森家のお正月
                                        

注連縄  門扉に飾りつけた状態です。いつも最初に完了する新年を迎える準備です。こうした慣わしを大切にしていますが、単なる宗教心ではありません。とりわけ、旧約聖書を共通の教典としながら互いに争いがちにある一神教の人たちを哀れむ目で見ています。

ケンの注連縄  ケンは私たちから一番遠いところで庭を守っていますし、愛犬の中では年長者ですから特別扱いです。また、ケンの子どもの頃の写真をいつも目に付くところに飾っています。個性の尊重と平等に扱うバランスは、わたしにとっては重大な課題です。
お鏡餅  大晦日の夜に私が飾りつけます。その頃には、妻のお煮しめ造りがほぼ完了しているものですが、このたびはターシャの本の立ち読みにふけったせいか、少し遅れました。

仏壇  父を亡くしたときに新調したもので、禅宗のスタイルです。わが家は曹洞宗だったのですが、母の了解を得て同じ禅宗の一派に変えました。墓地が近くにありますし、和尚さんはわたしの家庭教師の教え子です。お花は、菊を買っただけで、妻が庭の木や竹を生かして活けました。亡き母は、すべて買った花や木で飾りたがりましたが、わたしたちは異なる考え方を持っています。
元旦の食卓  大福茶(昆布と小梅をいれます)をいただく直前のテーブルです。この後で、屠蘇酒を酌み交わしながら新年の挨拶をします。

お雑煮  三が日は白味噌仕立てです。煮あがると、まずその具を少し取り出し、紅白(金時人参とダイコンの)なますをそえて神棚と仏壇に供えます。神棚と仏壇での挨拶を済ませた上で鍋に餅を入れ、私たちがいただく番になります。

お煮しめ  詰める器や食卓は変わりましたし、今回は少し食材を減らしましたが、味付けは同じです。お袋の味を妻が継承しています。
酢の物  ナマコを割愛しました。左手前は数の子ですが、十数年このかた毎年決まった人からいただくものを漬けています。
睨み鯛 四日の夕食まで手をつけません。
四日目の朝から混じるようになる澄まし雑煮です。会社勤めをしていた頃の正月は、丼鉢に焼き餅を4つも5つも入れた熱い澄まし雑煮で腹ごしらえをし、出勤していました。