自己防衛策を考える 05/02/06

 日曜日は好天だったにもかかわらず、終日屋内に引きこもっていました。権威がある華道の機関誌で4月から始まる新しいエッセーの構想をねったり、タイプが異なる3つの講演の準備をしたりする日に当てたのですが、なんだかスッキリしない気分でした。そのわけは、月曜日に庭に出たときに自覚しています。好天が庭に出るように誘っていたのに、体が出たくなかったのです。

 先週末はどうしてかくもきつい庭仕事に手をつけたのだろうか、と月曜日に振り返っています。ケンの側のブッシュの手入れをしたあとで、大きな三脚脚立や伸縮はしごまで持ち出し、柏や庭で一番大きな椿の剪定にまで手をつけていたのです。5m余の椿を1.5mほど切り詰めたり、柏の高いところで徒長していた2本の大きな枝を落としたりしたのです。椿は、昨年の春にも手をつけていますが、ハトが営巣していたために途中で中断しています。それが気になっていたのでしょうか、己の年柄を考えずに手をつけていました。事前の写真を撮っておき、事後の写真と並べたら苦労の程を一目瞭然にできたのに、と残念に思うぐらいです。去年のハトの巣は空でした。

 月曜日の夜は、2人のオブザーバーを迎えたアイトワ塾になりましたが、予定通りに処女作の検証を終えています。次回から『次の生き方』をテキストにしますが、その後で「もう一度処女作を読み直してみませんか」と提案しました。仮に日本が、世界に先駆けて処女作で提唱した方向に踏み出していたら、きっと今頃は希望に満ち溢れた国になっていたことでしょう。先んずれば誇りや自信に結びつくことが、手をつけるのが遅れたら譴責を受けたような心境にされかねないことがあります。日本はその後者の道を選んでおり、社会には閉塞感を、子どもたちには倦怠感を抱かせ、人間の威厳や気概を見失わせているように思えてしかたがありません。

 日本のリーダーの多くは、旧態依然たる意識に閉じこもっているのではないでしょうか。企業家は環境税の導入などに反対して問題を先送りしていますし、行政は海外派兵の予行演習のようなことをして時代に逆行しています。でも、実業界や政界ではその権化のような人々が次々と権威を失墜しつつありますし、社会は処女作で指摘したような厳格な姿勢を示し始めています。だから、あと1〜2年もすれば情勢は更に変わり、再検証の価値が出ていそうに思うのです。

 火曜日は人形教室展の搬入日でしたが、一面の銀世界で明けました。妻は人形教室の仲間と搬出作業でおおわらわでしたし、私も雪かきや展示パネルの制作でくたくたになりました。教室展の会場で、スマトラ沖地震津波災害に対するスリランカへの義援金を募ることになり、そのパネル作りを引き受け、友人の手まで煩わせました。昨年7月のスリランカ旅行でお世話になった人たちが、津波で破壊された学校の再建に情熱を傾けているのです。

 水曜日から週末まで、妻は展示会場に詰めかけ、私は留守番でした。だから、月曜日にある講演の準備や、大学での講義の概要をまとめだけでなく、幾組かの来客を遠近から迎えたり、短期海外旅行の手配をしたり、新しいエッセーの打ち合わせに出かけたり、近場で商社時代の友達と懇親会を持ったりしています。もちろん人形展も土曜日に覗き、子連れの未花ちゃんと久しぶりで落ち合い、おじいちゃんになった気分を味わいました。

 実は、1〜2の大学の出講依頼に応じて、若い人と凛とした生き方をするために知恵を傾けあおうとしています。私に自信はありませんし、妻にはゆっくりするように諭されていますが、今の日本はよほど用心しないと足の引っ張り合いをするような生き方に陥れられかねないように思われて心配です。目を外に転じても、地中海では想像外の大寒波に襲われているとか、中国の加熱など、心配ごとが多々あります。だから、自己防衛策を若者と一緒に考えたいのです。

 

柏の木やケンの小屋の側のブッシュをさばいた結果です。太い幹はこれから鋸で挽き、鉞(まさかり)で割って薪にします。この他に、30本ばかりの竹を切り倒しています。竹は、大寒の今頃に切り出すと一番丈夫な竹がとれます。山のように出た竹の葉や木の小枝などは燃やして灰(カリ肥料)にしたのですが、一輪車に2杯ほどできました。

太陽熱(エネルギー)の利用も補助の対象になると処女作(236ページ)で記したり、国のあり方として税制にも触れたりしています。こうした転換を他国に先を越されたら、企業であれ国であれ、やがては姑息な考え方であったことが明らかになり、自己卑下に陥れかねません。すでに環境税を導入して成功を収めている国が現れています。写真をクリックしていただくと拡大します。

処女作が出た6年後に、補助金を得てわが家の屋根に取り付けた太陽光発電機です。かくあれと願っていたおかげでしょうか、関西エリアでは民間家屋に設置した第一号のソーラーパネルになりました。また、国がタバコの広告規制をしないのが不安になり、1986年4月に自己防衛に出ています。おかげで、アイトワは、わが国では最初の禁煙喫茶店を開いたことになりました。
剪定で出た椿や梅が生かされた教室展です。木を元気にするために枝をさばき、その枝を活かして生けるのがわたし流です。その心が訴えた兆候がわが国で現れ始めています。創造能力を悪しき方向に駆使した人や組織に対する社会の目が厳格になるとの予測です。すでに多くの人や組織が社会的に糾弾され、次々と権威を失墜しています。写真をクリックしていただくと処女作(223ページ)での予測が拡大されます。

2月2日朝の景色です。この冬は暖冬と聞いていましたが、久しぶりに深い雪が降ったり低温に冷え込んだりする厳しい冬です。かと思うと、4月のような暖かい日がその合間に訪れますから戸惑います。厳しい日になると、夜分には厚い氷が張り、昼間は小春日和になって水が温むという日があり、水槽や水鉢の金魚が気の毒でなりません。

人形教室展で、娘のように思う未花ちゃんと落ち合いました。会場では3時間ほどしか留まれませんでしたが、その間に大勢の知人や友と出会えました。写真をクリックしていただくと、教室展の様子をご覧いただけます。

教室展の会場で義援金を呼びかけた手作りパネルや募金箱です。小・中学校の再建のために自力で立ち上がった人に勇気や元気をとどけたい、と願っています。半年前にこの知人の案内で投宿したゴールのホテルも、いまは消え去っています。このスリランカの知人は、自らの目で見た被災地の様子などをホームページで紹介しています。
http://www.asahi-net.or.jp/~cr1h-ymnk/SriLanka-tsunami.html