漬物は間引いた大根の浅漬けです。わが家の山椒を用いた"ちりめん山椒"も出ています。
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化粧直しをした金太の住処です。ダニ退治のために金太を移動させていますが、定住地に戻せそうになりましたから、小屋を洗って干し、ペンキを塗り直しました。金太についたダニは取れましたし、小屋の周りに落としたダニも駆除できたようです。草の葉の先に集まる習性を生かし、見つけては爪でつぶすのですが、もう集まってきません。
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